世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

銀の栗鼠

2015-03-11 06:47:37 | 瑠璃の小部屋

春は来るとぞ冬はいふ
わが胸はうつろにはあらず
ひそやかに住む銀の栗鼠
氷風の眼にも混じるか青き棘
若槻の血もしたたらむ石畳
硬き青磁の空の下
なにをなすべき わが心

閉じる眼に映る夢
色とりどりの風は吹き
しじまのうちにぞ星に染む
夜明けの鳥の声はして
風にさすらふわが胸の
珠の心を唇に
吹いては鳴らすびいどろの
音にぞしばしやすらはむ

なにをなすべき わが心




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鳥音渡詩集・銀の栗鼠

2015-03-10 07:03:32 | 瑠璃の小部屋

鳥音渡は、彼女が作り出した架空の詩人の一人である。かのじょは彼のために、かなりたくさんの詩を書いて残している。それをこれから少しずつ発表していこうと思う。

鳥音渡のモデルはかのじょ自身だと言ったが、もちろんかのじょよりはずっと恵まれている。一人っ子で両親に愛されて育った。才能のある子どもだったが、神経が細すぎて心を病み、勤め先を辞めて家事手伝いをしている。ここらへんは篠崎什に似ている。違うのは、心を許せる二人の友人がいることだ。

愛情を素直に表現しても、馬鹿にしない友達が二人いる。それだけで、鳥音渡は生きていくことができた。短い人生の間にも豊かな表現をすることができた。これはかのじょ自身が、夢に描いていたことかもしれない。

遠く離れている仲間とともに生きていくことができたら、どんなにうれしいだろうかと。

鳥音渡は瞳のきれいな詩人だった。曲がったことやずるいことがまるでできなくて、社会の落ちこぼれになった。詩を書くことによって、がんばって生き抜こうとしたが、結局は病で若くして死んだ。

「ガラスのたまご」を書いていた時、かのじょはまだ自分の運命を知らなかった。だが、何となく、風の中に感じるものはあったのだ。

明日から、第1詩集「銀の栗鼠」を、一編ずつ発表していく。かのじょが残した甘い愛の詩の世界を、しばらく楽しんでくれたまえ。




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サビクの部屋

2015-03-09 06:51:55 | もくじ

天使のABC ………………… 
天の庭 ………………………… 
飛行機雲の道 ………………… 
りんどうの子守唄 …………… 
花かんむりの天使 …………… 
イヴのゆりかご ……………… 
瑠璃の籠 ……………………… 
胡弓を弾く天使 ……………… 
緑の角笛 ……………………… 
人魚姫の魂 …………………… 
翡翠の記憶 …………………… 
愛の本 ………………………… 
愛するもの …………………… 
貝の琴 ………………………… 
苺の秘密 ……………………… 
長い髪 ………………………… 
うさぎの子 …………………… 
赤いケープ …………………… 
虞美人草 ……………………… 
菜の花の夢 …………………… 
オブシディアン ……………… 
緑の薔薇 ……………………… 
タァコイス …………………… 
月の岩戸 ……………………… 
天の富 ………………………… 
桜樹システム ………………… 
うさぎ竜と天使 ……………… 
ガラスのヴァイオリン ……… 
翼魚と天使 …………………… 
ロードクロサイト …………… 
にんかなに扮する天使 ……… 
青いゆり ……………………… 
ラピスラズリ ………………… 
百合をよる …………………… 
天の街 ………………………… 
オッド・アイ ………………… 
犀の角 ………………………… 
なよたけの憂い ……………… 
日だまりの変容 ……………… 
金の鍵 ………………………… 
薄紅の翼 ……………………… 
すばらしい自分自身 ………… 
ムーンストーン ……………… 



♡珠玉エッセイ集・もくじ ………… 
♡物語集・もくじ …………………… 






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ガラスのたまご・35

2015-03-08 07:33:49 | 瑠璃の小部屋

★ガラスのたまごはゼロの形

ケヤキ並木の続く石畳の舗道を歩いていくと、その古いカフェはあった。

「やあ、まだやってたんだな、このカフェ」オープンカフェの隅のテーブルにつきながら、手品師さんが言った。
「経営者は代わってるそうだけどな。前のオーナーがなくなって、甥御さんがついでるらしい」画家さんも手品師さんの前に座りながら言った。

「このコーヒー券、まだ使えるかな?」画家さんが古いコーヒー券を一枚出していった。それを見た手品師さんが笑いながら言った。
「何年前のだ、それ。まだ持ってたのか?」
「渡が生きてた頃のだから、10年は経ってるかな?」

季節は秋だった。ケヤキがうっすらと紅葉し始めていた。石畳の上に落ちる木の葉を見ていると、詩人さんの詩を思い出さずにいられなかった。

若槻の 血もしたたらむ 石畳

生きてた頃、たぶんあいつは、傷だらけだったんだろうな。画家さんはコーヒー券を見ながら、目を細めた。

古いコーヒー券は一応ウェイトレスさんに聞いてみたのだが、やはり使えなかった。その代り、サービスでクッキーをつけてくれた。画家さんはもう、このとき、地元ではかなりの有名人になっていたのだ。長身美形の外見で、若いころからかなりめだってはいたが。

