◇『闇と影』(上/下)(原題:The English Monster)
著者:ロイド・シェパード(Lloyd Shepherd)
訳者:林 香織
つい先ごろ読んだ『リトル・クロウは舞いおりた』(著者:マーク・T・サリヴァン)は、リトル・クロウ
と呼ばれるトレッキング・ディア・ハンターの物語。豊かで苛烈なカナダの大自然とオジロ鹿との
闘いの物語とと思いきや、案に相違してアクションものだった。
妻をハンターに鹿と誤って射殺された大学教授が、アメリカインディアンの呪術を身に着け、あ
るハンティング・ツアーグループとそのガイドに対し復讐を挑む。そしてハンティング・ツアーの一
員でありアメリカインディアンの血を引くるリトル・クロウが死力を尽くしてこれに立ち向かう。雪
に 閉ざされたカナダの森林での壮絶な復讐劇は、息詰まるアクションの連続でハラハラし通し
だった。
今度読んだ『闇と影』は言ってみれば英国の時代小説、大英帝国の揺籃期の物語である。これ
までは近・現代イギリスを舞台にした推理ものしか読んだことがなかったので、これまた新鮮な
思いで読み進んだ。
話は17世紀中ごろの、新世界の植民地化をもくろむスペインやフランスにとって代わろうと盛
んに暗躍していたピューリタン革命のころの話と、19世紀の初め、ロンドンのテムズ河川警察署
管内で起きた惨殺事件をめぐる話が交互に語られる。この二つの流れがどこで結びつくのかわか
らないまま二つの話が延々と続く。
なにしろ17世紀当時まだシティ以外に基盤が固まっていなかった頃のワッピングやドックランズ
など、低湿地だったテムズ川下流の沿岸開発以前の様子がヴィヴィッドに語られて実に興味深
かった。
ロンドンで一旗揚げようとオックスフォードシャーの田舎から出てきたビリー・アブラスは、海賊の首領
モーガンに雇われスペインやポルトガルの商船を襲ったり、アフリカで奴隷狩りに加わったりし
次第に重きをなす。新大陸フロリダで原住民に襲われたものの、九死に一生を得てやがて故郷
に帰る。しかし船乗りとして、海賊としての世界を忘れがたいビリーは、妻を残し再び海へ。ジャ
マイカでサトウキビのプランテーションで財を成すが、ジャマイカで副総督となったモーガンの葬
儀への途次、雇っている奴隷らに囚われてしまう。影の犯人はモーガンのかかりつけの医師ス
ローン。
一方、19世紀の初頭。テムズ川沿岸港湾商業地の治安を司る治安判事ハリオットとその部下ホ
ートンは、服地商マー一家と雇人のジェームズが惨殺された事件に取り込まれる。捜査が難航す
るうちにまた似た惨殺事件が起こる。ホートンの行き付けの居酒屋<王の紋章>亭の親父ウィリ
アムソンとその妻が、マー一家惨殺と同じ手口で殺 されたのである。共通のカギは現場に残され
た1枚のスペインのペソ銀貨。
一体犯人はだれか。
実はビリーはフロリダで原住民に囚われた際、その地の老婆に呪いをかけられて、不死身の体
になった。それはありがたいことか、悲しいことか。スローンはビリーを捉えロンドンに連れてきて、
王立協会の一室に幽閉し永遠の命の秘密を探ろうとする。彼は19世紀にも生き延びたうえ囚わ
れの身から脱し、イギリスでは法で禁じられることとなった奴隷売買に再び手を染めて、奴隷貿易
に必要な食料や衣服などを調達する過程で、服地商のマーや食糧売買のウィリアムソンとの商談
のこじれから彼らを殺す。
所轄のシャドウェル署の治安判事はビリーの飲み仲間ジョンを犯人として捕らえる。ビリーは
看守を買収しジョンを自殺に見せかけて絞殺する。そこにも1枚のペソ銀貨が残された。無能な
警察に非難の声が殺到する。事件はハリオットの友人グレアムの手に委ねられることとなった。
そしてついに新たな証言でビリーは逮捕される。しかし、何たることか王立協会の横やりでビリー
は釈放される。だが、これはグレアムの策略だった。法の下でビリーを裁くことは難しい、実力行
使で葬るしかないとハリエットとホートンを口説いてビリー爆殺の挙に出て成功する。
おぞましきビリー・アブラス(The English Monster)は死んだ。
珍しく長々とあらすじを書いてしまった。これは二つの殺人事件を初めいくつもの歴史的事実を
元にしており、小説というよりも一種の物語である。大航海時代に乗り遅れた当時の小国イギ
リスが、エリザベス一世の下、奴隷売買という破廉恥な所業で国富を蓄えたという歴史的事実を、
切り裂きジャックとともに知られた「ラトクリフ街道殺人事件」と組み合わせ綴った、壮大な読み物
として楽しめる。
(以上この項終わり)