リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

バッハの無伴奏チェロ組曲第6番の編曲(4)

2015年03月29日 14時26分58秒 | 音楽系
私は(1)の版でアレンジを進めていました。実はこれしか持っていなくて、少々筆写ミスが多い感じがするけどバッハに近い人だから、いいだろうということで選びました。件の箇所で「このソはラでも行けなくはないので、ひょっとしたら書き間違いかも。他の版はどうなっとるんかいな?」と思ってIMSLPで(2)~(4)を探して見てみましたら、全てソだったのです。

このソの音は解決音であるファ♯を伴わないので、間違いだと判断されたのでしょうが、このような解決を伴わない導音の扱いは、クーラントにも見られます。すなわち、クーラントの前半、後半のそれぞれ最後から2小節目の最後の音がその例です。特殊な使い方でしょうけど(変といえば変です)、第6番の中で特徴的に使われている手法だとも言えます。(でもクーラントのこの部分はリュート編曲で処理に迷うところではあります)

18世紀の筆記者の中で、バッハの新妻であるアンナ・マグダレーナは何のためらいもなく「ソ」にしていますが、(2)のケルナーは間違えて「ラ」と書いてしまったのを音符の下を塗りつぶして「ソ」に見えるようにしていますし、(3)の筆記者もちょっとタメがはいった書き方です。(4)は(1)と同じように正確に書かれています。確かにここは「おっと、間違っちまった」となるところですが、4つの筆写譜が全て最終的には「ソ」となっているということは、写す元の楽譜(あるいはその元も)やはり「ソ」だったということでしょう。

これって要するに、19世紀の初め頃に大した検討もせずに、前の小節の同じ部分が「ラ」なので、単純に「ハイこれは間違い。「ラ」が正しいですね」なんて軽く考えて「ラ」にしていまったのを、それ以降の全ての楽譜、そしてその演奏も何も疑うこと無く踏襲してしまったということなんでしょうか。考えようによっては恐ろしい話です。4つの重要なソースで一致していることをこうも軽々しく捨ててしまうとは。ギター編曲のいくつかなんかクーラントの同様の箇所の導音もあっさりと捨てていますが、まぁこれは論外でしょう。

IMSLPでオリジナルソースを探しているときに興味深い論文を見つけました。Shin-Ichiro Yokoyama 氏の英文の論考です。英語で書かれているのは彼がフランス在住だからのようです。それによると件の部分のことももちろん載っていましたが、それ以外のこともいろいろ書かれていました。他の組曲で私がすでに編曲して録音までしてしまったもので「やられたー」というものありました。(笑)これについては次回。

バッハの無伴奏チェロ組曲第6番の編曲(3)

2015年03月29日 00時11分11秒 | 音楽系
さて角倉一朗氏の「バッハ作品総目録」によりますと、バッハの無伴奏チェロ組曲の1次資料は4つあります。残念なことに自筆譜は伝えられていませんので、全てバッハ以外の人が筆写した楽譜です。

(1)アンナ・マグダレーナ・バッハによるもの(1720年代)
(2)バッハの弟子のヨハン・ペーター・ケルナーによるもの(1720年代)
(3)ベルリンにある筆記者不明のもの(18世紀後半)
(4)ウィーンにある筆記者不明のもの(18世紀末)

これらが元になり、19世紀以降の版が作られています。問題なのは、これら4つの筆写譜に筆写ミスがあって、それらの検討が不十分なまま現代に流布している版ができてしまったことです。

でも音楽的にも問題がなく、上記4つの筆写譜においても一致しているにもかかわらず、19世紀の旧バッハ全集や20世紀の新バッハ全集他の多分全て?において恣意的に変更されている部分があります。

例えば、プレリュードの第91小節目の一番最後の音、これは(1)~(4)の筆写譜では全てソになっているのですが、新しい版では皆ラになっています。このソは次の第92小節めのニ長調の主和音を導く音(導音)としてとらえることが出来る音でとても意味があると思います。ところがいろんな録音を聴いてみてもこの音をソで弾いている録音はひとつもありません。カザルスもクイケンもです!