コーヒーは、3つ頼んだ。昔のように。ウェイトレスさんは何も聞かずに、だまって三つのコーヒーを持ってきてくれた。手品師さんは、3つ目のコーヒーを、詩人さんの定位置だった、二人の間においた。

「みえないけど、いるんだろうな、あいつ」手品師さんが言った。
「ああ、たぶんな」画家さんが言った。ケヤキの木を、かすかな風が揺らす。

「国境派グループ展か。どんなものかと思ってたけど、おもしろかったな。かなりの人が集まってたね」
「まあね。最初は4人だったんだが、みながいろんなところに声をかけてくれて、十人集まった。まあ俺は、自由にほんとの自分がやりたいことをやれって言っただけだ。そしたら、こうなった。でもおまえがわざわざ見にきてくれるとは思わんかったよ」
「ネットの国境派サイトを見てね、どうしても見たくなった。強引に休みをとったから、あとがたいへんなんだけど。あのサイトも、国境派のアーティストの作品だろう?びっくりだね。鳥音渡の肖像と詩をトップにおいてあった」
「奴の言葉はパンチ力があるんだ。愛よ、おまえはいく。あれを読むと、胸が熱くなるんだってさ」
「ああ、それにはぼくも賛成するよ。その詩を思い出すと、やらなければいけないことをやるときに、勇気と活力が出てくる。やりたいって心が、燃えてくる」

画家さんはふっと口をゆがめて笑った。そして、風だけが座っているように見える、隣の椅子を見た。

「渡は、どう思う」と画家さんが言った。聞こえない声が聞こえる。

(すばらしかったよ。君はやっぱり、できるやつだ)

ふ、と画家さんは笑う。聞こえないけど、なんとなく詩人さんの言いそうなことがわかったからだ。

手品師さんも、詩人さんの席を見た。
「何もかも、君のやったことだろう、渡」言いながら、手品師さんは右手を振り、ハートの6を出す。そしてそのカードを、詩人さんのコーヒーの隣に置いた。

「今なら、君の言いたかったことがわかる。君のやりたかったことが。馬鹿正直でドジな奴、でも君は伝えたかった。世界に、本当の愛を。君はぼくたちに、それをやらせただろう。ぼくたちをつかって、自分の夢を叶えたろう」

画家さんはきょとんとした顔で、手品師さんを見た。画家さんには、手品師さんの言いたいことが、わからなかった。

ふふ。三人の中では、手品師さんだけが高卒だ。だけど、三人の中では最も頭が切れる。手品師さんには、わかったのだ。渡が生きてるってこと。見えない小鳥になって、自分たちを裏から動かしていたってこと。

手品師さんの舞台は、詩人さんの影響を受けて、まるで夢のような愛を演じてみせる。愛のために戦う、勇者の物語を。手品師さんの舞台から、人々は本物の愛と勇気の種を、知らぬ間に受け取ってゆく。愛が広がってゆく、知らないうちに。

国境派の作品群を見ても、鳥音渡の詩の影響を受けていない作品はなかった。

「ふ。君はすごい。本当の愛を最後まで信じてた。それで君は、世界を変えたかったんだ。君は死んだけど、生きていた。風と一緒に、いつも僕らと一緒にいた。そして、僕たちは生きて、愛を叫ぶ。世界を変える一人の勇者になる。君は、それを、ぼくたちにやらせた。すべては、君が始まりだった」

画家さんは黙っていた。画家さんを一流の画家にしてくれたのは、詩人さんの目だった。まっすぐで、きれいな目だ。見ると胸が澄んできれいになってくるような、まっすぐな瞳だった。あの絵を見た人間は、突然大きくなる。なぜかはわからない。偽物の世界から、突然本物の世界が見えて、生きている自分をがっしりとつかむことができるのだ。

「そうだ。すべては、おまえがやった。渡。死んでも、生きてる、おまえは、ずっといっしょに、いたな」画家さんが言った。

(うん)聞こえない声が言った。

(そんなつもりは、なかったけど。ただぼくは、なんでもない一羽の小鳥になって、自由に愛の声で鳴きたかっただけなんだ)

風が吹き、一枚のケヤキの葉を、テーブルの上に運んできた。その向こうに、一瞬、ふたりは見えない詩人さんの気配を感じたような気がした。

愛よ おまえはいく
国境を越え 怒りを捨て
すべてを 導く ために

静かな時が過ぎた。画家さんも手品師さんも、笑って、詩人さんを見つめた。見えなくてもいることが、わかった。
ハートの6が、風に翻り、ケヤキの葉と一緒に、風に吹かれて、飛んで行った。

(すべては、愛だっていう意味だよ。ハートの6は)

「わかってるさ。ぼくは生きてる限り、ハートの6を、世界中にばらまいていく。正真正銘、本当の自分の力で。誰にも負けはしない」

「ああ、ほんとうの、自分の力で」

画家さんと手品師さんは、愛に満ちた目で、見えない詩人さんを、見た。

すべてはまだ、これからだ。菫色の空の下で、3人は生きていく。そしてやっていく。すべてを、みちびく、ために。

愛よ おまえは いく。


(おわり)






