院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

中国に住んだことがある人の考え

2017-07-22 17:55:04 | 歴史
北京大学卒業式で教師が講演「自由を広め、自由を守れ」20170712


友人に中国(杭州)で会社を経営している者がいる。彼は中国の悪口を言わない。わざと言わないのではなく考えてもいないようだ。

中国での駐在歴が長い別の友人は、中国はおびただしい多民族国家で、ひとつの省内でさえ民族が分かれるという。しかしながら、現在の中国は中国共産党を「皇帝」とする「帝国主義国家」で、「皇帝」が機能しなくなればヨーロッパや中央アジアのように沢山の国に分かれるだろう、と予測している。(したがって、中国を一国とみなして論じるのは難しいらしい)。

中国4,000年の歴史と言うけれども、中国は他民族に支配されていた期間が長い。唐、元、清しかりだ。このかん、中国民衆はどのように暮らしていたのだろうか?高校で中国史を教わったが、その方向への言及はまったくなかった。


 ※私の俳句(秋)

    月出でて家々の灯の落とさるる    

四季に敏感な日本文化

2017-07-22 14:09:05 | 文化

(日本料理「志摩」のHPより引用。)

日本料理は四季を重んじる。温室栽培の季節外れの材料なぞ絶対に出てこない。

茶の湯にせよ能楽にせよ、むかしからの日本文化は常に四季を意識してきた。茶の湯の活け花はむろん当季のものだし、能楽の演目「鉢木」は冬のみ、「鵜飼」は夏のみしか演じられないそうだ。

俳句も同じ。季節(季語)が重要である。金子兜太氏らは無季の俳句を推奨しているけれども成功していない。金子氏は四季以外に「雑」という項目を設けている。しかし、それが詰まらない。(たとえば「雑」には「サラリーマン」などの語がはいる)。

無季俳句を奨励するなら、日本料理なら季節外れの材料を使い、能楽なら雪が出てくる曲を夏に演じるというくらいまで徹底しなくてはならないだろう。


 ※私の俳句(夏)

    夕立が街の匂ひを一掃す

「見れる」、「食べれる」

2017-07-22 08:34:58 | 日本語

(広告「英語学習ボックス」より引用。)

NHKテレビでは話し手が「見れる」、「食べれる」などの「ら抜き言葉」を使用しても、字幕では「見られる」、「食べられる」に直してある。

「ら抜き言葉」擁護派は、文法が先にあったのではなく実用例が先にあったのだから、文法の方を訂正するべきだという。もっともだと思う。

私が幼いころは「取れる」を「取られる」、「着れる」を「着られる」と話していた大人が結構いた。もう10年もすれば「見れる」、「食べれる」も普通の用法になるだろう。

(ただし現在ではまだ、ある程度の年齢の人が「ら抜き言葉」を使うと、教養を疑われることを覚悟しなくてはならない)。


 ※私の俳句(夏)

    冷たくて汁のこぼるるトマトかな