リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

貝供養

2020年09月18日 12時22分15秒 | ローカルネタ
その手は桑名の焼き蛤で知られる当ブログではなく桑名では、日常的にしじみ、あさり、蛤などの佃煮を常食する人が多いです。市内には貝なんとかという屋号の貝類の佃煮屋さんがたくさんあります。

一番有名なのは貝新ですが、貝新を名乗るのは、「新之助貝新」「貝新新七商店」「新九郎貝新」「貝新フーズ」があります。この中で新之助貝新が一番有名で地方(関東、九州など)にも支店があります。ただまぎらわしい名前もあって、東京にある「貝 新三郎」という店は四日市の業者さんがやっていて、桑名の貝新とは関係がないようです。貝新以外にも、「貝藤」「貝茂」「貝増」「伊勢しぐれ」などがあり、これだけあるのに皆さん繁盛しているようですから、桑名の人は貝の佃煮をよく食べるようです。

感謝の念を込めて「貝供養」も行っているようです。今朝の新聞チラシです。



市内の専正寺には文政6年(1823)建立された「蛤墳(こうふん)=貝の供養碑」があり、次のような歌が刻まれています。

あまおふねのりのみ声にはまぐりの貝の耳にもとめてしのばむ 一雲山人行業

セールは一週間もありませんので、忘れないで買いに行かないと。(笑)


田村厚生労働大臣

2020年09月16日 15時52分59秒 | ローカルネタ
菅内閣が今夜発足します。政治のことはよくわかりませんが、手堅い布陣でときどき話題になるトンデモ大臣はいないと言われています。ITを普及する省庁のトップがコンピュータを使ったことがない、というほとんどマンガのような方とか防衛のことは全くシロウト以下というような方は一切ご免です。

新内閣は各派閥からバランスよく入閣していると言われていますが、総裁の座を争った石破氏の派閥からもひとり入閣しています。三重1区選挙区から出ている田村憲久氏です。氏は伯父の田村元氏の引退に伴い、その地盤から出馬して現在8選を重ねています。氏と別に面識があるわけではないのですが、実は氏が政界に打って出るという初陣式のパーティーに呼ばれたことがあります。

場所ははっきり覚えていませんが、松阪市にほど近い割と普通のレストランだったような気がします。氏の後援会に入っている知り合いから、出陣パーティの余興で何か演奏してくれないかと依頼されました。私は快諾し、何を演奏しようかと考えましたが、ちょうど新しいテオルボを買ったばかりだったので、それを使うことにしました。今から30数年前のことです。

演奏した曲は覚えていませんが、たぶんピッチニーニのチャッコーナあたりを弾いたような気がします。政治家の出陣パーティでテオルボの演奏なんて滅多にないことですが(実際後にも先にもそういう依頼はありません)今から思うとすごい取り合わせです。田村氏はまだ若く初々しく、ジーンズを穿いて登壇、挨拶をされていました。新大臣はそのときのことをまだ覚えてらっしゃるのでしょうか。

UPS(4)

2020年09月09日 15時06分26秒 | ローカルネタ
雷や停電に備えるために、自作機の最終仕上げで無停電電源装置を導入したわけですが、日本は災害が多い国です。当地ならまず水害に備える必要があります。1959年の伊勢湾台風時に、我が家は床下浸水被害を受けたのですが、今コンピュータ機器、楽器、楽譜を置いてある部屋は1階です。

うちの近所の多くは伊勢湾台風後に新築されましたが、何軒かは浸水した高さまで盛り土をしてそこに家を建てています。我が家も同じやり方で家を建てました。伊勢湾台風と同じ浸水であれば、玄関のステップが少し水がつく程度ですが、周りのすべての堤防が決壊する大きな水害が起これば水位は1階を越えます。(370年前に大水害の記録があります。昨年9月5日のエントリをご覧ください)

そういう被害が想定される事態になったらもう垂直避難しかありません。最初から大事なものはすべて3階にというのがもっとも正しいのでしょうが、いまさら難しいです。

あと日本には地震も多いですが、東南海地震での津波は多分大丈夫でしょうが、内陸とか伊勢湾奥海底断層が震源となる大地震が起こったらもうアウトです。揺れもすごいでしょうしすぐ津波も襲来しますので、逃げ切れない可能性が大です。この手の地震は東南海よりずっと周期は長いのがまだ救いですが、私が生きているときに起こらないよう祈るしかありません。