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ガラスのたまご・34

2015-03-07 07:07:21 | 瑠璃の小部屋

★ふたりだけど

「すまんな、せっかく訪ねてくれたのに、こんなことに巻き込んでしまって」
画家さんが、手品師さんに言った。
「いや、別にかまわないよ。とにかく今は探さないと。セレとぼくは、川の方に行ってみる」
「ああ、助かる。ほんとに渡のばかやろうめ。いつまでも俺たちに心配ばかりかける」

ある日のことだった。手品師さんとセレスティーヌは、夏のバカンスを利用して日本に帰国していた。そして画家さんのところを訪ねたら、そこで大騒ぎが起こっていた。

「わたしがいけないんです。渡を強く怒りすぎたから」歌穂さんがエプロンで顔をふきながら泣いていた。事情を聞いてみると、今年6歳になる渡が、画家さんの制作中の絵に落書きをしてしまって、それを歌穂さんがひどく怒ったのだそうだ。そうしたら、渡が泣きながら家を飛び出して行って、そのままどこかへ行ってしまったという。

「事故なんかにあってたりしたら大変だ」画家さんは自転車に乗り、公園や幼稚園など、渡の行きそうなところを探し回った。だが渡はなかなか見つからなかった。

その頃、当の渡は、しゃくりあげながら、見知らぬ小道を歩いていた。すがすがしい光が、竹の梢をすいて降り注いでいる。小鳥の声が聞こえ、ふしぎな香りのする風が吹いていた。
「おかあさん、おかあさんのばかあ」渡は泣きながら言った。渡は、お父さんの絵を、もっとすてきにしたかったのだ。お父さんの絵はとても面白くてきれいだけど、赤い色が足らないような気がした。それで、きれいな赤の絵具を、たっぷりと絵に塗りたくったのだった。

竹の梢がさやりと揺れて、どこからか透き通った笑い声が聞こえた。それと同時に、誰かが後ろから渡に声をかけた。
「ぼうや、こんなとこに、ひとりで、どうしたの?」
振り向くと、そこに、男の人がひとり立っていた。どこかで会ったような気のする人だった。渡は泣きながら、何かを言おうとしたけれど、涙ばっかりぽろぽろ流れて、何をいうこともできない。すると男の人は言った。
「言わなくていいよ。わかってる。君はお父さんのために、いいことをしてあげたかったんだよね」

渡はびっくりした。自分の思っていたことそのものを、知らない人が言ってくれたからだ。渡はうんうんとうなずいた。知らない人は、渡に近づいてきて、渡の頭を優しくなでてくれた。

「おとうさんは、君の気持ちをわかってくれるよ」知らない人は言った。不思議なやさしい声だ。鳥の声に似ている。渡はなんとなくそう思った。

「もうちょっと先にいこう。すぐそこに、小さな神社にのぼる石段がある。そこで、座ってまっていよう。そうしたら、誰かが君をみつけてくれるよ」
知らない人は、渡の手をひいて、一緒に歩いてくれた。そしてふたりで、神社の石段に座って、しばらく話をした。

「おじさん、だれ?」渡が言った。すると知らない人は言った。
「うん、ぼくは小鳥だ」
「小鳥?」
「うん、今は小鳥なんだ。人間だったときは人間の名前があったんだけど、小鳥になってから、それは使わなくなった」
「ふうん?」
「きみはなんて名前?」
「ぼくは、ふゆきわたる。めばえようちえんの、すみれぐみ」
「へえ、すみれぐみか。すてきだね」

小鳥さんは、やさしくて、声と目がきれいだと渡は思った。懐かしい香りがする。小鳥さんは渡に、おもしろい話をしてくれて、ふしぎな歌をひとつ、教えてくれた。

胸のこかごにすんでいる
銀のこりすが歌うたう
たったひとつの大切な 
小鳥は空にかくれてる

歌は簡単できれいなメロディで、すぐに覚えることができた。渡は小鳥さんと一緒に、何度もその歌を歌った。歌っていると幸せで、何だか、とてもいいことが、たくさんたくさん、起こるような気がした。

「渡!!」
突然、お父さんの声が聞こえて、渡は振り返った。真っ青な顔をしたお父さんが、自転車を降りてこちらに走ってくるところだった。画家さんは渡を抱き上げ、力いっぱい抱きしめた。
「渡!渡!さがしたぞ!」
「おとうさん、おとうさん!」
渡も、力いっぱいお父さんを抱きしめた。

「絵のことなんかいいんだ。おまえのおかげでかえってよくなった。さあ、帰ろう。渡、おかあさんが心配している」
「うん、そうだ、お父さん、あのね」
渡は小鳥さんのことをお父さんに言わなければならないと思って、神社の石段の方を振り向いた。だけど、そこには誰もいない。渡は「あれ?」と思った。そして小鳥さんのことを、お父さんに言った。
「親切な小鳥さんがね、ずっとぼくにお話ししてくれたんだよ。歌も教えてくれたんだよ」
画家さんは、何かを感じて、はっとした。竹林の上を、一陣の風が、ざっと吹いた。

