リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

評論家たち

2020年01月13日 16時22分11秒 | 音楽系
今佐々木譲の小説「抵抗都市」の書評が新聞に出ていました。あえて引用は致しませんが、うまく書いてあるもんです。この作品の内容に対してこんなにうまく書く方法があるもんだと惚れ惚れしました。評価は「一押し」でした。文芸評論というのは小説と対峙するくらいのジャンルだなという感じが致します。

以前テレビで、超精密造形の動物を作っている作家の特集をやっていました。その番組で著名な美術評論家がその作品を見て、最初に発したことばが「よくやるなぁ」でした。まぁご自分は文を書いていればいいので、芸術に携わる人よりは楽でカネも儲かるんでしょう。ついホンネが出たという感じでした。

最近新聞のコラムでこんな話が紹介されていました。明治時代には美術品の作品目録が沢山出されていてそれが今ではとても安価で手に入ることもあり人気なんだとか。その中である目録だけは、異例の高値なんだそうです。なぜかというとその目録の作品が全て贋作でかつある逸話があるからです。その逸話とは・・・当時その目録の作品を褒めちぎった美術評論家がいたのですが、あとで16歳の少年が模写したものが目録に掲載されていたということがわかり、その評論家氏は失脚しました。

武満徹が若い頃、「2つのレント」というピアノ曲を発表したとき、某音楽評論家が「音楽以前である」と書いて、武満は映画館の暗闇でひとり泣いたという逸話があります。まぁ多少盛られているのかも知れませんが、ありそうな話です。この評論家はコンサートに行かずに評論を書いたとか、実は楽器は何もちゃんとひけなかったという噂があった方でした。作曲する方は苦労して作品を生み出すのですが、それとまるで対等の立場であるかのように文章で主張、場合によっては攻撃もできるわけです。

もう大分昔ですが、ナントカという有名な医者の助手をやっていたというので有名になった方がいて、その方は音楽がわかるというので、音楽批評を書いていました。でも私は見たことがありますよ。ジョスカン・デ・プレのことをホスキン・デ・ペレスっていってレコード評を書いていたのを。(笑)オソマツのひとことです。

世の中色んなジャンルの評論家がいますが、こと芸術分野に限って言えば、同じ文章で勝負している文芸評論家を除いては、芸術家とは対等ではないと思いますし、そもそも同一線上に立つべきではありません。すばらしい評論書く方も知っていますが、中には勘違いしている人もいます。私の近所(桑名市内ではありませんが)にもいます。誰ですって?いえいえ、それは口が裂けても言えません。