とりあえずできることは、本棚が倒れないようにするとか本が下におっこちないようにする、あと大切なデータはクラウドに、このくらいでしょうか。あとは運しだいです。すべてを守るのは不可能です。優先順位はやはり命が一番でしょう。

歌行燈

2020年08月24日 20時46分02秒 | ローカルネタ
先日のテレビ東京WBSの白熱ランキングは、この夏人気の通販鍋料理をやっていました。この暑いのに鍋料理とは思うのですが、なんでもコロナで自宅調理の機会が増え、簡便においしく頂け栄養もある鍋ものが人気だとか。

そのベストテンの第7位に歌行燈桑名畜養の「はまぐりうどんすき」がランクイン。1位ではなくて7位とは、桑名らしいではありませんか。



歌行燈というのは泉鏡花の小説「歌行燈」の舞台になったうどん屋だと主張する老舗のうどん屋さんです。50年ほど前は桑名の七里の渡しにほど近いところに小ぢんまりしたうどん屋さんでしたが、そのメニューにあった「歌行燈」という名のセット料理(釜揚げうどん、てんぷら、ごはん、香の物)が大人気で、それにあやかり屋号を「歌行燈」にしました。今では桑名に2軒、首都圏にもお店があります。

その歌行燈が地元の蛤生産業者「丸元水産」桑名畜養とタイアップして売り出しているのがランクインした「はまぐりうどんすき」です。実はまだ食べたことはないのですが、見るからにおいしそうです。蛤は高価ですので結構いいお値段ですが、買いに行ってみようかなと思います。歌行灯のホームページを見てみましたら、テレビのワイドショーヒルナンデスでも取り上げられたそうですから品薄になっているかも知れません。

YAHOOショッピング「歌行燈」

ちなみにここで使われているはまぐりは地はまぐりではありません。中国などから輸入したものを年月をかけて天然物に近い環境で畜養したものです。天然物もありますがそれだととてもこのお値段でいただくことはできません。生まれは外国ですけど桑名生活が長いので、たぶん味は大きくは変わらないと思います。60年くらい前までは、しじみや浅利よりは高かったとはいうものの、それでも今の畜養物よりもずっと安く買えました。昔は贅沢だったんですね。

地味に暑い!

2020年08月19日 16時20分40秒 | ローカルネタ
本日当桑名地方は普通くらいの猛暑でしょうか。全国的にもとびぬけた暑さのところはないようです。といっても猛暑の基準である35度は優に超えていますが。桑名は昨日の午前中は気象庁の観測値ランキングでは4位にランクインしていましたが、午後には後退していき10位以内には入っていませんでした。

一昨日は最高気温39.2度を記録しましたが、その日は浜松が観測史上タイの41.1度を記録した日です。この41.1度になった原因はフェーン現象のためと説明されていますが、桑名の39.2度もフェーン現象だったと思います。

三重県の気象予報では、県北部は四日市の予報が代表して出ていして、桑名の予報が出ることは少ないです。でも実は桑名は三重県では一番暑いところだと思います。(2018年8月に39.8度を記録しています)

桑名の気象観測データはあまり取り上げられないのか、数年前の大雪のときも、四日市より雪が多かったにもかかわらず、テレビの気象情報では取り上げられていませんでした。名古屋の業者さんが桑名の西の方(山がちのエリア)に仕事があったのですが、四日市の大雪は知っていましたが、桑名地方は特に取り上げられていなかったので大丈夫だと思い出かけたら、行ってみてびっくりしたという話を聞いたことがあります。

時代は一気に飛び、戊辰戦争で桑名藩は会津藩とともに重要なポジションでありましたが、なぜか桑名藩のことはあまり取り上げることはありません。地元の小学校でもどのくらい扱っているのでしょうか。少なくとも私自身が小学生のときは何も学校で教わることはありませんでした。

第二次大戦の空襲で焼失した市街地の割合が全国で一番だという話も聞いたことがあります。実際旧市街地の大半が丸焼けになりました。

何事につけてもひっそりとあまり表立って出ることがない当地方、今年も地味に暑いです。

静かな夏

2020年07月19日 14時47分31秒 | ローカルネタ
例年なら桑名の石取祭り(いしどりまつり)の稽古が各町内で行われていて、市内のあちこちで鐘や太鼓の音が夜まで鳴り響いています。今年は祭りが行われませんので静かなものです。(神社祭礼は執行されるそうです)いつもより梅雨明けが遅くなっていることと合わせ、全く夏の到来という感じが致しません。こういう感覚は桑名で育った人でないと実感はないかとは思いますが、あの鐘や太鼓の壮大な音の中に入ると、いしどりや、よくぞ桑名に生まれけり、なんて思ったりします。