「わたる? わたるか?」
画家さんがこずえを見上げながら言った時、小さい渡が、小鳥さんに教えてもらった歌を歌った。

胸のこかごにすんでいる
銀のこりすが歌うたう
たったひとつの大切な 
小鳥は空にかくれてる

画家さんの胸を、しみとおるような懐かしさが絞った。涙が見知らぬ生き物のように頬を流れていく。

おまえ、生きているのか、渡。

国境を越えて、きてくれたのか。

画家さんは小さい渡を抱きしめながら、見えない渡に心の中で言った。すると、耳の中で金がはじけるように、かすかな声が聞こえたような気がした。

(いつもそばにいるよ)

画家さんは小さい渡を自転車に載せて、家に帰った。歌穂さんも手品師さんもセレスティーヌも、大喜びで渡を迎えた。
画家さんは手品師さんに、竹林の小道であった不思議なことを話した。小さい渡が、気に入ったこりすの歌を何度も歌っている。

たったひとつの大切な
小鳥は空にかくれてる

その晩、画家さんと手品師さんは、アトリエで、夜が更けるまで話をした。ふたりとも、ふたりだけど、ふたりではないような気がしていた。

(つづく)



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ガラスのたまご・33

2015-03-06 06:49:22 | 瑠璃の小部屋

★本当の実力

今日はマジシャンの世界大会の日だった。力高い魔法使いが集まるこの日、町は夢のような気分に浸る。

ダニエル・ジェンキンズは、舞台の裾から、カツラギヒカルの演技を見ていた。ジェンキンズは、道化の化粧をし、派手な赤と白と紺の道化の衣装を着ていた。見た目はかわいらしく、頭の少し足りないドジな道化という感じだが、厚塗りの化粧の下には、鋭く他人の弱みや欠点を探す目がしきりに動いている。

マジックの終盤に、ヒカルは大きなボックスを出してくる。いつもの予定なら、何もないボックスの中に花束と指輪を入れて一回りすると、箱の中から妖精のような花嫁衣装を着たセレスティーヌが現れるはずだった。だがそうはならない。なぜなら、ボックスの外面にある、見えないスイッチのようなものを押すと、ボックス全体が崩れて、中の仕掛けが丸見えになるように、ネジをいくつか抜かれているからだ。

舞台を流れる音楽が変わった。ジェンキンズはにやりと笑う。あのパーフェクトと言われるヒカルの、大慌ての顔を見たくてたまらないと、彼は思っていた。
カツラギヒカルが、舞台の上で踊るように歩くたび、花が咲き、蝶が舞い、観客がその魔法に酔いしれる。今日の舞台のテーマはメルヘンだ。イメージのもとは詩人さんの詩集だった。青い蝶がひらひらと舞い降りてきて、手品師さんのステッキの先にとまる。手品師さんは愛おしそうに蝶を右手にとると、ふっと息を吹きかけて手を握り、また開くと、そこには小さな箱に入った婚約指輪があった。サファイヤの輝きを持つ、すばらしい宝物だ。手品師さんが左手から火花を咲かせてくるりと体を回すと、衣装が微妙に変わっていて、手品師さんは銀色の古風な花婿のスーツを着ていた。さああとは花嫁を待つばかり。

観客の興奮は最高潮だ。手品師さんの華麗な動きから目が離せない。さて、手品師さんは指輪の箱を握りしめると、ステッキを振りながら、何か不思議な言葉を言った。魔法の呪文だ。「アイヨ、オマエハイク!」

大きな箱が、舞台に運ばれてきた。ジェンキンズは、歯を見せてにやりと、歪んだ笑いを見せた。これでカツラギヒカルも終わりだ。

マジックは予定通りに進んでいく。いつの間にかアシスタントのセレスティーヌの姿が消えていた。よおし、予定通りだ。そう、そこだ、今お前が手をやったところにある、小さなスイッチ。それを押せ!

ジェンキンズは目に力をこめて、ヒカルの指先の微妙な動きを見つめる。かすかに、中指が動いた。その時、箱の上の板がぐらりと揺れた。

やった!! と、ジェンキンズが胸の中で叫んだ、その時だった。

箱は見る間に崩れていき、舞台の上に板の山を作った。予定ならそこで、花嫁衣装に着替える途中のセレスティーヌの姿があらわになるはずだった。だがそこにセレスティーヌの姿はない。ジェンキンズは驚き、息を呑んだ。

「ハーイ」と後ろから女の声がした。振り向くとそこにセレスティーヌがいて、にっこりと彼に笑いかけて、横を通り過ぎていく。ジェンキンズは呆然として彼女の姿を目で追った。いつの間にか、崩れた箱の中から大きな白い炎が燃え上がっていた。手品師さんがその炎に、指輪を入れると、炎は奇跡のように六羽の鳩に姿を変え、舞台の闇を星のように飛んで、手品師さんとその後ろにきたセレスティーヌの腕に止まった。

観客は大歓声をあげた。

ジェンキンズは息を呑んだ。こんな、こんなはずはない。だが目の前で、カツラギヒカルはにやりと笑い、勝ち誇ったように大げさなポーズで、舞台の裾にいるジェンキンズをステッキで鋭く指し、口をゆがめてにやりと笑った。

残念だったな! ばかやろう!!

