~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

初女先生とランディさんとごま煎餅

2015-05-15 22:37:49 | 日記

明日は、初女先生の若い人に伝えたいという思いが、

繋がったような、学習院女子大での講演会です。

先日、打ち合わせに行き、学食でお昼を頂いたの

ですが、多くの学生さん達がお弁当を持って来て

いるのには驚きました。

その時のお話では、講演会の前日、つまりは今日

ですが、学生さんたちが「にんじんの白和え」などを

作って初女先生に食べて頂くと言ってました。

今日、先生はどんなに喜ばれ召し上がったこと

でしょう。

学生さんと初女先生を繋いでいる品川先生の

満面の笑顔が思い浮かびます。

品川先生とお会いした時、食べ物のことを

こんなに楽しそうに話される男性は、そうはいないと

思いました。

初女先生の「食はいのち」を、学問の上からも

証明して下さっている方かもしれないと思いました。

初女先生は、学生さんが作った「にんじんの白和え」に

元気をもらったことと思います。

私も、明日の講演会が楽しみになってきました。

明日、初女先生は学習院女子大で、田口ランディさんは

東京大学で講演されます。

お二人が同じ日に、共に大学で話されるって、やっぱり

繋がっているんだな~って思えました。

ランディさんから、先生に宜しくお伝えくださいね。という

メールを頂きました。

弘前に行ったとき、「初女さんは、ごまの一杯付いた

お煎餅が好きなの」と、ランディさんが言われ、

スーパーを探して歩きました。

どのお煎餅もごまが少なく、ランディさんは

「こんなしょぼいごま煎餅じゃないの!」と言って

いました。

明日、私はごま煎餅を持って行こうと思います。

ランディさんの思いも届ける為に…

明日は、当日券もあるそうです。

受付でお待ちしてま~す!

 

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コブクロ 遠くで

2015-05-14 23:08:23 | 日記

昨日は、家族でコブクロのコンサートへ行ってきました。

コブクロのファンクラブに入って、もう8年以上に

なるでしょうか。

長男がいなくなり、3人家族になってしまった淋しさを

埋めるかのように、3人でコンサートに行くように

なったのです。

昨日は、新曲ばかりかと思っていたら、彼らが

路上時代に作った歌も歌ってくれたのです。

その中の1曲に、私と息子の好きな「遠くで」が

あったのです

コンサートが終わった後の、息子との第一声は

「遠くでがよかったね!」

「まさか、あの歌が聴けるとは思わなかったね」」でした。

この曲は、コブクロの小渕君が18歳でお母さんを

亡くした、そのときの思いを歌にしたのです。

大切な人を失くした人の心に、歌が寄り添って

くれる気がしました。

       遠くで

 今 一番会いたい人はと もし誰かに聞かれたら

 今 君は誰のことを心に想い浮かべますか

 人はそんなに強くはないから 一人じゃとても

 生きられない

 時々折れそうなこの心を横からそっと支えてほしい

 大事に大事に育ててくれた

 僕は迷わずあなたのことを…

 もう会えなあなたの事を…

 天国でみていてくれる 部屋のすみのあなたの写真

 少し笑って悲しそうで 僕はあなたの分まで強く生きて

 次会うときは 雲の上で

 まだまだ、あだ生きてほしかった

 いろんな話を聴きたかった

 今 一番会いたい人が

 今 一番遠くにいます。

                   コブクロ

 

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母の日

2015-05-12 22:59:42 | 日記

母の日の翌日、朝起きてくるとテーブルの上に

お母さんへという手紙とプレゼントが置いてありました。

初任給をもらった息子からの、母の日の贈り物でした。

包みを開けると、使い勝手の良さそうなバックでした。

去年は、カーネーション1本だったので、随分と

張り込んでくれました。

まだ、講師という不安定な身分だから、お給料だって

そんなに沢山ないのに…

手紙には、繰り返される「ありがとう」の言葉の中に

生まれてきて良かったと、書いてありました。

そして、「兄と同じ年齢の中学生を見守るのは

僕の使命だと感じています」と…

その文章を読み、やっぱりそうだったのかと思いました

高校の方が楽だよ。中学は一番大変だよと、

いくら言っても、中学がいいと言っていた息子の心は

そこにあったんだと…

私達家族は、やっぱり創と共に生きているんです。

でも、誰もが意識できるかどうかは別として、

生きている者は、亡くなった人と共に生きて

いるのかもしれません。

息子の手紙には、独立宣言も書いてあったので

息子と過ごす日も、カウントダウに入っているの

かもしれません。

私も、子離れを覚悟しなければ!と、思った

母の日でした。

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父の声

2015-05-10 20:36:42 | 日記

今日は父の13回忌の法要でした。

亡くなって丸12年…

もう、そんなに経っていたのかと、過ぎ行く時の早さに

改めて驚きました。

父は、息子が亡くなって1年半で逝ってしまいました。

父が亡くなったとき、姉はショックを受けていたの

ですが、私は順番通りの死とは、遺された者に

とってこんなに楽なのかと、順番を守ってくれた父に

感謝したものです。

今日は、父の本の復刻版も供えさせて頂きました。

この本を復刻して下さった方は、父に一度も

会ったことがない、若い方です。

このことで、私は死を乗り越えた存在を感じました。

そして、結ばれるご縁もまた、亡くなった人によって

繋がれる行く深さをしりました。

目に見えるものと、目には見えないけれど

存在しているものとが、呼応しあっているのが

この世かもしれません。

今日は、父の声が聞こえた気がしました。

 

