電車を降りた時、息子からメールが届きました。
メールを見た途端、動けなくなってしまいました。
「「中村哲さんが、アフガニスタンで銃で撃たれて
亡くなった」
帽子を被った中村哲さんの姿が浮かんできました。
頭が真っ白になり、涙が溢れてきました。
なんで、中村さんが殺されるの…
中村さんは世界に誇れる日本人です。
『だれもそこへ行かぬから我々が行く
誰もしないから我々がする』中村さんは
この言葉の通り実行されたのです。
海外にいると憲法9条に守られているのを
感じるとも言われ、9条についても語っていました
『僕は憲法9条なんて、特に意識したことは
なかった。でもね、向こうに行って、
9条がバックボーンとして僕らの活動を支えて
いてくれる、これが我々を守ってきて
くれたんだな、という実感がありますよ。
体で感じた想いですよ。
武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。
それが具体的な形として存在しているのが
日本という国の平和憲法、9条ですよ。
それを、現地の人たちも分かってくれて
いるんです。
だから、政府側も反政府側も、タリバンだって
我々には手を出さない。むしろ、守ってくれて
いるんです。9条があるから、海外ではこれまで
絶対に銃を撃たなかった日本。
それが、ほんとうの日本の強味なん
危険だと言われる地域で活動していると、
その9条のありがたさをつくづく感じるんです。
日本は、その9条にのっとった行動をしてきた。
だから、アフガンでも中東でも、いまでも親近感
を持たれている。
これを外交の基礎にするべきだと、
僕は強く思います。』
中村さん、悔しいです。悲しいです…
でも、それでも中村さんはアフガニスタンを
アフガンの人たちを愛し続けているのでしょうね。
医師であった中村さんが、医療では人は救えない
100の診療所よりも1本の用水路を!と
言って井戸を掘り、地元の人でも無理だと
言っていた乾いたアフガンの大地に
コツコツと灌漑用水路を作ったのです。
用水路からの水で大地は潤い、実りの地と
なったのです。
ペシャワールの仲間が殺された後中村さんは
自分一人現地に残り、あとの人は日本に帰国させ
活動を続けていたそうです。
「「現地は危険だと言われるが、いくら武器を
持っていても安全にはなりません。
現地の人たちに信頼してもらうことが大切です」と
語っていたそうです。
熊を愛した写真家の星野道夫さんが、熊に襲われ
死んだように、アフガンの人々を愛し
信頼していた中村さんが、そのアフガニスタンで
殺された!この運命のからくりを私たち人間は
解くことができませんが、中村さんのいのちは
沢山の人たちの心の中で生き続けて行くことは
間違いありません。
人の為に生き続けた中村哲さん
私の中に、あなたの花が咲いています。