手品師さんの心の声を、ジェンキンズは聞いたような気がした。ジェンキンズの頭の中を、言葉にならないものが渦を巻いている。まさか、こんなはずは…

現れた六羽の鳩は、手品師さんの呪文でもう一度白い炎に戻り、腕の一振りで炎は消えた。
観客が喝采した。

舞台は手品師さんが両手でふしぎな所作をして、まるで蝶を呼び込むように手の中に一枚のカードを出すところで、終わる。ハートの6だ。
「アイヨ、オマエハイク!」
もう一度呪文を唱えるとカードは消え、舞台は暗くなり、音楽がゆっくりと消えていった。

「はあい、お疲れ様!」セレスティーヌの声が聞こえる。ジェンキンズはぼうっと突っ立っていた。その横をカツラギヒカルが通り過ぎた。

手品師さんの舞台は大成功に終わった。ダニエル・ジェンキンズはまだ信じられないと言うように、舞台の裾で立ち尽くしていた。

「やあ、すばらしかったよ!」楽屋にいくとボブが訪ねてきた。手品師さんは手早く化粧を落としながら、にやりと笑って言った。「ボブ」
「なんだい?」
「正真正銘本当の自分の実力で、馬鹿をぶっ殺すってのは、たまらなく快感だね!!」そう言って笑う手品師さんを、ボブは驚きの表情で見た。

ダニエル・ジェンキンズが脳梗塞で倒れたのは、この日から約十日後だったそうだ。

(つづく)



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ガラスのたまご・32

2015-03-05 06:45:28 | 瑠璃の小部屋

★国境派

「集まったのは4人か」と画家さんは、アトリエの隅に立ちながら言った。アトリエには、彼のほかに、3人の芸術家がいた。一人は書家、一人は洋画家、最後のひとりは写真家。

「なんか妙な顔ぶれだね。年齢はそう違わんけど」書家が言った。
「あれがおもしろかったよ。棟方志功論。確かに、よくみればなんか人に見られたくないような線が見える。でもそんなことあまり大声でいうなよ。棟方を批判したら、きっといろんなとこから反発がくるぞ」洋画家が言った。
「君こそ、太宰批判はよした方がいいんじゃないの。ファンが怒るかもよ」写真家が言った。
「最近は人間がおかしいんだ。だから変なもんがはやる。太宰は好かん」洋画家が言うと、画家さんはほう、と息を吐いて言った。
「ようするに、どん詰まりなのさ。世界が何かに封鎖されて、皆が動くことができない。新しいものは次々と作られているけれど、それはよくみたら、どれも過去にあったものの巧みな焼き直しだ」
「巧みか。確かに巧みだよ。こういっちゃなんだけど、悪知恵が巧みな奴ほど、うまいことをやって、他人から要素を盗んで自分の作品を作る。一見おもしろいんだが、どこか、おかしいと感じるんだ。たぶん作品が自分のものじゃないからだ」写真家が言った。
「棟方もそうさ。こういったら怒る人はいっぱいいるだろうけど、あれがゴッホになるって言ったら、きっとゴッホはいやがる。馬鹿が、ゴッホ以外にゴッホになれるやつがいるかよ」洋画家が言った。
「同意見を持ってるやつがいるとは思わなかったな」画家さんが微笑みながら言った。

「国境派か。おもしろいネーミングだね」書家が言った。
「ああ、閉塞された世界に穴をあけて、真実新しいものを生むためには、越えられない国境を越えなくちゃいけない。その自分の国境を破るために、おれたち流の芸術運動をやってみたいのさ」
「うん。君の主張は痛いほどわかる。ぼくも、今の世界には、新しいものは何もないと思っている。テレビアニメなんかも、みんな同じようなものをあれこれいじってるだけじゃないか。ちっともおもしろくない」
「アニメーターにおもしろい奴知ってるけどね。独創的っつうか、少々変わった絵を描くんだ。まだ修行中だけど。声をかけてみようか?」
「ああ、人は多いほどいい」
「君の考え方は、ラファエル前派に似てるね。ぼくたちが苦しいと感じるのは、二〇世紀芸術だ。いいのもあるが、それも、生きにくい世界で必死に生きて、妙に歪んでしまってる。一九世紀以前の象徴主義、印象派、新古典主義、あるいはルネサンス、そんな、芸術がまだ楽にこの世で生きていた頃の芸術に戻りたいという」
「ふむ。ぼくもダリは大嫌いだ。初めていうけど」
「ピカソは?」
「もっと嫌いだ」
「キュビズムが嫌いな奴は結構いるよ。アビニョンなんて、まるで人間がばらばらにされてるみたいだ」

画家冬木忍は、国境派というグループを作り、新しい芸術運動を起こそうとしていた。それで彼は知り合いの芸術家に手紙を書いて呼びかけた。その中から、彼の考えに、少なからず同意してくれたのが、この三人と言うわけだった。

