書簡集⒔ ピレモンへの手紙 パウロの執り成し
はじめに
パウロは3通の獄中書簡を書いています。「エペソ人への手紙」「コロサイ人への手紙」と、この「ピレモンヘの手紙」の3通です。当時ピレモンはコロサイの教会の牧者でした。パウロは「コロサイ人への手紙」を、コロサイの教会に送っただけでなく、この個人的書簡「「ピレモンへの手紙」も併せ送ったのです。
獄中で産んだ我が子オネシモのことで、あなた(ピレモン)お願いしたいのです。
「ピレモンへの手紙」は、おそらく、パウロの最後の書簡であり(おそらく、と言うのは、次の「へブル人の手紙」もパウロの作だと言うものもいるからです)パウロの書簡の中では、最も短く、最も個人的な書簡です。ピレモンに対して書かれた個人的書簡であるため教義的内容は見当たりません。
その内容の第1は、牧者ピレモンの愛の深さ、信仰の深さが語られ、第2にはキリスト者に回心した逃亡奴隷オネシモの罪の赦しを、パウロがピレモンに願うところにあります。キリストの前では奴隷も自由人も平等でなければならないのです。牧者であるピレモンは当然それを知っているはずです。奴隷と言う身分は本来あってはならないのです。パウロはこの奴隷制度に対して、一言も批判していません。奴隷制を前提にして話を進めています。時代的限界を感じます。
しかし聖書は時代を超えた書です。
パウロの友人で同労者でもあるピレモンはコロサイの「家の教会」の牧者であり、多くの奴隷を抱えた裕福な地主貴族の1人でした。ところが深刻な問題が発生したのです。ピレモンの奴隷の1人オネシモがピレモンに経済的損失(盗みか)を与え、ローマに逃亡したのです。いわゆる逃亡奴隷です。オネシモはローマでパウロ(キリストの宣教ゆえに捕らわれの身になっていた)に出会い、救いの素晴らしい知らせ(福音)を受け入れ、キリスト者として再生したのです。そこでパウロはピレモンに手紙を送り、オネシモを逃亡奴隷としてではなく、我々と同じキリスト者として送り帰すから厳しく罰するのではなく、愛をもって受け入れてほしいと願います。そしてオネシモがピレモンに与えた経済的損失を、私が贖おうと約束するのです。
時代背景
パウロの生きた時代の産業構造を見ると、その主要産業は農業で、地主貴族の手の内にありました。その労働力は専ら、地主貴族の抱える奴隷=農奴が担っていました。その賦役労働が彼らの収入源でした。次にその農産物を扱う商人がいました。地主の一部が市場を作り商人となったのです。彼らは出世して御用商人となります。王侯貴族の付き合いで海外に進出します。交通網が整備され、貿易港が出来ます。商人は社会的に一大勢力になります。商人の進出は社会構造を変えます。農機具(鋤。鎌、鍬)の生産は、農業者の副業であった。この技術者も奴隷でした。戦乱の世のこと武器にも手を出しました。戦車、大砲などの重機は海外に頼ったでしょう。御用商人が、権力者から注文を受け工業者に発注したり、海外に頼ったりしていました。技術者は富を蓄積し、その金で身分を買い解放奴隷となります。かくして彼らは独立して中小の企業家になるのです。工業の始まりです。ここに士農工商の社会が生まれます。
当時、労働は卑しい者の仕事であって、奴隷の担うものでした。富裕な自由人(貴族を中心とする)は労働を嫌い、学術、文化、芸術、政治を専らとしていたのです。彼らは高学歴者であり、彼らの通った大学は、当時、文化の中心であったエジプトにあり、地主貴族の子弟は、好んでエジプトの大学に留学しました。彼らの中には労働の尊さを知るものはいませんでした。労働=奴隷の仕事だったからです。
彼らの中には「締まりのない生活(Ⅱテサロニケ3:6~15)」をする者がいました。彼らは人の作ったパンをタダで食べていた(賦役労働への依存)のです。「働らかざるものは食うべからず」にもかかわらず何も仕事をせず、おせっかいばかりしていました。おそらく、彼らは時の権力に不満を持ちながらも、何の行動に出ることなく、また、信仰者になることもなく、ただ不満を並べているに過ぎない中途半端な「締まりのない生活」をしていたのです。彼らの不満の第1は度重なる戦乱ででした。パウロは彼らに対して自分でパンを稼げと、労働の尊さを説いています。