 

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夢のお話

2015-05-09 23:08:23 | 日記

久しぶりに、初女先生の夢をみました。

夢の中の先生も、きれいに髪をセットされ、薄紫の色が

とても綺麗でした。

私が、先生に「足のマッサージをさせてください」って

お願いしていました。

先生は恥ずかしそうに足を出され、私がマッサージを

しているという、ただそれだけの夢でした。

これは、随分前の現実が夢となって現れたようです。

先生にくっついてベルギーに行ったとき、私達は1日だけ

観光があったけれど、初女先生はその時間も

お見舞いに行き、お休みはありませんでした。

毎日、お台所でお料理を教えたり、お話を

したり、また皆さんのお話を聴いたりしていました。

私は、その時に先生の足のマッサージを

させてもらいました。

初女先生は、とっても品のあるお顔をなさっていますが

足と手は、働いて働いて働いてきた人の足と手です。

先生の足を触ったときに、私はこんなに働いて来た足は

今まで見たことがないと、思いました。

私がマッサージをすると、先生はあっという間に熟睡して

しまうので、起こさぬように足をほぐし、最後に

キュウレイコンを足の裏に貼って、そって部屋をでました。

律儀な先生は、私が湿布はがしていいんですよ。と言うまで

ずっと貼っていてくれました。

あの時、何も出来ない私に初女先生から「直さん、お世話に

なります」と、逆に言われて、どうしてよいのか分からなく

なったのを、今でも覚えています。

せめて、マッサージをと、夜になると先生のお部屋を

訪ねたものです。

そこは、ホテルではなく民間の人が空いてる部屋を貸す

日本流にいうと宿屋でしょうか、そんなところだったので

部屋番号がなく、先生は目印にドアのノブの横に

小さな折鶴を折って貼っておいてくれました。

その何気ない心遣いが、初女先生なんだと…

今思い出しても温かい気持ちになります。

先生に足湯やマッサージをして差し上げたい!

私の心の底にある思いが夢となって現れたようです。

来週はイスキアの集いで東京にいらっしゃいますが

終ったら直ぐにお帰りになるので、足をほぐすことも

おしゃべりをして笑って、心をほぐすことも出来ません。

夢の中で、マッサージしても先生は楽になりませんよね。

いつか、夢が現実となることを祈っています…

 

 

 

 

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井上有一の言葉

2015-05-08 22:30:45 | 日記

連休明けの昨日は、作業所の障がい者の人たちと

社会見学で、羽田とスカイツリーに行って来ました。

スカイツリーから下を見ると、車も建物も全て小さく

箱庭を見ているようでした。

でも、私達って頑張って生きているんだ!を励まされた

気がしました。

足元スケルトンの上に立つと、私は後頭部が

痛くなったのに、車椅子から見ている皆は平気なのに

びっくりしました。

年に一回の社会見学で、初めてのスカイツリー体験を

しました。何となく東京タワーの方に愛着を感じるのは

昭和生まれだからでしょうか…

今日は、昨日の代休でぽっかり時間が出来たので

思い立ったが吉日と「井上有一展」に行って来ました。

「書」を始めるまでは、名前も知らなかった書家ですが

今は、好きな書家です。

期待が大きすぎて、今日出会った作品で、

ぐっと来たのは数点ですが、でも心に変化を

もたらす井上有一の作品は凄いなと、思いました。

帰りに、70歳を超えているかと思われる

受付のおばちゃんと話していたら、有一の冊子を

「これ、読む?」と言って下さいました。

その中の有一の言葉に勇気をもらいました。

私は、習字も習ったことがなく、いきなり「書の世界」に

飛び込んだので、自分には土台がないと、ずっと

思っていました。

でも、有一は「書は万人の芸術である」と言い

なぜかというと「書は特殊な材料も特殊な技術も

何もいらない。字は誰でも書ける。

その誰でも書ける字でその人の芸術を発揮

することができる。こんな素晴らしいものはない。

書は世界で一番有難いあり方のもの」と言って

いたのです。

日本人であるということは、それだけで筆の歴史が

私達のDNAの中に流れているのですから

筆なんて無理!と尻込みしないで筆を持ってみると

自分の中のDNAが、思わぬ力を発揮して

くれるかもしれません。

「書は万人の芸術である」

私もその万人の一人なのだと、思えました。

 

 