桑名の東海道筋にある町家の町内にはほとんど石取祭りの祭車があります。私が住んでいます町内にもかつては祭りに参加していましたが、人手と財力が足りないためもう60年以上前に参加を取りやめました。ながらく保管していた祭車も、長島温泉に貸与を経て鈴鹿市神戸のとある町内に売却しました。現在は祭車の車庫の土地がそのまま残っているだけで、実際に祭りに参加したことがある人も少なくなってきました。


元ウチの町内祭車。


レストアされ元あった以上の装飾が施されています。

町内の若手で、といっても団塊の世代以降の人ですが、祭りの記憶がある人はほとんどいません。私はかろうじて鐘をすった記憶が残っていますが、小学校に入る前だったと思いますので、記憶は断片的です。ところが不思議なことに町内の鐘すりパターンはきちんと記憶しています。今でもやれといわれば完全にできます。

石取り祭りの鐘・太鼓は、鐘の定型的なパターン(西洋音楽に例えるなら、通奏低音とかバッソ・オスティナートになります)に合わせて即興的に太鼓を叩きます。そのパターンは各町内独自のものですが、おおまかに分けて五ツ拍子系と七ツ拍子系に分けられます。多くは五ツ拍子ですが、ウチの町内はその少数派の七ツ拍子です。近所だと東鍋屋町が七ツ拍子で、ウチと一か所異なるだけであとは全く同じです。

七ツ拍子は、間に入る休符が多く、一見間延びしているように思われがちですが、そこには「コラサー、コラサ」とか「ソーリャ」といった合いの手が入ります。最近の太鼓の叩き方も即興とは程遠く、「ドン、ドン、ドン(休み)、ドン、ドン、ドン」だけのワンパターンの繰り返しばかりですっかりレベルが下がってしまいました。私が小さいころは、鋲打ちなどを入れてもっと複雑で華麗な叩き方をする人が必ずいました。

江戸時代末期に桑名日記をものした桑名藩士渡部平太夫がいうところの「町衆の派手な祭り」である石取祭り、来年こそは壮大・豪壮かつ華麗なサウンドを夜空に響かせたいものです。

※ちなみに、市のポスターなんかで石取り祭りを、世界一(日本一?)「やかましい」祭り、と表現しているのはまったくいただけません。「やかましい」ということばは否定的な意味合いが強く、なぜこのことばを選んだのか、語彙力および感性不足が残念です。

信長の焼き討ち以来!

2020年04月01日 17時40分14秒 | ローカルネタ
多度神社(桑名市多度町)の上げ馬神事が今年は中止だそうです。上げ馬神事は、少年騎手が馬を駆って高さ2メートルを超える崖を超える勇壮な神事です。

プロの競馬騎手ならいざ知らず、それまで乗馬経験のない少年が馬に乗って走るだけでも大変なのに、坂を駆け上がり崖を超えるのは勇壮ではありますがとても危険が伴うものです。騎手が恐怖で断念したり、落馬して亡くなるという事故もかつてはありました。崖を乗り越えたかどうかで豊作か凶作かを占います。この神事は700年近い歴史があるそうです。ただ祭事自体は縮小して行うとのことです。

新型コロナウィルスが蔓延している昨今ですが、「無観客」で上げ馬神事だけはやると思っていましたが、完全中止のようです。第2次世界大戦中も継続されていましたが、中止になるのは何でも信長が多度神社を焼き討ち(元亀2年=1571年)以来だそうです。今回の新型コロナウィルス禍は100年に一度の大疫病だと言われていますが、令和2年における上げ馬神事中止は、それをはるかに上回る450年に一度の歴史的出来事になります。

みくらやさん

2020年03月12日 14時51分23秒 | ローカルネタ
今日はとてもいい天気です。新型コロナウィルスが蔓延しつつあるとは思えない平和な昼下がり、コンサートの中止をお知らせする手紙を出しついでに近所をふらっと散歩してみました。

歩きながらふとおもいついたのが、お餅屋さんであります「みくらや」さんです。



お腹も空いている頃ですので、つい中に入ってしまいました。ここのみたらし団子がとても美味しいんです。大体よそのみたらしは、タレといいますか醤油自体が甘くべっとりとしていますが、ここのみたらしは香ばしい醤油のみで焼き上げています。団子自体も甘い味付けがなく、米粉本来の味わいがいたします。

