~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

「小さな幸せ」~よしもとばななさん

2018-10-15 21:20:31 | 日記

昨日、「小さな幸せ」について書きましたが

よしもとばななさんが、とっても素敵な言葉で

書かれています。

『小さい幸せは、たくさん集まるといつの間にか

セーフティーネットになるのだと思う。

人生は決してどの段階になったから楽になるって

いうもんじゃない。

いつでも理不尽で大変で思い通りにならなくて、

切なくて苦しいものだと思う。

小さな幸せは、たくさん集まっても決して大きな

幸せにはならない。

でもふと人を救ったり、よく眠らせたり

他の人に伝染したりする。

それが最終的にはたまたまそこにあった網みたいに

落ちて行く本人を救うことがある。

その程度ではあるけれど、その存在、すごくいい。

最終的に大きなものになる可能性だってある。』

よしもとばななさんのこの言葉を知ると

益々、小さな幸せが輝いてみえます。

小さな幸せ探しをしよう!

そう思うだけで、心が温かくなるのは

なぜ…

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小さな幸せ

2018-10-14 17:41:02 | 日記

若い頃は、ドカンと大きな幸せを望んでいましたが

歳を重ねると、小さな幸せで心が満たされる

ようになっているのに気がつきます。

でも、小さい頃は小さな幸せに心躍らせて

いたんですよね~

平仮名の「の」の字が書けるようになった時

嬉しくて、どこにでも「の」の字を書いていたのを

今でも覚えています。

昨日の小さな幸せは

あるカフェに入ったら、カウンターに

『佐藤初女さんの心をかける子育て』の本が

置いてあるのです。

私は思わずお店の人に「この本の初女さんに」と、

言ったら「すなおさんですか」という言葉が

返ってきたのです。

びっくりしている私に「三浦でと…」

お名前を聞くと、三浦の宿泊講演会に

赤ちゃんと参加してくれ、

翌年の初女さんとランディさんとの

対談の「深き森の語らい」では、スタッフに

入ってもらい、彼女の焼いた焼き菓子を

ロビーで販売してもらったのです。

その時の赤ちゃんが5歳になったというのです。

昨日行ったカフェにはイベントがある時に

食事を出していると言い、いつも初女さんの本と

自分たちががやっている自主保育の記事が

載っている雑誌を置いておくのだそうです。

それを聞いて、あ~彼女の中にも初女さんが

生きているんだ!と思ったら嬉しくなって

そのことを思うだけで、昨日も今日も幸せな

気持になる私です。

ドカンという大きな幸せはないけれど、

小さな幸せは心を温かくしてくれます。

子どもがきれいな石を集めるように

私も小さな幸せを見つけて行こう!