「ピレモンの手紙」の内容構成
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/d3/8e088643b3467d52b6eb504278ad4ce6.jpg)
登場人物
1.ピレモン:オネシモは彼の奴隷である。奴隷を所有しているということは、彼が富裕な貴族であることを示している。同時にコロサイの「家の牧師」でもあった。初代教会の時代、民家が教会であり、そこに信者が集まり礼拝していた。彼は心優しい牧者であり、主イエスに対する信仰と聖徒に対する愛は深く、民に敬愛されていた。そこにパウロはオネシモの救いを期待したのである。奴隷とは戦乱で敗れた捕虜、没落家族、社会の底辺に落とされた人間の仕事であり、生殺与奪の権利は主人に握られていた。とはいえ、必ずしも、過酷な労働条件の中で働かされていたわけではなかったらしい。それなりに生活は保障されていたし、権利も持っていたという。当時、奴隷の数は自由な市民に比べて多く、彼らの生活を保障することは、その反乱を恐れる権力者にとっては必要だったのである。パウロはピレモンのやさしさと慈悲深さに期待し、逃亡奴隷のオネシモを厳しく罰することなく、その寛大な性格をもって赦すことを期待したのです。しかし、ピレモンが彼を赦したかどうかは、聖書には書かれていません。
2.オネシモ:ピレモンの奴隷であったオネシモは何らかの経済的損失をピレモンに与え、逃亡し、ローマでパウロに出会う。ここで回心してキリスト者になる。当時、逃亡奴隷は捕まれば、主人に生殺与奪の権利を握られていた。死刑になることもあったらしい。パウロはこの逃亡奴隷オネシモをピレモンに帰すにあたり、逃亡奴隷としてではなく、神を信じる聖徒として帰国させるから、寛大に扱うように勧める。その結果については書かれていません。
3.パウロ:この時のパウロは一回目の捕らわれの身で、比較的自由な環境(軟禁状態)の中で生活をしていました。「パウロは、それ(捕縛)から2年の間、借家に住み、訪れた人たちを歓迎し、大胆に神の国と主イエス・キリストのことを語りました。それを妨げるものは誰もいませんでした(使徒行伝28:30)」。パウロは比較的自由な環境の中でオネシモに会うことが出来、彼を回心させることが出来たのです。検閲を受けることもなく異邦の人ピレモンに手紙を書くことも出来たのです。パウロはピレモンに牧者の立場から「あなたにあなたのなすべきことを、キリストにあって命じることもできるのですが、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います(8節)」とあくまでも強制ではなく、愛をもって今はキリスト者となった逃亡奴隷オネシモに対して寛大なる措置をとるようにと願ったのである。救いとは「愛」であり、信仰の基本であることを、パウロは知っていたのである。
概 要:パウロはコロサイの教会で牧者ピレモンが聖徒たちに示した博愛と、優しさを語り、称賛する。それは逃亡奴隷オネシモに対する赦しの伏線であり、それを、あらかじめ語っているのです。赦しは愛である。オネシモはローマでパウロに会う。ここでオネシモは回心してキリスト者になる。運命的出会いがあったのです。逃亡奴隷としてではなく、キリスト者として帰国させるから、愛をもって、寛大に処置せよとパウロはピレモンに命令ではなく、嘆願するのです。そしてオネシモがピレモンに与えた経済的損失を、私が贖う、と約束する。
パウロの贖いは、キリストの贖いに通じるものがある。贖いには犠牲を伴う。キリストはその死によって民の罪を贖い、パウロは、オネシモがピレモンに与えた経済的損失を弁済することによって、その罪を贖うのである。
はじめに