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涙の断捨離

2015-05-06 22:29:06 | 日記

連休最後の日は、この暑さでついに衣替えを決行

しました。

私は、捨てられない人間なので、今回は服の断捨離を

決意したのですが、ぐずぐずと迷いながら、それでも

私としては思い切って処分していました。

一つの衣装ケースは、もう着ないものばかり入れて

あり、開かずの衣装ケースとなっていました。

今日は、思い切ってそこにも手をつけようと思ったの

です。

そして、蓋を開け断捨離をしようと思ったときに

黄ばんだワイシャツが目に入り、引っ張りだしたのです

そうしたら、それは胸に校章が縫い付けてあり

亡くなった息子が着ていた中学のワイシャツだったの

です。

そのワイシャツを見た途端

何で出しちゃったんだ、何で…と、言いながら涙が

止まらなくなってしまいました。

シャツの黄ばみに、息子のいなくなった年月を突然

突きつけられたようで、久しぶりの大泣きと

なってしまいました。

息子の服を見て、まだこんなに動揺する自分が

いることに、驚いてしまいました。

そして、決意した断捨離は、あっけなく終って

しまいました。

 

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大丈夫

2015-05-05 23:00:03 | 日記

今日は子どもの日、子どもが成人してしまうと

親としてのお役目が終ったなと、自覚する日にも

なりました。

せめて、元気でいてねと菖蒲を買ってきたのですが

お風呂に入れるのを忘れてしまい

何とも、トホホの子どもの日でした。

そんな一日の終わりに、ちょっと素敵な言葉に

出会いました。

  『君の心は 君が好きだ

  君の体は 君を大切にする

  そのことを信じていれば

  大抵の困難は突破出来る

       橘川 幸夫』

 

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清志郎さんに背中を押されて…

2015-05-04 10:37:53 | 日記

5月3日の憲法記念日は、例年なら連休の一日として

過ごしていたのですが、これだけ憲法が危うい状態に

なってくると、この日を大型連休の中に埋もれさせて

しまう訳にはいけないと思っていました。

でも、何をしたらよいのか分からずにいました。

ところが、3日の朝に「今日の横浜の集会には

行けない」というメールが、私と友達宛に来たの

です。

「横浜で何があるの?」と返信すると、

みなとみらいで憲法集会があるというのです。

午前中、予定が詰まっていましたが、何だか

清志郎さんに背中を押された気がして、横浜に

飛んでいきました。

会場である臨港パークに行くと、想像をはるかに超えた

人が集まり、ノーベル賞作家の大江健三郎さんの

話が始まっていました。

大江さんの姿は、遠く豆粒のようでしたが、

最後の自分の役目として、この憲法を守り抜こう

という思いが、9条を踏みにじろうとする権力への

怒りが、真っ直ぐに私たちの心に届いて来ました。

精神科医の香山りかさんは、命を守るという

立場から訴える必死さに、平和や生存権と言う

言葉が、リアルなものとして、立ち上がってきました。

落合恵子さんは、優しい声で憲法を守ることは

若い人たちの未来に対する私達の責任である。

ということを、一人ひとりの心に刻み込むように

語ってくれました。

主催者の発表で3万人ということでした。

これだけの人が集い、憲法のことを考える…

このことが、何かの力にならないはずがないと、

思いました。

最後に、炎天下の中を頑張ったご褒美のように

歌手のクミコさんの歌がありました。

クミコさんは、今の歌の歌詞に「空襲」という言葉が

あるから、もしかしたら歌えなくなるかもしれない。

歌手たちは、歌詞に敏感になってきていますと…

どんな時も、自由に歌える平和を訴えていました。

帰り、横浜駅に着くと人身事故で、JRが全部

止まっていました。

楽しいはずの連休に、死を選ぶ人がいるんだと

思ったときに、自殺遺児の「お父さんは、

死にたくて死んだんじゃない。生きているのが

辛くて死んだんだ」という言葉が、浮かんで

きました。

平和とは…と、自問自答しながら夜道を歩いていると

何だか誰かに見られてる気がして、顔を上げると

そこには、お月様がいました。

やさしい色の満月で、見ていると清志郎さんと

息子・創の笑顔がお月様の中に浮かんできました。

明日の晴れが、約束されたような気がしました。

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忌野清志郎さま

2015-05-02 23:27:16 | 日記

テレビで、ゴールデンウィークも後半に入りましたと

言ってましたが、いつから前半に入っていたかも

わかりません。

子供の日のお役目が終わると、5月の連休も力が

抜けて、ぼんやりしてしまいます。

ぼんやりしていたら、ふと今日は忌野清志郎の

命日だと気がつたのです。

あ~清志郎さんが今生きていたら何て言うだろう…

あれだけの原発事故を起こしたのに、この国は

原発が一番安価なエネルギーだと言い

原発推進の社会に舵を切ろうとしています。

憲法も改憲への道を、一挙に加速し、9条はその力を

奪われようとしています。

清志郎さん、あなたに合わせる顔がありません。

清志郎さん、私たちはどうしたらいいのですか…

それでもあなたは、「愛し合ってるかい」と

私たちに微笑んでくれるのですか…

清志郎さ~ん、私たちに勇気をください

嫌なものを嫌と言える勇気を!

駄目なものにNOと言える勇気と行動を!

 

 

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