◇ 『セロトニン』(原題:Serotonine )
著者:ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)
訳者:関口 涼子 2019.9 河出書房新社 刊
フロランという46歳のフランス人男性。肉付きが良くずんぐりしている。ちょっとアル中気味。
いわゆるスノッブ。アッパーミドルに属すると信じている。その証拠に、<庶民階級出身の読者
のために説明を付け加えると、ペアレンタル・スイートルームとは、寝室のすぐ脇にドレッシングル
ームと浴室が付いているものだ>などと宣う。環境科学生命工学学院を出て、巨大化学会社モンサン
トに就職するが農業食糧省に転職し、契約調査員として農業森林地方局に在籍している。結構高給を
得ているらしい。
フロランはこのところセロトニンの分泌が不調らしく抗鬱剤のキャプトリクスを常用している。
(脳内セロトニンとは神経伝達物質の一つで、感情や気分のコントロール、精神の安定に深くかか
っているとされる。)
最新の同棲者のユズ(日本人)の性的放縦さに嫌気がさして蒸発、ホテル暮らしの生活を始める。
心には過去に愛した女性との思い出と深い絶望が渦巻く。売れない女優のクレール、最高の知性を
持った弁護士のケイト、双極性障害のエレーヌ、結婚も考えた獣医専攻の研修生カミーユなど女遍
歴の数々。中でも弁護士のケイトと研修生カミーユへとの別れへの悔悛の念は強い。
放浪の旅に出たフロランはクレールやエレーヌに会ってみたものの、あまりの変容に尻込みする
だけ。カミーユの下を訪ねるが会うだけの勇気がない。結局大学時代の友人エムリックを訪ねる。
環境科学生命工学学院における無二の親友であったエムリックはフランス・ノルマンディーの有
力な貴族の出で、城と広大な農地を持つ。彼は酪農経営を決断する。5年後に遭った時は二人の子
をもうけたものの経営がうまくいかず疲労困憊していた。その妻エセルも疲れ切っていた。
そして15年ぶりに訪ねてみれば、エセルは著名ピアニストとロンドンに駆け落ちし、落ち込んだ
エムリックは荒んだ生活に沈んでいた。
フロランはフランスの酪農は数が多すぎるから事業からて手を引いた方が良いと忠告したが、既
に危機感を抱いていたエムリックを含む酪農家グループは、銃を手に抗議行動に走り、その最中に
エリックは自殺してしまう。
フロランは思う。自分が亡くなる前に自分の人生で何らかの役割を果たした人たちにもう一度会
いたい。
どうにも忘れ難いカミーユにもう一度会いたい。しかし手紙も電話も掛ける勇気が出ない。彼女
が住む町を訪れ、カミーユが営む動物病院診療所の前にあるバーで彼女が現れるのを時間も待つ。
カミーユは15年前の姿と少しも変わっていなかった。
結局声も掛けることもなく、思い出だけが通り過ぎていく。夜中に頻拍が高まり、多汗と吐き気
が襲ってきた。自分の行動をコントロールできなくなった。最早完璧に立ち直ることはないと確信
する。
翌日も彼女を見張っていると5歳くらいの男児がいることが分かった。車の後をつけると二人は湖
畔のロッヂに入った。フロランは近くにある冬季閉鎖中のレストランに押し入り、3週間にわたって
親子を見張る。そしてあの息子がいなくなれば、またカミーユが自分を愛するようになる筈だと、カ
ミーユが診療所の出かけた留守を狙って、手持ちの銃で男児を狙う。しかし突如指が震え始めて銃弾
は外れてしまう。
名実ともに狙いが外れたフロランはすっかり落ち込んでついに終の棲家を探し始めた。隣人と顔を
合わせなくてよい高層マンションの一室を手に入れる。トーマス・マンの『魔の山』を読もうと思っ
ていたが結局コナン・ドイルに替えた。そして部屋から飛び降り自殺する状況を想像したりする。
(考えてみれば僕の人生は奇妙な風に過ぎていった。カミーユと別れてから何年もの間、僕は、遅
かれ早かれ二人はまた出会い直すだろう、それは不可避なことだ、だって僕たちは愛し合っているの
だからと自分に言い聞かせていた…。)
読み終えてみれば、華やかな人生遍歴を経て、46歳にして世の中の辛酸を嘗め尽くしたような気持
ちになってしまったあげく、普通の社会生活と人間関係から遊離してしまい、絶望の中、思い出に
「引きこもり状態」に陥った、個人主義のフランスの中年男が辿った緩慢な死の物語である
(以上この項終わり)