「小さな幸せみっけ!」って…




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またしても「愛」

2018-10-12 22:10:19 | 日記

「いのちのエール」で愛を感じて以来

今まで分からなかったことが、まるでパズルを

はめるように分かってきたのです。

本当に不思議です。

でも、初女さんは『不思議は神さまのはたらき』と、

言われているので、私もそのように思って

います。

初女さんの『心が大揺れに揺れても

芯が通っていればいいのです。』の言葉にある

芯を、私は探し続けていました。

芯は、自分の中心になるのもだから、このことが

分かってないと、自分を見失ってしまうと思い、

いつも頭の隅っこに「私の芯はなに?」という

問いを持ち続けていました。

「いのちのエール」が終わり、ある日突然

そのこたえが来たのです。

『芯とは愛』だと…

またしても「愛」と、思った時に、Y先生が

言われた「絶えず愛と感謝は来ているの。

でも、こちらがキャッチできないの。

あなたはキャッチできるところに来たんだね。」

という言葉が浮かんできたのです。

そうしたら、『芯は愛』とういことが、ストンと

自分の心に落ちて来たのです。

ランディさんが「世界は愛でできている」と

言ってたことが、やっとわかったのです。

このことは、頭で理解しようとしてもダメで、

体に落ちてこないと分からないようです。

私たちは、どんな人でも全て愛されている

存在なんですね。

初女さんが生きてるときに、このことに

気がついたら、もっと深い話ができたでしょうに…

でも、初女さんが亡くなったから分かったのかも

しれません。

初女さんがいた時は会って話す、手紙で伝える

そういうことしか出来ませんでしたが、

亡くなってからは、いつでもどこでも話が

出来るようになりました。

聞きたいことを思って、話かければ答えが

来るのです。

この対話によって、もしかしたら愛をキャッチ

できるように、心が耕されたのかもしれません。

本当に、「地球は愛で出来ている!」って

思えるんです!



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別れは…

2018-10-10 21:55:01 | 日記

「いのちのエール」から一週間が経ちました。

あれから、奇跡のようなことが起きてて、

あの場に初女さんがいたんだという思いが強く

なっています。

今日は、Mさんの一周忌

初女さんが亡くなった時、Mさんも北海道から

来て、弘前で落ち合い初女さんの処へ飛んで

行きました。

そのMさんが、こんなに早く初女さんの

もとにいってしまうなんて、初女さんも

驚かれたことでしょう。

私は、息子が亡くなった時より一年目の

命日の方が辛かったのを覚えています。

亡くなった時は、何が何だか分からず

色んなことが、どんどん進んで行って

しまうので、悲しみと向う時間もなかった

気がします。

ところが一周忌を迎える前になると、

フラッシュバックするように、過去が

そのままやって来るのです。

「もう一年が経ったの。早いわね~」

などと言われると、「少しも早くありません。

重い重い一年でした。」なんて相手が困ることを

平気で言ってました。

Mさんのご主人は、電話の向こうで涙して

いましたが、

でも、前向きに生きていこうという思いが

伝わって来て、やっぱり初女さんに出会って

いた人は違うな~と思いました。

夜、一緒にお花をおくった友人から

「ハワイアンの考えは、全てが融合なんだって。

風も太陽も空気も亡くなった人達も。

一緒にいるんだって。」というメールが届き

ました。

姿を求めなければ、その人の存在はきっと

感じられる筈…

そう思っていたら、まあるいおむすびが2つ

並んだ写メールが送られてきました。

見ていたら、Mさんが寄り添っている

おむすびにみえました。

『大切な人の死は悲しいことですが

 悲しみにおぼれてはいけないと思います。

 人の死は姿の別れであって、心の別れでは

 ありません。

 悲しみも苦しみも捧げて

 亡くなった人が生前望んだように生きて

 いくことがいちばんの供養であり、

 自分の慰めにもなります。

 かけがえのないものをなくされた方には

 いつか大きなものが与えられますよ。

         佐藤 初女     』

 


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「いのちのエール」~「愛」を信じる

2018-10-08 23:33:34 | 日記

10月3日の「いのちのエール」から5日に

なりますが、あの日の感覚が今も私の中に

リアルにあり、過去になっていかないのです。

今まで、いくつもの講演会を主催し、色々な

イベントのスタッフもさせてもらってきましたが

今回の「いのちのエール」は、うまく言葉に

出来ないけれど、違うのです。

会場全体が、ひとり一人が愛で包まれて

いたんだ!と思えるのです。

宮澤賢治の「世界全体が幸福にならないうちは

個人の幸福はあり得ない」という言葉を、

私は、これは理想だから言えるのだと思って

いました。

でも、あの日あの時あの場所で

私は、もしここに今、不幸を感じている人が

いたら、私も幸福になれないと思ったのです。

そう、そう思えるくらい誰もの顔が、優しく

柔らかく、幸せな笑顔で溢れていたのです。

宮澤賢治の言う、世界全体ではないけれど

この「いのちのエール」に集まった人たちは

幸せを感じているって思えたのです。

「いのちのエール」のあの場を包んでいた「愛」は

ひとり一人の中に確かに宿っているのだと

思いました。

この愛を信じて行けばいいんだ!

