リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

バッハの無伴奏チェロ組曲第6番の編曲(1)

2015年03月22日 15時26分11秒 | 音楽系
無伴奏チェロ組曲は1番~4番まで編曲し録音もしています。5番はBWV995を編曲してリサイタルでも演奏していますので、あと6番だけが残っています。


アンナ・マグダレーナ・バッハによる筆写譜(1723-31年頃)

昨年来6番を編曲しようとずっと楽譜を眺めていましたが、なかなかとっかかることができませんでした。というのも、第1曲目のプレリュードの冒頭をどう処理するべきかずっと悩んでいたのです。冒頭の音型はまったく同じ音型がニ長調、イ長調、ト長調と出てきますし、よく似た音型も随所に見られます。つまり冒頭の音型が全体を支配しているわけで、ここをいじれば全体に影響します。

リュートやギターでバッハの無伴奏チェロ組曲を演奏しようとするとき、バッハは完璧なラインを書いているので、何も足さずもちろん引かずそのまま弾くのがベストであるという一見もっともなことをおっしゃる方もいらっしゃいます。確かにバッハのチェロ組曲の書き方はとても巧みで完璧です。でもこれはチェロ等で弾くために書かれています。

一般的な認識とイメージが異なる言い方ですが、チェロは音が延びない楽器、リュートは音が延びる楽器です。チェロは音が残らない楽器、リュートは音が残る楽器といった方がわかりやすいかも知れません。バッハはこの特性を生かしてチェロのためのライン(バスやハーモニーが響くように巧みに作られたライン、あるいはバスを暗示させるような作りのライン)を書いています。その書き方が楽器の特性、性能において完璧に書かれているのです。

BWV995の「リュートのための組曲」は無伴奏チェロ組曲第5番をバッハ自身が編曲したものです。それぞれを比較すると、バッハがリュートに編曲するにあたり、いろんなバスやハーモニーを加えたり音型を変えていることがわかります。無伴奏チェロ組曲をリュート用に編曲するには楽器の特性の違いから必ずこういった作業が必要になってくるということをバッハ自身認識していたということです。

ではとにかくバスをつければいいのかというとそこが難しい。いい加減なバスではいけません。バスが最小限あるいは暗示されているだけのオリジナルを見て、通奏低音のバスがどう流れているかを知った上でバスを書かなくてはなりません。

さて件の6番プレリュードの冒頭、これは実はバスの問題はなく音型の処理の問題だけです。オリジナルはこのようなものですが、これをどうするかでホント1年くらい悩んでいました。



(1)はオリジナルの音型に近いパターン。(2)はあまり使わないでしょうけど(3)とか(4)は行けそうです。でも冒頭の音型が調を変えて出てくることやリュートでのプレイアビリティも考慮して結局(5)で行くことにしました。

これが決まってから編曲はスムーズに進んであとサラバンドとジグを残すのみとなっています。この曲は実は5弦の楽器のための作品で、普通の4弦のチェロでそのまま弾くのはとても困難です。おまけに自筆譜が失われているので、18世紀中に書かれた筆記ミスも含まれている4つの筆写譜が1次資料になります。ですから19世紀や20世紀に出版された楽譜を底本にして編曲をすると場合によってはえらい目にあいます。現在出版、録音されている版で間違いや見落としあるいは軽はずみな解釈がいつのまにかそのまままかり通ってしまい、もはやだれも疑うことのない事柄になっている箇所もあります。もちろん長い年月、多くの研究者、演奏家の手をを経てきていますのでそういったことが頻発しているわけではありません。でもあります。世の中一度は常識を疑ってみるべきです。というような話題はまた次回に。