院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

昭和40年代の「屋台」

2013-08-22 06:41:20 | 文化
 「屋台」というと、どのようなものを想像されるだろうか?私が連想するのは、祭りの出店ではない。あれは、「夜店」と言った。昼間も出ているから「露店」と呼ぶこともあった。

 むろん、京都の祇園祭の「屋台」なんて連想しない。私が考えるのは以下のような移動式の店舗である。



 この画像は、dai という人が描いたCGである。手前にカウンターがある。CGには描かれていないが、カウンターの前に椅子が4脚ほど置いてある。客は椅子に座ってカウンターにおでんや酒を置いて、飲食をするのだ。カウンターの向こうには親父がいる。

 とにかく安い。今ならコンビニでおでんやカップ酒を売っているから、それを買ってコンビニのビュッフェみたいなところで食せば、屋台と同じような雰囲気が味わえるかもしれない。

 博多の屋台は名物とされているが、あんなの屋台ではない。普通店舗の居酒屋よりもむしろ高い。刺身なんかを置いてある。だいたい冷蔵庫がある屋台はありえない。そして、博多の屋台は移動できない。

 本来の屋台は写真のように車輪が付いていなくてはならない。いつでも移動できるようにだ。

 私が学生時代、大学病院の向かいにいつも居るおでんの屋台があった。友人と1回だけ利用した。コップ酒1杯とおでん3個くらいで100円くらいだったと思う。

 三波春夫の「月がわびしい路地裏の屋台の酒のほろ苦さ。知らぬどうしが小皿叩いてちゃんちきおけさ」という歌は、まさにあのころのこういう屋台を歌った歌だ。

 実際、友人と座った時はわびしかった。南こうせつの「神田川」という大ヒット曲があるが、まさにあの時代のあのわびしさを言い当てているのだ。