「君が動くのは、結構この世界で衝撃的だと思うよ。あの詩人、なんて言ったっけ?」
「鳥音渡だ。少し前、俺が描いた彼の肖像画を、首都圏のある美術館が買ってくれた」
「そう、それ、アメリカのどっかの美術館もその絵、買ったろう。レプリカの方だけど」
「あれは見たらびっくりするよ。言っとくけど、あの絵の中の詩人、まるで人間に見えない。あれは、人間に化けた何かだ」
「鶴じゃないか?夕鶴のつうみたいな。そんな感じがする」
「おお、さすがに書家、ぴったりだ。あれは、鶴の変化だよ。男だけどね」

渡のやつ、なんかみょうなことになりそうだな、と画家さんは思った。画家さんが描いた詩人さんの絵が、最近妙に人気なのだ。それとともに、鳥音渡の詩集もけっこうよく売れている。

「で、きみ、あの噂はほんとなの?」写真家が画家さんを見て言った。
「何?」
「だから君と鳥音渡ができてたって話」
画家さんはまたかという顔をして、言った。
「だからそれは嘘だって。何度言ったらわかってくれるんだ」
「しかしこの手の噂はしつこいぞ。実際、君は彼をモデルにしてたくさん描いてるし」
「君の絵が売れるのも、そのうわさがだいぶ影響してる。画家と詩人の恋ね」
画家さんは気分が悪くなってきた。実際、胃の中のものが喉まであがってきた。

「もういい、どうとでも言ってくれ。言っとくけど、俺は女房一筋だからな」

画家さんとこの日集まった芸術家たちが、最初のグループ展をするのは、これから数年後のことになる。彼らの運動はささやかなところから発展していき、やがておもしろいことになってゆくのだが、それはまだ言えない。

とにかく、今の画家さんは気分が悪かった。とんでもない野郎と恋仲にされてしまった。だが部屋の中にいるものたちの中で、気分を悪くしているのは、画家さんだけではなかった。

(じょうだんじゃないぞ。ぼくだってまっぴらだ。)

でもその声は誰にも聞こえなかった。

(つづく)



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ガラスのたまご・31

2015-03-04 06:54:39 | 瑠璃の小部屋

★きれいな目

「やあ、ボブ、わざわざきてくれてありがとう」
手品師さんは、茶色の髪の背の大きな男と、自宅の玄関先で握手を交わした。彼は、この国に来た時に手品師さんが雇った通訳であり、この国でできた最初の友人でもあった。

手品師さんはボブをリビングのソファに座らせると、早速話を始めた。セレスティーヌが何気なくセンターテーブルにコーヒーを置いていく。

「ダニエル・ジェンキンズについてだったね。一応知ってる情報は書類にしておいた。南部ではトップクラスのマジシャン兼タレントだ。よくテレビにも出てる。人気はあるけどね、マジシャン仲間の中では、芳しくない噂が流れてる。君も知ってると思うけど」
「ああ、目障りな若手を何人か潰しているっていうことは聞いた」
「そう。中の一人は自殺未遂を起こしてる。将来有望なマジシャンだったけれど、今は酒と薬の日々だ」
「たまらんね」
「まあ、どこの世界にも、馬鹿はいるよ」
「ふむ」

手品師さんは小さくため息をついた。「今度の大会で、ぼくはジェンキンズの後に舞台に出ることになってる。そのときが彼の狙いだと思うんだ。ぼくの推測だけどね」
「たぶんね。気を付けた方がいい。例のアシスタントは行方不明のままかい?」
「ああ。舞台の助手はセレがひとりでやってくれることになった。それは何とかなるんだけど、ふむ」
手品師さんは額に深いしわを寄せながら、手をあごにあてつつ、目を閉じて何かを考えている。ボブはコーヒーを持ってソファから立ち上がり、何気なく、リビングの壁に飾ってある絵を見た。

「おや? こんな絵、前にもあったっけ。なかなかキュートな娘だね」
それを聞いたとたん、手品師さんは思わず飲みかけたコーヒーを吹き出しそうになった。

「ボブ、冗談はよせ。よくみろ、それは娘じゃない、れっきとした男だ」
「へえ? ほう。あらま、そういやあ、女にしちゃ、胸がぺったんこだ。東洋系の顔は難しいな。よく間違える」
「まあ、彼は東洋人としても細いほうだったから。髪も長いし、後ろ姿をよく女性と間違われてたよ」
「ふーん。友達かい?」
「ああ。もうとっくに死んでるけど」
「へえ?」
ボブは肖像画の中の詩人さんの顔に見入った。そして不思議そうな顔をして言った。
「きれいな目だねえ。こんな目してるやつ、めったにいないぜ」
「君もそう思うかい?」
「ああ、正直にいうけど、こりゃ女に間違われてもしょうがないよ。男として生きていける顔じゃない。男ってやつあ、どんな正義漢でも、もっと黒い影をもってるもんだ」
「するどいな、ボブ。ほんと、そんなやつだった」

