えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

ある漫画家についての小考

2009年07月05日 | コラム
今抱く問いかけを問いかけのまま、置いてしまうことは
そうそうゆるされないことなのだが、
ブログという甘さにあまえて、今抱く問いかけを問いかけのまま
置いておくことにする。


:諸星大二郎小考

 4月23日、諸星の新刊「闇の鶯」が刊行された(そして6月23日、『西遊妖猿伝・西域篇』が刊行される)。ここ数年、諸星漫画の刊行ペースは確実に加速度を増していることは間違いないだろう。昨年はネムキ連載作、「栞と紙魚子」の新作に加え、未収録作品を集めた「巨人譚」、ウルトラジャンプの連載をまとめた「バイオの黙示録」の三冊、さらに「西遊妖猿伝」の新装版の発売が開始されるなど、単行本の出版が相次いだ。ここで注目したい流れがひとつある。順番として、「バイオ」「栞と紙魚子」→「巨人譚」「闇の鶯」と、最近出た単行本は現行の連載ではなく、過去に収められなかった中篇を集中的に掲載しているという点だ。過去の作品のサルベージが始まったということは、昨今の諸星の人気をうかがわせる一端なのだろうか。

 今回出版された「闇の鶯」は、いろんな都合で収録されなかった作品群を5本集めたものだ。特に「闇の鶯」においては、雑誌掲載時(1989年)に比べストーリーや絵への加筆が増加した。諸星の作品において、単行本収録時に大幅な加筆訂正が行われることはしばしばあるものの、諸星の場合「ユリイカ(2009年3月号)」のインタビューで語っているように、2000年前後の「栞と紙魚子」で少女向けの雑誌「ネムキ」に連載を始めた頃からペンをカブラペンから丸ペンに変えたことで絵が変わった。もちろん、タッチや顔かたちが変化したわけではないが、カブラペンや筆などで描きこまれた濃厚な世界から、流動する空気を感じる薄味へと絵の空間が変わったことはまぎれもない事実である。
だが、諸星が新しく収録された版で作品の書き換えをすること自体は、珍しいことではない。問題はその頻度と質である。

 諸星の書き換えで例示しやすいものは、「妖怪ハンター」稗田礼二郎の初登場作品「黒い探求者」である。手塚賞受賞作「生物都市」のちに週刊少年ジャンプで諸星が連載していた時期の作品で、単行本ではジャンプコミックスのほか創美社「海竜祭の夜」、文庫では集英社「妖怪ハンター 地の巻」に収録されている。この、ジャンプコミックス版に収録された「黒い探求者」で、諸星が稗田にうっかり言わせたひと言で、序盤の数ページが創美社以降で書き換えられることとなった。ちなみに問題のセリフは、
『キ チ ガ イ扱いされてもしかたないというわけか・・・』
である。小さいコマだが写植なので、ふつうならばそこだけ直せばよかろうということになるだろう。だが、諸星は手を抜かず、ページ全体の再構成という形で大幅な加筆をまず創美社版で行った。その後集英社文庫に収録されるに当たっても、さらにコマのいくつかが描きなおされており、ここまでくると言葉が問題なのではなく画が問題なのではないか、と考えることができるのだ。

 この作品に見られるほか、顕著なのは短編「遠い国から・追伸 カオカオ様が通る」の冒頭―これは都合4回に渡って描き代えが行われている―見えない面では「碁嬢伝」などで細かな加筆が行われている。昨年出版された「バイオの黙示録」では「幕間」という形式をとって、新しい掌編を5本も書きおろしたり、また本書「闇の鶯」でも雑誌連載時からは大幅に加筆するなど、諸星は推敲に手を抜かないのだ。

 だがこの加筆への情熱は、いったいどういうことなのだろう?本にしたら量が少ないからか?話が物足りないからなのだろうか?
「闇の鶯」では、ページ数の限られる雑誌連載では詰めこみきれなかった、民俗学的な説明口調が目立つがなにより、初出は1989年「コミックバーガー」と古く、20年後の現在とは絵の質が異なり違和感を覚える。主人公といい仲になる山の神「鶯」の、目元が艶っぽくもったりした濃い筆の線はこの時期特有のもので、2000年以降はあまり見られなくなる線だ。また、話の展開に合わせ、コマのいくつかが差し替えられている。今回もっとも書き換えが行われたのはこの一本だ。詳細は省くがコマ単位で10箇所以上、さらに5、6ページ加筆されている贅沢さである。
 
 旧作のサルベージはこの単行本が端緒ではない。2005年、「妖怪ハンター」を原作とした映画「奇談」の公開から始まった文庫本の発行ラッシュによって、現在入手の難しい単行本からの旧作の抜粋は継続的に行われている。たとえば文庫「壁男」中の「ブラック・マジック・ウーマン」(1980年「コンプレックス・シティ」収録作)、や「マッドメン2」の「ラストマジック」(1980年頃(?)「子供の王国」収録作)などがそれだ。

 ただ、これら過去作品のサルベージについて筆者が懸念している点がある。過去のSF作品とナンセンス作品のサルベージがほとんど行われていない点だ。先に挙げた「ブラック~」と同じ本に収録されている「浸食惑星」「ティラノサウルス号の帰還」など、初出の単行本以後まったく収録されないものが多い。また、ナンセンスものも、集英社の単行本「天崩れ落つる日」に収録されている十数本のうち文庫本に採録されている作品は皆無。さらに未収録作品も数本存在する。

 あまりにもくだらなかったり、或いはテーマがまずい、など種々理由はあると思うが、今年のユリイカ3月号で、諸星の初受賞作品(COM新人賞の佳作五等)「硬貨を入れてからボタンを押してください」が完全収録されたことをきっかけに、かつて彼が生み出しながらも、いろんな「おとなのじじょう」で破棄されかけている作品群がこっそり拾い出されることを、半分やめて欲しいが半分は願っている。

(諸星の場合、なぜかどの批評家も筆が止まる。水木しげるを取り巻く人間の距離感とすこし似ている気がするのは気のせいなのだろうか)
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歩く朝

2009年07月02日 | 雑記
電線を見上げると燕がとまっていた。
雨の日なのにやけに、燕は高く飛んでいた。
どことなくぎこちない飛び方だった。

燕は直線で飛ぶ。空間を点で結んで飛ぶ。
けれどその燕は、高く飛んで疲れたのか羽を止めると、
今度は落ちるのが怖いのかあわただしく両の羽を
動かして、ひっかかるように電線に止まった。
うす曇の空と同じ、ふわふわとたよりない灰色の羽毛を
つけた仔燕だった。
もう一羽、空の一点から墜落しそうに傾いて、その仔の
頭を踏みそうになりながらどうやら隣にちょんととまる。
紺色がかった黒のはっきりした親燕が、頭をはたくように
するっと飛びぬけて二羽の間にとまった。

その仔はさっき巣立ったばかりで、独り立ちには
まだ親は心配なのかも知れない。
でも羽はしっかりと朝の空気をつかんで舞い上がっていた。

信号が変わる。私は歩き出した。
燕は空へ飛び出していった。
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