そのことを、頭ではなく私の細胞が感じてくれた

そうとしか思えないのです。

だから時間が経っても、過去のものとなって

行かないのです。

初女さんが「ひとりひとりに森のイスキアが

宿っている_。そのことがなによりの励みです。」

と、言われていたけれど

それって、「愛…?」

ひとりひとりに宿っている森のイスキア

それは愛だったんだ!

初女さん、私この愛を信じます。

自分の中にもある、この愛を!!





 

 



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「銀河鉄道の父」の父の愛

2018-10-07 17:32:49 | 日記

「いのちのエール」が終わり、久々の読書三昧の

一日でした。

今、「銀河鉄道の父」を読み終えました。

大好きな宮沢賢治ですが、その父を私は勝手に

自分のイメージで作り上げていたことが

わかりました。

父の質屋という職業を嫌い、父と別の宗派の

法華経を信仰した賢治は、父親との関係が

非常に悪かったと思い込んでいました。

小説だから、事実とは違うところもあるでしょうが

でも、かなり調べて書かれている感じがするので

賢治の父親の息子への愛情は、揺るぎのない

ものだったと感じました。

宮澤賢治は、充分な愛を受けて

育った人だったんだと、あらためて知りました。

そして、初女さんの「愛と受け容れること」という

言葉を思い出しました。

賢治の父の愛は、どこまでも息子を受け容れる

愛でした。

私は、この時代の父親には、こういう愛情は

難しいのではと、思っていましたが

いつの時代あっても「愛」とは受け容れること

なのでしょね。

「雨ニモマケズ」は殆ど死の床で書かれたとは

知りませんでした。

賢治が、病床の中で机には向かえないと言った時

父親が賢治に向かって「人間は、寝ながらでも

前が向ける」を言った言葉が心に突き刺さり

ました。

三浦綾子が小林多喜二の母親を書いた「母」も

深く心に響きましたが、父親の愛情を

この「銀河鉄道の父」で見せられた気がしました。

読書の秋、また賢治の世界を旅しようかな…

 

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ご飯を炊く~佐藤初女さん

2018-10-06 22:28:36 | 日記

3日の「いのちのエール」では、29合(2升9合)

のお米を5合づつ土鍋で炊きました。

会場となったアトリエ間間さんにあったのが、

土鍋だったので…

土鍋は、鍋で炊くのと違い、吹きこぼれないので

出て来る蒸気を、じっと見ていて火を弱める

タイミングを見つけるので、気が抜けません。

蒸らしあがって蓋を取る時には、無意識で祈って

いました。

初女さんの見えざる力も加わってか、2升9合

おこげを作ることなく、炊きあげることが

出来ました。

ご飯の甘みを十分引き出すところまでは

行きませんでしたが、おむすびに合ったご飯を

炊くことができました。

ところがなんです。翌朝いつも厚手の鍋で

ご飯を炊いたら、気が緩んでいた為か、

おこげが出来たパサパサのかたいご飯と

なってしまいました。

「気」が入っているか、入っていないかで

こんなに違うのでしょうか。

初女さんがお料理を作っている時は、声が

掛けられない程、真剣でした。

どの工程もおろそかにしたくないと言われて

いましたから…

食材のいのちを生かすことを考えて、一心に

作られていました。

だから、心に染み入る味だったんですね。

ご飯を炊く、この日々の営みがどれほど奥深い

ものかを、初女さんが指し示してくれているように

思います。

『人に接するときは

 その人がいちばん望んでいることはなんだろう

 と考えますが、ごはんを炊くときも同じです。

 そのお米にいちばん合った水加減にしたいから

 炊飯器の目盛りには頼りません。

 水に浸したお米を手にとり

 じーっと観察していれば

 お米が望む水加減がわかってきます。

          佐藤 初女』

  

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「いのちのエール」に包まれて

2018-10-04 22:15:10 | 日記

昨日の「いのちのエール」、凄かったです!