パウロは3通の獄中書簡を書いています。「エペソ人への手紙」「コロサイ人への手紙」と、この「ピレモンヘの手紙」の3通です。当時ピレモンはコロサイの教会の牧者でした。パウロは「コロサイ人への手紙」を、コロサイの教会に送っただけでなく、この個人的書簡「「ピレモンへの手紙」も併せ送ったのです。
獄中で産んだ我が子オネシモのことで、あなた(ピレモン)お願いしたいのです。
「ピレモンへの手紙」は、おそらく、パウロの最後の書簡であり(おそらく、と言うのは、次の「へブル人の手紙」もパウロの作だと言うものもいるからです)パウロの書簡の中では、最も短く、最も個人的な書簡です。ピレモンに対して書かれた個人的書簡であるため教義的内容は見当たりません。
その内容の第1は、牧者ピレモンの愛の深さ、信仰の深さが語られ、第2にはキリスト者に回心した逃亡奴隷オネシモの罪の赦しを、パウロがピレモンに願うところにあります。キリストの前では奴隷も自由人も平等でなければならないのです。牧者であるピレモンは当然それを知っているはずです。奴隷と言う身分は本来あってはならないのです。パウロはこの奴隷制度に対して、一言も批判していません。奴隷制を前提にして話を進めています。時代的限界を感じます。
しかし聖書は時代を超えた書です。
パウロの友人で同労者でもあるピレモンはコロサイの「家の教会」の牧者であり、多くの奴隷を抱えた裕福な地主貴族の1人でした。ところが深刻な問題が発生したのです。ピレモンの奴隷の1人オネシモがピレモンに経済的損失(盗みか)を与え、ローマに逃亡したのです。いわゆる逃亡奴隷です。オネシモはローマでパウロ(キリストの宣教ゆえに捕らわれの身になっていた)に出会い、救いの素晴らしい知らせ(福音)を受け入れ、キリスト者として再生したのです。そこでパウロはピレモンに手紙を送り、オネシモを逃亡奴隷としてではなく、我々と同じキリスト者として送り帰すから厳しく罰するのではなく、愛をもって受け入れてほしいと願います。そしてオネシモがピレモンに与えた経済的損失を、私が贖おうと約束するのです。
時代背景
パウロの生きた時代の産業構造を見ると、その主要産業は農業で、地主貴族の手の内にありました。その労働力は専ら、地主貴族の抱える奴隷=農奴が担っていました。その賦役労働が彼らの収入源でした。次にその農産物を扱う商人がいました。地主の一部が市場を作り商人となったのです。彼らは出世して御用商人となります。王侯貴族の付き合いで海外に進出します。交通網が整備され、貿易港が出来ます。商人は社会的に一大勢力になります。商人の進出は社会構造を変えます。農機具(鋤。鎌、鍬)の生産は、農業者の副業であった。この技術者も奴隷でした。戦乱の世のこと武器にも手を出しました。戦車、大砲などの重機は海外に頼ったでしょう。御用商人が、権力者から注文を受け工業者に発注したり、海外に頼ったりしていました。技術者は富を蓄積し、その金で身分を買い解放奴隷となります。かくして彼らは独立して中小の企業家になるのです。工業の始まりです。ここに士農工商の社会が生まれます。
当時、労働は卑しい者の仕事であって、奴隷の担うものでした。富裕な自由人(貴族を中心とする)は労働を嫌い、学術、文化、芸術、政治を専らとしていたのです。彼らは高学歴者であり、彼らの通った大学は、当時、文化の中心であったエジプトにあり、地主貴族の子弟は、好んでエジプトの大学に留学しました。彼らの中には労働の尊さを知るものはいませんでした。労働=奴隷の仕事だったからです。
彼らの中には「締まりのない生活(Ⅱテサロニケ3:6~15)」をする者がいました。彼らは人の作ったパンをタダで食べていた(賦役労働への依存)のです。「働らかざるものは食うべからず」にもかかわらず何も仕事をせず、おせっかいばかりしていました。おそらく、彼らは時の権力に不満を持ちながらも、何の行動に出ることなく、また、信仰者になることもなく、ただ不満を並べているに過ぎない中途半端な「締まりのない生活」をしていたのです。彼らの不満の第1は度重なる戦乱ででした。パウロは彼らに対して自分でパンを稼げと、労働の尊さを説いています。
