世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

アパトサウルス

2015-10-11 04:01:51 | 瑠璃の小部屋

2012年頃、ヤフーブログに発表したもの。





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Lucky Rabbit Dragon

2015-10-10 04:01:12 | 画集・ウェヌスたちよ

制作年不明。便箋のための原画。




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夢占い

2015-10-09 04:06:57 | ちこりの花束

 さてある日、私は恐ろしい夢を見ました。3羽のオウムが、3つの鳥籠にそれぞれ閉じ込められて、舞台のような所に並んでいます。その周りには、なんと何万というトカゲの死骸が、山となって広い舞台を埋め尽くしているのです。どうもオウムの餌みたいなのですが、それにしてもものすごい量。で、私の仕事は、どうもその死骸の山を掃除することらしいのです。確かに私は夫と一緒にお掃除屋さんしてるけど、…いやだなあ、誰かほかの人がやってくれないかなあ…、と思っているうちに、目が覚めました。さて、印象的な夢でしたが、どういう意味でしょう?
 言葉をしゃべるオウムが3羽、鳥籠に閉じ込められているということは、心に秘密を持っている、要するに嘘をついている人がたくさんいるということです。周りに積み重なったトカゲの死骸は、その嘘のお陰でたくさんの犠牲が出ているという意味を読み取れます。それを掃除しなければならない、ということはつまり、その嘘で汚れてしまった言葉の世界を、少しでも美しく、正しい姿に戻していかねばならない、おまえはそういう仕事をしなければならないのだと、無意識が私に教えてくれているのではないか。
 むちゃな。そんな難しいこと、できるかなあ…。


(2004年3月ちこり30号、コラム)




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あした

2015-10-08 04:00:39 | ちこりの花束

 どんなときにも、なにがあっても、あしただけは無尽蔵にある。
 それは人間にとって大きな恵みであるような気がします。
 目の前に、超え難い壁があって、何度チャレンジしても超えられなくて、失敗ばかりして、おちこんで。でもしばらくすると、何、あしたがあるさって、そう思うと、肩の荷もふと軽くなる。
 たいしたことじゃあないさ。あしたになればまた状況も変わるだろう。そしてひとのきもちもかわってゆく。自分だって変わってゆく。時は日々流れて行く。いつまでもこの悲しみが続くわけじゃない。
 だから今、今のこの痛みを、涙や歌に流してしまえば。あしたへの力が湧いてくる。あしたには、あしたの私がいる。
 「あした」はいつも、「今」を乗り越えるキーワードでした。たくさんの「今」の風を切り抜けてきて、その「今」の積み重ねが、このただ今の「今」の中にいる私。
 あれこれとたくさん失敗したわりには、それほど大きな成果があったわけではなく、ただ積み重ねてきた「今」の分だけ深くなった私がいる。
 そして私は今も、常に「あした」を見ながら、生きている。


(2006年8月ちこり37号、ミニエッセイ)


   

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リンゴ

2015-10-07 03:46:41 | 月夜の考古学・本館
リンゴ(セイヨウリンゴ) Malus domestica

 バラ科リンゴ属。
 あれは私がまだ学生だった頃。私は、ある少女の失恋の場面に出くわしたことがあります。何げなく入った喫茶店で、軽い昼食をとっていた時、たまたま座った席の、隣の席で、一組のカップルが別れ話をしていたのです。いけないとは思いつつ、つい耳をそばだててしまいました。
 話の内容から、男性は医学部の学生のようでした。女性は、色白でふくよかな顔をした、かわいい人でした。そして、一方的に別れを突き付けているのは、彼のほうでした。タバコをふかしながら、彼は、彼女の欠点をつき、過去の失敗を例にあげて、いかに自分の言っていることが正当かと言うことを、言い立てていました。彼女はただ、うつむいて、黙って聴いていました。
 話を聞きながら、私は彼の高飛車な話し方に、げんなりしたものです。なぜ彼女は、あんな男とつきあったのでしょう。多分、それは、彼が医学部だから…。当時、医学部の学生は、ただそれだけの理由でもてていたものでした。多分彼には、ほかにもたくさん寄って来る女性がいたのでしょうね。だから、まるでガムを噛み捨てるように、いらなくなった彼女を捨てることも、できたのでしょうか。
 美形なアイドルやお金持ちがもてはやされる、この世間を見て育った私たち。誰でも一度や二度は、そういう表面的な価値に迷うことがあるのです。そこで失敗を経験してこそ、人生や愛について深く考えるようになる。長い人生から見てみれば、何と言うことはない、学びの過程です。
 彼も彼女も幼かった。目先だけの価値しか見えず、愛について何も知らなかった。若さ故の、惨憺たる恋。彼女はそこから何を学んだでしょうか。
 真実の愛を、本当にわかるためには、人は何度か奈落に落ちなければならないんです。一度は、本当に深く傷ついてみなければ、人は愛する事の本当の意味を、わかることができない…。だから、愛に傷ついたことのない人の方が、傷ついたことのある人よりも、本当はずっと不幸なのです。
もう二十年も前の話。彼も彼女も、今はいい大人です。あれから、彼らは、どんな人生を歩んだのかな…。


