リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

継承と改変

2023年07月14日 17時27分51秒 | 日々のこと
テレビのワイドショーを見ていましたら、沖縄のある地区の伝統行事の一環で行われるアヒルの捕獲競争が動物虐待だと言うことで動物愛護団体が刑事告訴したとのことでした。アヒルの捕まえ方がいけなかったのか、捕まえてからが乱暴だったのか、それともその行事自体が虐待そのものだったということでしょうか。

ウチの近くの多度地区で行われる「上げ馬神事」も動物愛護団体から指摘されています。こちらは別の団体のようです。「上げ馬神事」でぐぐって関連団体のHPを見て見ますと、「・・・馬に対する虐待的暴力が行われています」ということばが目に突き刺さってきます。

ワイドショーでは外国の例も紹介されていました。追いかけてくる牛の代わりに牛の絵を描いた大きなボールが転がってきてそれを避けながら逃げる人たちのビデオが紹介されていました。ここまで変えてしまうとなんか別のものになってしまうような。

こういう流れで行くと、例えばイルカショーなんかはどうなんでしょうか。日本の伝統芸で皇室にもゆかりがある鵜飼いは?動物園は?ペットの犬に服を着せるのは?なんかよくわからなくなってきます。

個人的に感じることですが、ここ50年60年で私たちの「世界観」が大きく変わってしまったような感じがします。その数十年前あるいはもっと前ではそれほど大きく変わらなかったのに。

「世界観」というのは少し大げさな言い方ですが、自分の周りにいろんな虫や動物が共存して、まだ糞尿を肥料にして、牛や馬やときには犬が動力として使われ街中で見られた時代に、生き物とどう関わっているかという見方です。

子供の頃のウチは他のウチと多分同じように土の縁の下があり、そこには蛇が住んでいました。ときどき家の中に入ってきてとぐろを巻いていることもありました!ネズミもいました。猫を飼えばネズミを食べます。蛇も餌にしていることでしょう。

ハエやカは大量に飛んでいました。くみ取り式のトイレが普通で、下を見るとウジが一杯いてここからハエがわいてくるということも知っていました。畑にいけばキャベツに青虫がたくさんくっついていましたし、収穫期の田んぼのあぜ道はイナゴが飛び交っていました。

そういう世界ですから犬を飼っても上にあげることはふつうしませんでした。(お隣の踊りのお師匠さんは座敷にスピッツを上げてかわいがっていました。)上にあげる犬は座敷犬なんて言っていました。

私も犬を飼っていたころがありました。小学校の4年生くらいだと思います。



写真の後ろが犬小屋です。基本的に人が住んでいるエリアには犬を入れませんでしたし、もちろん上にあげることは絶対しませんでした。

Z世代の人たちからすると信じられない世界かも知れませんが、これが60年前の日本(の地方都市)です。今の尺度でいえば汚いことこの上ありません。大気中には野生のハシカウィルス(麻疹ウィルス)水疱瘡ウィルスなんかもただよっていたんでしょう。

こういう環境で子供の時代を過ごしてきた人間からすると冒頭に書いたような動物愛護の動きは、言われてみればそうかもしれないけど少し複雑な思いを持ちます。でもそういう時代なんだからと言われたら納得せざるを得ませんが。