中に入ると店主のおじいさんと奥さんが出てらっしゃって、本来はみたらしだけの予定が、草餅と花見団子も買ってしましました。



昔娘がまだ日本に住んでいた頃よくみたらしを買ってきてくれましたが、自分で行くのは実を言うと初めて。近所には美味しい和菓子屋さんが多いですけど、ここも行きつけのお店に加えましょう。

さよならブロンコビリー朝日店

2020年02月21日 12時14分52秒 | ローカルネタ
ステーキチェーン店、ブロンコビリー朝日店(三重県三重郡朝日町)が24日限りで閉店になります。この地に開業したのが1999年といいますからもう20年以上前です。



我が家もここにときどき食事に行きます。食べ放題サラダバーとデザートを付けてそこそこのお値段、お腹いっぱいになります。今週の17日~今日(21日)まで、これはチェーン店全店で実施だと思うんですが、なんと20%オフなので食欲旺盛な方で連日賑わっています。



同じ敷地にK'S デンキがありましたが、ここも閉店します。こっちはあまりお客さんが多くなく、いつも閑散としていましたので、やっぱりという感じです。


すでに解体が始まっているK’Sの店舗。右の黄色い建物がブロンコビリー。

ブロンコビリーはK’Sさんが閉店して土地の所有者が替わり存続できなくなったからでしょうか。それともチェーン店全体が不調なのかよくわかりませんが、いつも賑わっていただけに残念です。まぁまだ近所の別の所にもありますので、これからはそちらに行くことに致しましょう。

陽気に誘われて・・・

2020年02月13日 15時42分06秒 | ローカルネタ
昨日バロック音楽の旅講座に参加された方からメイルを頂きまして、最終回に出席できなかったので資料が欲しいとのことでした。で、今日の午前中に近くにの和菓子屋さんの前まで来て頂くことになり、資料をお渡ししました。確か80を超えてらっしゃる方だと思いますが、とてもお元気な方でまた来年度を楽しみにしているとのことでした。

今日は外に出てみると春のように暖かい日です。せっかく外にでたのでちょっと近くを散歩することにしました。青空が見えて日が差していましたが、四方は結構分厚い雲がありました。晴れているのはこのあたりだけなのかな?



私の散歩の定番コースは走井山行きです。ここは戦国時代に矢田城というお城があったところで、今は一帯が公園になっています。ここはまた桜の名所としても知られています。一帯は小高い丘で、あの有名な刀鍛冶村正の工房もこのあたりにあったそうです。ふもとの三岐鉄道北勢線馬道駅のそばには町屋川から流れてくる用水が健在です。こういうのはもう大概は暗渠になっているのですが、ここは昔と変わらないきれいな水が流れています。



階段を上っていくと走井山勧学寺の正面にでます。



あたりには庚申塔や戦没者の霊を祀る殉難の碑、そしてお菊稲荷神社と白龍龍神という神社もあります。お菊稲荷には賽銭を上げてお参りをしてきました。しかしこの両神社のいわれはどういったものなのでしょう?解説の看板がほしいところです。実はこのあたりは私が高校生の頃の帰りの通学路で毎日通っていたところです。このあたりはなんかちょっと不気味な感じもしていましたが、あまり関心はなく通り過ぎるだけでした。でもこうしてずっと存在しつづけているのはなんかいいものですね。

近くにはこんな句碑もありました。



なんて書いてあるんでしょうねぇ。400年以上前にロンドンで出版された本は読んでいるくせに、日本語のものはからっきしだめというのは情けないはなしではあります。※ネットで調べたらわかりました。「琅扞の竹ひびかせて木の葉降る(梶島一操)」です。うむ、琅扞ってなんでしょ?調べると「ろうかん」=真珠色をした美しい石。また、美しい竹の別名。なるほど。

帰りは、馬道駅横の水路を追いながら帰りました。


ここで北勢線をくぐり抜けます。


奥の高い建物は桑名高校のふもとにあるマンションです。


北東に向かって行きます。


養泉寺というお寺の前です。この左側の細い道は高校時代の行きの通学路。


この先暗渠になります。どこにつながるのかな?大山田川かしら。

そして一度に広軌、狭軌、ナローゲージの線路を渡れる世界で唯一の踏切、益生第4号踏切・桑名駅構内踏切・西桑名第2号踏切三重踏切、を一気にわたり国道1号線に出て帰宅致しました。