今日、お墓参りに行きお寺で頂いた冊子に
批評家の若松英輔さんが載ってました。
若松さんの死者に対する考えが、私の思いと
重なるのです。
若松さんも早くに奥さんを亡くされて、
大切な人の死と向き合われて来た方だからで
しょうか…
少し長くなりますが、若松さんの文章を
分かち合いたいと思います。
『「生きている死者」という表現は、私の実感でも
あるんですけど、多くの人がそう感じていると
思うんです…
確かに自分の大切な人は亡くなった。
しかし、その存在が消えたとはどうしても思えない
その心持を映しとる言葉が必要だった。
その試みの一つが、「生きている死者」という
言葉だったのではないでしょうか。
死者の存在は、生者の記憶に依存しません。
生者が記憶しているから死者がいるのでは
ありません。
私たちが思いもしないときも、死者は生者に
寄り添っている。むしろ、生者の記憶と死者の
存在をつなげて考えるところには、生者の傲慢が
あるように感じられます。
生者は、自分の世界が中心に考えがちです。
しかし、死者たちの世界が生者の世界を包んで
いるのかもしれないのです。
死ぬとは、その世界に還っていくことかもしれない
私達が忘れていても、阿弥陀様は決して忘れる
ことはない。
それに似た関係が死者と生者にもあるのでは
ないでしょうか…
死者のことをずっと思っているよりも、
死者のことを忘れて、親しい人と交わりを深めて
いるとき、私たちは死者ともっとも近い、
とも言える。
死者と共に関係を育むということがある…
若松英輔 』