(2004年12月花詩集19号)





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希望

2015-10-06 03:58:49 | 瑠璃の小部屋

2011年頃。ヤフーブログに発表したもの。

色鉛筆、パステル







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ちいさなてんし

2015-10-05 04:11:11 | ちこりの花束


ちいさなてんしがごあいさつ
ぶらんこゆらしてごあいさつ

やあ またあいましたね
いきてるかぎり
こうして あいたいですね


(2006年8月ちこり37号、短詩)




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だきしめるには

2015-10-04 03:53:13 | ちこりの花束

 だきしめるには 小さすぎ
 てばなすなんて ぜったいできない
       (「詩の絵本」マーガレット・ワイズ・ブラウンより)

 表題の詩のタイトルは「たからもの」。レナード・ワイスガードの描いた挿絵には、ビンの中に大切に封じ込められた、一匹のほたるが描かれています。
 このたった二行のことばに、わたしは生きる人間の幸せと喜びが凝縮されていると思います。
 美しく豊かなこの世界に、神様が忍び込ませたそれこそ無数の、金貨のような幸せの一つを、子供は見つけた。なんて美しいほたる! まだ幼い子供はその宝物の扱い方を知らない。一匹のほたるが、神様の胸からどんなに深い愛を運んで来たかまだわかることはできない。ただ目の前の小さな奇跡の火花を見て、自分の中に起こった愛の気持ちに高鳴るままに、どきどき、わくわくしている。
 感動が彼の魂を豊かにし、愛のともしびをかきたててゆく。何げないたった一匹の虫が、取るにたらない小さな虫けらが、子供の心に運んできたものは何だったろう。
 ひとりの子供に、愛することの幸せを教えるために。野に放たれた一匹の虫が使われたのだ。それは奇跡のような出会い。そしてこの世界には、そんな奇跡の出会いがあふれている。ただ、人がそれを見逃しているだけなのです。


(2006年4月ちこり36号、言霊ノート)



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戦う男たち

2015-10-03 03:34:34 | アートの小箱
フランツ・フォン・シュトゥック、「ヘラクレスとヒュドラ」


フランシスコ・デ・スルバラン、「ネメアの獅子と戦うヘラクレス」


レオン・ボナ、「若き日のサムソン」


グイド・レニ、「ゴリアテの首をもつダヴィデ」


アンドレア・マンテーニャ、「ゴリアテの首をもつダヴィデ」


アントニオ・デル・ポライウォーロ、「ヘラクレスとアンタイオス」


前に彼女が「男性」というテーマで、優しげながらもたっぷりと皮肉を込めた記事を書いていたが、私は今回、「戦う男」というテーマで絵を探してみた。いろいろ見てみたんだがね、ヘラクレスとサムソン、そしてダヴィデの3人しか見つからなかった。ペルセウスやテセウスなどはあまり好きではない。オデュッセウスは良い絵が見つからなかった。

男には誰しも、ここぞというところで、おのれを賭けて戦わねばならないときがある。その時のために、これらの絵のイメージが助けになるだろう。よく見ておくがいい。敵は獅子か、巨人か、それとも怪物か。何であろうと、戦わねばならない時は、男は勝利のイメージを胸に燃やしつつ、突き進んで行かなければならない。

尻尾を巻いて逃げて言い訳しているような男は男ではない。男ならやらねばならぬという場面にぶち当たった時、これらの絵のイメージはおおいに君たちの役に立つことだろう。

行動せよ、男性諸君。たとえそれが死の壁にぶつかることであっても。
かのじょの皮肉に負けたまま、何もしないでいるつもりかね。




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紫陽花の葉陰で

2015-10-02 04:24:15 | 月夜の考古学・本館

(2003年7月、花詩集2号)









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