「ピレモンの手紙」の内容構成
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/d3/8e088643b3467d52b6eb504278ad4ce6.jpg)
登場人物
1.ピレモン:オネシモは彼の奴隷である。奴隷を所有しているということは、彼が富裕な貴族であることを示している。同時にコロサイの「家の牧師」でもあった。初代教会の時代、民家が教会であり、そこに信者が集まり礼拝していた。彼は心優しい牧者であり、主イエスに対する信仰と聖徒に対する愛は深く、民に敬愛されていた。そこにパウロはオネシモの救いを期待したのである。奴隷とは戦乱で敗れた捕虜、没落家族、社会の底辺に落とされた人間の仕事であり、生殺与奪の権利は主人に握られていた。とはいえ、必ずしも、過酷な労働条件の中で働かされていたわけではなかったらしい。それなりに生活は保障されていたし、権利も持っていたという。当時、奴隷の数は自由な市民に比べて多く、彼らの生活を保障することは、その反乱を恐れる権力者にとっては必要だったのである。パウロはピレモンのやさしさと慈悲深さに期待し、逃亡奴隷のオネシモを厳しく罰することなく、その寛大な性格をもって赦すことを期待したのです。しかし、ピレモンが彼を赦したかどうかは、聖書には書かれていません。
2.オネシモ:ピレモンの奴隷であったオネシモは何らかの経済的損失をピレモンに与え、逃亡し、ローマでパウロに出会う。ここで回心してキリスト者になる。当時、逃亡奴隷は捕まれば、主人に生殺与奪の権利を握られていた。死刑になることもあったらしい。パウロはこの逃亡奴隷オネシモをピレモンに帰すにあたり、逃亡奴隷としてではなく、神を信じる聖徒として帰国させるから、寛大に扱うように勧める。その結果については書かれていません。
3.パウロ:この時のパウロは一回目の捕らわれの身で、比較的自由な環境(軟禁状態)の中で生活をしていました。「パウロは、それ(捕縛)から2年の間、借家に住み、訪れた人たちを歓迎し、大胆に神の国と主イエス・キリストのことを語りました。それを妨げるものは誰もいませんでした(使徒行伝28:30)」。パウロは比較的自由な環境の中でオネシモに会うことが出来、彼を回心させることが出来たのです。検閲を受けることもなく異邦の人ピレモンに手紙を書くことも出来たのです。パウロはピレモンに牧者の立場から「あなたにあなたのなすべきことを、キリストにあって命じることもできるのですが、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います(8節)」とあくまでも強制ではなく、愛をもって今はキリスト者となった逃亡奴隷オネシモに対して寛大なる措置をとるようにと願ったのである。救いとは「愛」であり、信仰の基本であることを、パウロは知っていたのである。
概 要:パウロはコロサイの教会で牧者ピレモンが聖徒たちに示した博愛と、優しさを語り、称賛する。それは逃亡奴隷オネシモに対する赦しの伏線であり、それを、あらかじめ語っているのです。赦しは愛である。オネシモはローマでパウロに会う。ここでオネシモは回心してキリスト者になる。運命的出会いがあったのです。逃亡奴隷としてではなく、キリスト者として帰国させるから、愛をもって、寛大に処置せよとパウロはピレモンに命令ではなく、嘆願するのです。そしてオネシモがピレモンに与えた経済的損失を、私が贖う、と約束する。
パウロの贖いは、キリストの贖いに通じるものがある。贖いには犠牲を伴う。キリストはその死によって民の罪を贖い、パウロは、オネシモがピレモンに与えた経済的損失を弁済することによって、その罪を贖うのである。
令和2年2月11日(火) 報告者守武 戢 楽庵会
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