院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

平尾昌晃が好きじゃなかった!

2017-07-27 17:49:11 | 音楽


私が小学生のとき日劇ウエスタンカーニバルが流行ったから、私はリアルタイムで同カーニバルを知っている。私にはセックスアピールという発想がまだなく、なぜこんなに騒ぐのだろうか?と不思議だった。舞台に熱狂する女たちもまた平尾昌晃ら歌手たちもバカに見えた。(女たちは「わんさガール」と呼ばれていた)。

高校生の時から私はモダンジャズに魅了され(スイングジャズやニューオーリンズジャズとは別でバップと呼ばれた)バンドを組んで、それは大学から中年になるまで続いた。大学生のころはフォークソングが流行った。吉田拓郎や岡林信康だ。外国人ならジョーンバエズとかPPM(ピーターポール&マリー)。

とうじ私は「フォークソングは音楽ではなく、(語りの内容が重視される)浪曲や平家琵琶みたいなものだ」と感じていた。当然、美空ひばりや島倉千代子なぞ従来の歌謡曲も聴くことはなかった。

そんなときに出てきたのが小柳ルミ子の「私の城下町」だった。「なんじゃ、これは!けっこういいじゃないか!」と私は当時としては新鮮なメロディーラインに驚いた。「瀬戸の花嫁」、「漁火恋歌」も素人でも歌えるメロディーながら素人では作れないと感じた。



「この曲の作曲者が平尾昌晃?なんであんなチャラ夫が?」と私は苦々しく思ったが、良いものは良いから仕方がない。カラオケが発明され一大ブームとなったのは、そのころである。たいていの歌謡曲は素人でも歌えた。現在のJポップはメロディーラインが難しすぎて素人では歌えない。(ついでに玄人っぽいことを言わせてもらうと、伴奏はJポップより昭和歌謡のほうが凝っていて演奏もむずかしい)。

ついに私も昭和を懐かしむ世代になってしまったのか!嗚呼!


 ※私の俳句(夏)
    膝までのプールやパパに水をかけ

細胞液は循環している!?

2017-07-27 07:35:29 | 生物

(細胞内の構造。理研プロジェクト(株)より引用。)

細胞内の液は流れていると最近知った。そんな流れがあることは高校でも大学でも教わらなかった。

でも、かんがえてみれば当然である。先日述べたTCAサイクルを進行させる酵素は多くがミトコンドリアに存在する。酵素がなければ(TCAサイクルがミトコンドリアの酵素に接触しなければ)化学反応が起こらない。(生命が維持できない)。

なるほど!細胞液には循環が必要なのだ。

でも、それでは細胞液循環のためのエネルギーはどこから供給されているのだろうか?生命体はほんとうに不思議のベールに包まれている。


 ※私の俳句(夏)
    旅の夜の明けて夏霧一面に    

R.フェルドマン氏はいつも本質を突く!

2017-07-27 00:22:24 | 経済

(ロバート・フェルドマン氏。「みんなの介護」より引用。)

上のR.フェルドマン氏の意見はいつも驚異的なまでに本質を突いている。エコノミストとしての発言は私には分からないことも多いが、分かる部分にはいつも感心させられる。

現在、自殺者減少の手段として「働き方改革」を政府は言っているけれども、フェルドマン氏は「自殺者減少と働き方改革は別問題で、リンクさせるべきでない。自殺にはたんに労働時間だけではなく、もっと深い問題がひそんでいる」と喝破した。(テレビ番組WBSにて)。

「働き方改革(残業制限)」が自殺者を減らすというエビデンスを政府は示していない。日本精神神経学会もエビデンスの提示を強く求めている。(以下を参照。)

精神神経学会の「自殺総合対策大綱」の見直し素案に対する意見書(ここをクリック)

もし残業時間が強く問題となるなら、月200時間以上残業した群とそれ以下の群で自殺率がどれだけ違うか統計学的に示す必要があるだろう。(200時間で区切ると、多くの大学受験生の勉強時間は学校以外に200時間を超えるので、受験勉強も駄目ということになってしまう)。

もうひとつ、統計学に不慣れな人は因果関係の逆転を起こしやすい。精神疾患の中でもっとも自殺が起きやすいのは「うつ病」である。「うつ病」の原因はほんとうは未知である。(幸せいっぱいの人でも「うつ病」にはかかる)。けっして過労やイヤなことがあったから「うつ病」になるわけではない。現在のところ「原因不明」とするのが正しい。

電通の若い女性社員の自殺がきっかけで電通の企業風土がやり玉に挙がっている。そこで「働かせる企業風土」→「自殺」という単純な図式が作られた。だが、じつは若い女性は前から(原因不明の)「うつ病」を発症していたのかもしれない。つまり「うつ病」の人は休ませなくてはならないのに「働け」と命じたのがいけなかった。すなわち電通の件は「うつ病」→「(病人さえ働かせる)企業風土」→「もうダメという書き遺し」というまったく順番が逆のストーリーも考えうるのだ。(若い女性社員は「うつ病」にさえかかっていなければ、電通の企業風土にけっこう耐ええた可能性もあり得ない話ではない)。

だからフェルドマン氏の「働き方改革」と「自殺者減少」はそんなに単純には結び付かないという指摘は、私を唸らせたのである。


 ※私の俳句(夏)
    夏の夜のバナナ小腹を慰めし