今までランディさんから初女さんの話を聴き

心響いていましたが、昨日のお話はそういう

レベルじゃないって感じで、まだ上手く

言葉にすることが出来ません。

ランディさんは、フィンドホーンに行って

今までわからなかった、初女さんが何を

していたかが、よくわかったと言われ話して

下さいました。

オウムの林さんのことも…

そして、意識の話に繋がっていき…

何の飾りもなく真っ直ぐに自分の感じたことを

話されているランディさんのお話を聴いていると

聴いている私たちの方が何だか浄められていく、

そんな感じがしました。

おむすびに、初女さんの丁寧な生き方を感じ、

手びねりキャンドルの温もりに

すべてに、いのちを感じていた初女さんを思い…

最後にフィンドホーンで歌っていた

ラテン語の歌を皆で輪唱している時、

大きな温かいものに包まれている、そんな

感覚になったのです。

終わった時、誰もがやわらかい優しい笑顔を

してました。

そして、この場にいることの幸せを感じていると

たくさんの人が感謝の言葉を口にしてくれました。

今日、ランディさんから心がこもったメールが届き

それには「ひとはなりたい自分になって

いくんだなぁ…10月3日は『どんなひとで

ありたいか』を確認するような日に

なってきました。」と書いてありました。

10月3日が「いのちのエール」の日になったら

いいな~

 







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明日は初女さんとランディさんのお誕生日!

2018-10-02 21:44:44 | 日記

明日は10月3日

佐藤初女さんと田口ランディさんのお誕生日

そして「いのちのエール」の3回目

楽しみで遠足の前の日のようにわくわくしてます。

初女さんを感じ初女さんに包まれ

ランディさんと笑っちゃう!

どこから見ても、楽しいに決まってる

だって、初女さんとランディさんの誕生日だよ

ケーキじゃなくておむすび結んで待ってます。

キャンドルもおむすび講習会も楽しいよ~

どんな出会いがあるでしょう、楽しみ~

『一期一会といいますが

 ただ物体と物体のように、漫然と出会えば

 なにも結ばれず、時間とともに流れていきます。

 心と心を通わせて出会ったとき

 そこに気づきと発見が生まれます。

 ひとつの出会いから新しいなにかが生まれ

 また次の出会いにつながっていきます。

 出会う人、ひとりひとりを大切に

 出会いが未来を拓くのです。

               佐藤 初女』


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もうすぐだよ「いのちのエール」

2018-10-01 21:29:23 | 日記

昨日は物凄い風でした。

思わず「お守りください」と祈っていました。

朝、ゴミを捨てに行くと大きな木が折れて

昨日の風の凄まじさを感じました。

それなのに、金木犀の小さな花たちは、何事も

なかったように咲いていて、よい薫りを風に

乗せているのです。

あの風の中、花たちはどうしていたのでしょうか

小さな花に宿るいのちの逞しさを、見せて

もらった気がしました。

そんなことを思っていたら、目の前に黄色い蝶々が

飛んできたのです。

黄色い蝶々は、私は亡くなった息子だと思って

います。

そういえば、初女さんの講演会の前には必ず

黄色い蝶々が飛んできました。

いつも「母さん、僕はここにいるよ」というように

私の周りに飛んでくるのです。

今日は1日、初女さんの月命日。

そして3日は、初女さんのお誕生日で

「いのちのエール」イベント!

「母さん、僕はいるよ。一緒に」という息子からの

メッセージを黄色い蝶々に感じました。

3日は、おむすびを結び、おむすびを結ぶように

優しくキャンドルを作り、そして夜には

田口ランディさんから、初女さんのお話を

聴く…

初女さんに抱かれているような、そんな一日に

なりそうです。

ランディさんは、スコットランドで日々

初女さんを感じていたと言います。

どんなお話が聴けるでしょうか

お夜食におむすびをご用意していま~す。

おむすびを頬張りながら、ランディさんの語る

初女さんのお話を聴く…

心がまあるく結ばれて行くような気がします。

講演会は一杯ですが、おむすびとキャンドルは

少しだけ空きがありま~す!

皆さん、お待ちしています!


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