手品師さんは昔を思い出すかのように、遠い目でコーヒーに写る自分の顔を、しばし見つめた。

ボブはコーヒーを一気に飲み干すと、言った。
「まあとにかくだ。ジェンキンズはかなり汚いことを平気でやれる馬鹿だ。舞台の前日まで、気をつけたほうがいい。今も、コソ泥が家の周りをうろちょろしてるかもしれない」
「ああ、ありがとう、ボブ」
「すばらしい君の舞台を期待してるよ。ぼくが君の一番のファンだからな、この国では」

手品師さんとボブは、玄関先で握手を交わして別れた。

「おい渡。おまえ女の子に間違われたぞ」
リビングに入るなり、絵を見て手品師さんが言った。するとどこからか、誰かの声が聞こえたような気がした。

(ひっでえ)

(つづく)




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ガラスのたまご・30

2015-03-03 06:39:20 | 瑠璃の小部屋

★小鳥の歌

「国境…国境か……」
その日画家さんは小さな渡をベビーカーに乗せて、それを押しながら外を散歩していた。産休が終わったので、歌穂さんはまたパートに出ているのだ。だから昼間に渡の世話をするのは自然に忍さんの仕事になる。

190センチの画家さんが、小さなベビーカーに赤ん坊を載せて町を歩く姿は、けっこう目立つ。でも画家さんは気にしない。イクメンなんてことばがはやる昨今ではあるし、渡はかわいい。やれることならなんでもしてやりたくなるもんなんだよ、子供ってのは。ほんと、不思議だな。

画家さんは時々、生きていた頃詩人さんが住んでいた家の前を通る。今でも、詩人さんのご両親が住んでいる。一人っ子だった詩人さんをなくしてから、ご両親はめっきりとふけこんでしまったそうだ。

早死にするなよって俺が言ったら、お前はいつも言ってたよな。自分みたいのがけっこうしぶといんだって。あほが。あっけなくいっちまいやがって。

画家さんが、詩人さんの家の前でしばし立ち尽くしていると、ベビーカーが動かないのに業を煮やしたのか、小さい渡がごねて泣き始めた。画家さんはあわてて、ベビーカーから渡を抱き上げて、あやす。「よーしよし、泣くな、わたる」

その赤ん坊の声を聞きつけたのか、詩人さんの家の玄関ががちゃりと開いて、中から詩人さんのお母さんが出て来た。お母さんは、画家さんと小さい渡の姿を見て、思わず笑顔になり、ふたりに近づいてきた。

「まあ、かわいい。おおきくなりましたねえ、渡ちゃん」
「ええ、もうすぐ8か月です」
「渡ちゃん、渡ちゃん、いい名前ねえ。おばさんの子も、渡ちゃんだったのよ」

そういって小さい渡を見つめる、お母さんの目のふちに涙がにじんだ。お母さんはあわてて涙を指で拭き、画家さんに言った。
「もしおひまなら、寄っていってくださいませんか。お茶かコーヒーなど、召し上がって行ってください」
そういわれて断れるわけがない。画家さんは渡を抱いて、お母さんのあとについて詩人さんの家に入って行った。

仏壇のある広い部屋に案内されて、渡を抱いた画家さんは座布団に座った。仏壇を見ると、小さな写真立ての中で詩人さんが笑っていた。画家さんは仏壇の前で手を合わせ、写真の中の詩人さんの顔を見た。すると、何だか自分の子供を見ているような気持ちになって、つらくなった。もし、この小さな渡が死んじまったら…俺も死ぬかもしれない。

しばらくして詩人さんのお母さんがコーヒーを持ってきてくれた。画家さんはいただきます、と言ってコーヒーを一口飲んだ。世間話のようなことを二つ三つ交わした後、お母さんが言った。

「今度、渡の、第3詩集を出すことにしたんです」
「え、第3?」
「ええ、その、亡くなった渡のパソコンのパスワードを調べてもらって、開けてみたら、未発表の詩がたくさん出てきて、それでもう一冊、詩集を出すことにしたんです」
「ああ、そうなんですか、それはいいなあ。何かぼくに協力できることがあれば、やりますよ。前のときは表紙の絵も描いたし」
「ええ、ありがとうございます。今悩んでいるのは、詩集のタイトルのことなんです。わたしはあの子ほどの文才もセンスもないから、どういうタイトルをつけてあげたらいいか、わからなくて」
「渡、どんな詩を残してたんです?」

画家さんが訪ねると、お母さんは小さな詩を、暗唱してくれた。何度も何度も読んで、覚えてしまったそうだ。

金と銀の太陽を
サンダルにして
神様が歩いていく
遠い昔 にんげんが
ここからは入ってくるなと言って
地球に書いた国境のそばを
うろうろと歩いている

神様は国境の向こうに行きたいのに
いけなくて困っていた
それで神様は たまたま通りかかった
小さな白い小鳥に相談なさった
どうすれば 人間の国へゆけるだろうと
そうしたら小鳥は言ったのだ
わたしに乗ってください 神様
わたしはあなたを運んでいけますから

