院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

「医療」と「福祉」は同格ではない

2006-07-02 06:15:44 | Weblog
 「医療」と「福祉」は車の両輪だといわれている。だが、それは厳密には正しくない。本当は「福祉」が「医療」を包含しているのである。

 病院というところには医者よりも前からナースがいた。病院の前身は修道院である。ナースの先祖は修道尼である。現代のナース・キャップは修道尼のベールの名残りだという説もある。

 中世には病院はなかった。医者はみな開業医だった。当時、修道院は恵まれない人や病気の人を修道院に置いて、修道尼がめんどうを見ていた。病人が悪化すると、修道尼は町の開業医を呼んで診てもらった。

 開業医は何度も呼ばれるので、中には修道院に住み着いてしまう医者も出てきた。住み着いた医者が治療をし、修道尼が看護をする――これが病院の初まりである。病院にはまず医者がいて、助っ人として後からナースを雇ったのではない。歴史的にはナースが医者を雇ったのである。

 すなわち、「福祉」は「医療」より以前から存在していた。「福祉」はある意味で貪欲である。「福祉」は利用できるものは何でも利用する。飢えた人のために食糧を集め、貧乏人のために金を集め、病人には「医療」を与えた。だから「医療」と「福祉」は車の両輪といった同格のものではなくて、「医療」は「福祉」が利用する選択肢のひとつに過ぎなかった。

 わが国で「医療」と「福祉」が同列に扱われるようになったのは、そう古いことではない。第2次世界大戦後、GHQの公衆衛生福祉局長クロフォード・F・サムスが「日本に新しい医療福祉システムを確立するには、疾病の予防、医療、社会福祉、社会保障の4分野を車の4輪のごとく推進することが必要だ」との理想のもとに、占領下の公衆衛生政策を行ってからである。

 サムスは、国民の栄養管理、ワクチンなどの疾患予防、性病の届出制度、医学教育などの多方面において大きな業績を残した。保健所の数も激増させた。サムスは「医療」と「福祉」の両方を保健所にまかせた。そもそも位相が違う仕事を同一組織に負わせるには無理があることに、サムスは気づかなかった。

 今ごろになってサムスを批判するのは酷かもしれない。しかし、「医療」と「福祉」は車の両輪という間違ったドグマを背負わされて、60年以上たっても、いまだに保健所は矛盾に苦しんでいる。その事実を住民は知らない。なぜ苦しいのか当の保健所職員自身が知らないのではあるまいか。私も保健所の類縁機関、精神保健指導センターに勤めるまでそれを知らなかった。