大学にいると若い人と接する機会が多いです。若い人はたくさんの可能性を持っていて、しかし経験はあまりありません。体力があって徹夜などの無理もききますが、効率よく仕事をするなどというのはまだ会得できていません。物事を大局から見るというようなことも経験不足からなかなか難しいです。しかしそれでも、自分の将来というものを考えなきゃなりませんから、悩みます。どんな分野に自分の得意とするものがあるのか。自分はどんなことならもっともっと努力してステップアップしていけるのか。これというものが見つかった後も、自分は本当にこの分野に向いているのか。こんな働き方でいいのか。悩みはつきないでしょう。
でも、それでいいのだと思います。
一足飛びに「これ」というものが見つかるものではありません。紆余曲折して人から遅れたように見えても、人生失敗じゃありません。寄り道したときに見たことが、後で大切な経験になることも多々あります。
私は25才で結婚しましたが、結婚後、夫は勤めていた会社を辞めて大学院に戻りました。その間私が働いて、学費も払い、子どもも産みました。その後大学院を修了した夫が遠くの土地で大学教員のポジションを得たとき、私は最初の職を辞めました。今度は夫が私の授業料を払ってくれて、私は大学の研究生となり、やりたかった免疫の研究を始めました。その後非常勤講師の口があり、そうこうしているうちに学術振興会の特別研究員に採用され、アメリカに研究赴任する機会を得ました。結局向こうで職を得て5年半いましたが、今は仙台にある大学で教員をしています。夫は変わらず最初の大学で教鞭を執っています。子どもは二人になりました。
最初に夫が仕事をやめたとき、周囲の人は大変心配し、年齢のこともあって再就職は難しいのではないかとよく言われました。私は自分が働いていたので、夫に仕事(大学のポジション)が見つからなくてもなんとかなるさ~と思っていました。その後自分がやめたときにも、「定年まで勤められるところをやめるなんてもったいない」などとずいぶん言われましたが、私自身は新しいところへ行く希望にあふれていました。自分を変えるというのは難しいことだけれど、外圧で変われるならいい機会だと思いました。
その後、アメリカに行って、私はいろいろなことを勉強しました。もう一度やれといわれたら「けっこうです」と断りたいくらい大変でしたが、あの経験がなかったら今の自分はありません。もっと言うと、最初の職を辞めていなければ今の自分は絶対にありませんでした。
ただ、本当に厳しい日々を送ってきたことは確かで、後のポジションの保証はどこにもありませんでした。振り返ってみて、タイトル通り、人生無駄なことはひとつもないなあと実感しています。すべての重荷は自分にとって必要なことでした。しかしその当時には全然わからないものなのです。重荷だと思っていることが役に立つかどうかなど。
ですから、若い人にはそのことをちょっと覚えておいてもらいたいのです。一足飛び、最短距離を行くことがベストではないということを。回り道はむだではないということを。失敗だったと思うことにも必ず意味を見いだせるのだということを。
今日わざわざこんなことを書いたのは、私の周囲の若い人たちに少し違う視点も持ってもらいたいと思う事があったからなんですが、もう少し話したいことがあるので、それは明日以降にしたいと思います。
でも、それでいいのだと思います。
一足飛びに「これ」というものが見つかるものではありません。紆余曲折して人から遅れたように見えても、人生失敗じゃありません。寄り道したときに見たことが、後で大切な経験になることも多々あります。
私は25才で結婚しましたが、結婚後、夫は勤めていた会社を辞めて大学院に戻りました。その間私が働いて、学費も払い、子どもも産みました。その後大学院を修了した夫が遠くの土地で大学教員のポジションを得たとき、私は最初の職を辞めました。今度は夫が私の授業料を払ってくれて、私は大学の研究生となり、やりたかった免疫の研究を始めました。その後非常勤講師の口があり、そうこうしているうちに学術振興会の特別研究員に採用され、アメリカに研究赴任する機会を得ました。結局向こうで職を得て5年半いましたが、今は仙台にある大学で教員をしています。夫は変わらず最初の大学で教鞭を執っています。子どもは二人になりました。
最初に夫が仕事をやめたとき、周囲の人は大変心配し、年齢のこともあって再就職は難しいのではないかとよく言われました。私は自分が働いていたので、夫に仕事(大学のポジション)が見つからなくてもなんとかなるさ~と思っていました。その後自分がやめたときにも、「定年まで勤められるところをやめるなんてもったいない」などとずいぶん言われましたが、私自身は新しいところへ行く希望にあふれていました。自分を変えるというのは難しいことだけれど、外圧で変われるならいい機会だと思いました。
その後、アメリカに行って、私はいろいろなことを勉強しました。もう一度やれといわれたら「けっこうです」と断りたいくらい大変でしたが、あの経験がなかったら今の自分はありません。もっと言うと、最初の職を辞めていなければ今の自分は絶対にありませんでした。
ただ、本当に厳しい日々を送ってきたことは確かで、後のポジションの保証はどこにもありませんでした。振り返ってみて、タイトル通り、人生無駄なことはひとつもないなあと実感しています。すべての重荷は自分にとって必要なことでした。しかしその当時には全然わからないものなのです。重荷だと思っていることが役に立つかどうかなど。
ですから、若い人にはそのことをちょっと覚えておいてもらいたいのです。一足飛び、最短距離を行くことがベストではないということを。回り道はむだではないということを。失敗だったと思うことにも必ず意味を見いだせるのだということを。
今日わざわざこんなことを書いたのは、私の周囲の若い人たちに少し違う視点も持ってもらいたいと思う事があったからなんですが、もう少し話したいことがあるので、それは明日以降にしたいと思います。
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