(4)「御上手ですね」
(コンサート終了後、演奏家の知り合いで少し楽器習ったことがある方が楽屋を訪ねてきて)
知り合い:「先生、ホントに御上手なんですね」
こういう場合、演奏家は「下手ならコンサートみたいやらんわい」と突っ込むとよろしい。その道の大家(まぁ、例えば、ギターのアンドレス・セゴヴィア)に「いやぁ、御上手!」と言うと失礼になるのは誰にでも分かりそうなものですが・・・「御上手」と言われたその演奏家は、実は知り合いには大して上手いと思われてなかったのかも知れません。その場合ならなおさら「御上手」と御上手を言わない方がよろしい。
(5)「とても私には」
(コンサート終了後、演奏家に習っている弟子(まだ楽譜もろくすっぽ読めない)が楽屋を訪ねてきて)
弟子:「いやぁ、とても私には、先生みたいに弾けません」
あきらめないで欲しいですねぇ。(笑)でも楽譜もろくすっぽ読めない弟子に比較された演奏家のセンセイはきっと違和感を感じたでしょう。「とても私には」式の言い方は弟子同士で、例えばこんな感じで。
弟子A「あなた、うまいねぇ。とても私にはそんなに上手く弾けませんよ」
弟子B「またまた~。Aさんの方がずっと御上手ですよ」
弟子A「そんな、あなた・・・」
(以下、延々とお互いに褒めたたえ合う)
演奏家同士が「とても私には・・・」とやったら、これは宣戦布告になります。(笑)
さて、これまでに挙げた例は、すべて、上下関係、例えば年齢の上下、社会的地位の上下、実力の違いの明白さ等、があるときの言葉遣いが無頓着になっている傾向があるということを表す例です。日本語はもともと年齢の上下が言葉遣いのベースにあり、社会的地位や実力なんかはそのベースに乗っかって意識されるので、さらにややこしい。でもこういうことを無視した日本語って、ちっとも美しくないと思うんですが、どうでしょう?
(コンサート終了後、演奏家の知り合いで少し楽器習ったことがある方が楽屋を訪ねてきて)
知り合い:「先生、ホントに御上手なんですね」
こういう場合、演奏家は「下手ならコンサートみたいやらんわい」と突っ込むとよろしい。その道の大家(まぁ、例えば、ギターのアンドレス・セゴヴィア)に「いやぁ、御上手!」と言うと失礼になるのは誰にでも分かりそうなものですが・・・「御上手」と言われたその演奏家は、実は知り合いには大して上手いと思われてなかったのかも知れません。その場合ならなおさら「御上手」と御上手を言わない方がよろしい。
(5)「とても私には」
(コンサート終了後、演奏家に習っている弟子(まだ楽譜もろくすっぽ読めない)が楽屋を訪ねてきて)
弟子:「いやぁ、とても私には、先生みたいに弾けません」
あきらめないで欲しいですねぇ。(笑)でも楽譜もろくすっぽ読めない弟子に比較された演奏家のセンセイはきっと違和感を感じたでしょう。「とても私には」式の言い方は弟子同士で、例えばこんな感じで。
弟子A「あなた、うまいねぇ。とても私にはそんなに上手く弾けませんよ」
弟子B「またまた~。Aさんの方がずっと御上手ですよ」
弟子A「そんな、あなた・・・」
(以下、延々とお互いに褒めたたえ合う)
演奏家同士が「とても私には・・・」とやったら、これは宣戦布告になります。(笑)
さて、これまでに挙げた例は、すべて、上下関係、例えば年齢の上下、社会的地位の上下、実力の違いの明白さ等、があるときの言葉遣いが無頓着になっている傾向があるということを表す例です。日本語はもともと年齢の上下が言葉遣いのベースにあり、社会的地位や実力なんかはそのベースに乗っかって意識されるので、さらにややこしい。でもこういうことを無視した日本語って、ちっとも美しくないと思うんですが、どうでしょう?