神様はおどろいたけれど
小鳥があんまり自信たっぷりなので
ためしに金のサンダルを
小鳥の背中に載せてみた
すると神様のお体はサンダルごと小さくなって
ちょこんと小鳥の背に乗った

だからほら こんな風にして
神様は小鳥に乗って
ぼくたちのところにやってくる
時々 小鳥の声が
だれかが何かを言っているように聞こえるのは
このせいなんだ

「いい詩ですね。渡らしい」
「あの子は、やさしすぎたんです。何もかもに、やさしくしようとして、背負いきれなくて、結局は」
お母さんは唇を震わせた。こめかみをつかんで涙をこらえようとしてできずに、ひとすじしずくが頬を流れた。

画家さんは愛おしそうに、詩人さんのお母さんを見つめた。小さい渡が、膝の上で、ああ、と声をあげる。画家さんは仏壇の詩人さんの写真をまた見た。そのとき、風が一息、耳元を吹いた。雀がちゅんと鳴いて、それが不思議な言葉のように聞こえた。

(小鳥の歌)

画家さんはそれを自分のひらめきだと思って、お母さんに言った。
「そうだ、『小鳥の歌』ってのはどうです? 渡の詩には、よく小鳥が出てくる。確か、世界はたった一羽の小鳥でできてるって…」
「ああ、ああ、それはいいですねえ」

こうして、鳥音渡の第3詩集、「小鳥の歌」が出ることになった。画家さんは詩集のために、小さな小鳥の絵をペンで描いた。

鳥音渡は生きている。まだ、言葉の中に。神様のように、小鳥に乗って、この世界に来ているのかもしれない。国境を越えて。

「国境か。国境を超えなければ、できないことがある。それがどんな難しい国境でも」
画家さんの胸の中で動いていた夢の卵の中から、何かが生まれようとしている。

(つづく)




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ガラスのたまご・29

2015-03-02 07:01:12 | 瑠璃の小部屋

★苦いコーヒー

その日手品師さんはオフで、自宅の倉庫でマジックの道具の点検をしていた。
この国に来てもう何年たつだろう。手品師さんはここでも、順当に頭角を現し、多くの人にマジシャンとして名を知られるようになっていた。

日本の観客と違って、こちらの観客は点が辛い。けれど、手品師さんがその真価を見せると、反応の強さが違う。舞台は観客との戦いだ。ゲームで勝利を獲得するためにも、手品師さんは注意深く道具の点検をする。

一通りの点検を終えて、倉庫から出ようとしたその時だ。

(ひかる)

手品師さんは懐かしい声を聞いたような気がして振り向いた。すると、倉庫の奥の方の床で何かがきらりと光っているのが見えた。近づいてよく見ると、それは小さな金色のねじだった。手品師さんは青くなり、そのねじの近くにある、大きな箱の点検を始めた。…やはり。大事なところの隠しねじが、三本なくなっている。

そのとき、セレスティーヌが倉庫に入ってきて、言った。
「ヴィックが行方不明だわ。携帯にも出ないし、自宅アパートの電話にも出ない」
ヴィックというのは、手品師さんがこちらの国に来てから雇った助手のことだった。

「セレ、悪いけどこれと同じネジ3本、とってくれないか。それとドライバー」手品師さんがネジをセレスティーヌに渡しながら言った。セレスティーヌは倉庫の隅のボックスからネジを3本とドライバーをとってきて、手品師さんにわたした。

「どうしたの?」
「この箱の隠しネジが抜かれてた。こんなとこのネジ、プロでもめったに気付かないはずだが。危ないところだった」

セレスティーヌは深いため息をついて言った。
「ヴィックのせいかしら。だとしたらきっとジェンキンズよ。裏にいるのは」
「あまりそういうことは言うもんじゃない」
「日本ではね。でもここは違うわ。ママが言ってた、汚い人間はいるものよって」
「君のママは賢いね。だが事前に見つけることができてよかった。ほかの隠しネジも点検しておこう」

手品師さんは倉庫から出ると、何やらぬるい疲れを感じて、パソコンの前に座った。画家さんからのメールが来ていた。頼んでいた絵ができたという内容だった。

「注文通り、少しサイズを大きくして描いた。写真を添付したから見てくれ。文句がないなら、3日後にそっちに送る」

手品師さんはメールに添付されていた写真を見た。出来上がった絵の中で、詩人さんが笑っていた。手品師さんはその顔を見ると、胸が苦しくなってきて、言った。

「君くらいだな、真正面からまるっきり信じても、安心できた人間は」

「わたしもいるわよ」
後ろから、トレイにコーヒーを載せて持ってきたセレスティーヌが声をかけてきた。
「ああ、そうだったな。ありがとう、セレ」
コーヒーを受け取りながら、手品師さんは言った。

(ひかる)

また、どこからか声が聞こえたような気がした。手品師さんは、はっとして、絵の中の詩人さんの顔を見た。

「君が、たすけてくれたのか? 渡」

詩人さんは笑ったまま、返事をしない。手品師さんの目に、少し涙がにじんだ。口に含んだコーヒーが、苦かった。

(つづく)




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