:集英社 「孔雀王 曲神記(まがりかみのき) 10巻」 荻野真 2009年7月
このまんがをひと言で言うと、
「かわいそうなおとうさんたちのまんが」
である。
一番最初の「孔雀王」はおろか、
(そもそも孔雀のパパが主原因で最後は・・・)
「退魔聖伝」の時でも脇キャラのおとーさんたちは
えらい目にあっていたし、
「曲神記」でも、いろんな意味でかわいそうな
おとうさんたちが登場するのだ。
情けなさと腹黒さ爆発の、由緒正しい日本のパパ
イザナギ父さんと、
家族思いに誠実一閃、悲劇の道士黄海峰父さん。
この二人が、愛のプリンス黄明星ぼっちゃんを
取り合って争うのが「孔雀王 曲神記」の壮大な主軸である。
うそをついてしまった。
いちおうこれはサブのお話。
(でも個人的にはこっちを楽しんで読んでいる)
正しいあらましは、神殺しの「スサノオの牙」に認められた
主人公の法師孔雀が、牙をひっさげ卑怯なイザナギ父さんに
天誅を下す、そうした話だ。
いろいろ省いたが、「退魔聖伝」のくらーいラスト
(主要キャラがほぼ行方不明、前作からのキャラ一人犠牲)
を祓うかのように、10年ほど別の作品で禊をした後の作品が
本作「曲神記」である・・・が、正直絵柄もテンションも
変わりすぎてしまい、続編というよりは別もんに近い。
内容はしっかり引き継いではいるが、
中途半端に軽くなった分、話の重みを支えきれないようで、
今後どうなるか、シニカルな意味で楽しみにしている。
何が楽しみかと言うと、「黄海峰はいつ殺されるか」
が楽しみなのだ。
この人は性格もまっとーで、子煩悩で、愛一直線な
とてもいい人だった。
その性格が幸いしたのか、多くのキャラクターが不幸を飲んだ
「退魔聖伝」で唯一被害をこうむらなかったキャラクターである。
今回は登場してすぐに
「幸せに暮らしていたが、突然の不幸で一家離散」
という、シンプルな不幸に見舞われる。
が、前の作品で不幸を飲んでない分、本作では
「生きて息子に会えないだろうなフラグ」
が立ちっぱなしという不幸っぷり。殺されない方が不思議、と見るのは
シニカルが過ぎるだろうか。
なんかこんな感じに。
不幸なおとうさんの結末-おそろしく単純な予想:
・肝心な所で、コミックスを10冊ぐらい遡らないと
思い出せない設定「黄海峰にかけられた呪い」発動
・明星「おとうさん!」
イザナギ「父を助けるためには孔雀を倒せ、明星!」
・孔雀「く、くそ・・・」
明星「孔雀さん・・ごめんなさい!」
孔雀「よ、よせ明星!」
・海峰、二人の間に挟まって二人の攻撃で死ぬ
海峰「ぐはっ!」
・明星「おとうさん!?」
孔雀「黄!?」
海峰「二人とも・・ほんとうに倒すべき敵はヤツだ・・
私にかまわず、ヤツを倒せ・・・がく」
明星「おとうさーん!!!」
孔雀「黄ーっ!!!」
・・・・。
ともあれ、当面はこの決着を作者がどうつけるか見るために、
漫画は買おうと思っている。
私見だが、荻野真の絵は、最初の「孔雀王」が完結した時の
青年誌向け劇画時代の絵が、いちばん格好良い男の人を
描けていたと思う。
今から見れば、ちょっと「北斗の拳」が入った濃ゆいタッチは
受け入れられないかもしれないが、
その分、テーマの重たさはしっかり受け止められていたし、
作者も読者も納得の話の面白さを持っていた。
ただ、次の「退魔聖伝」では、話の幅を広げすぎて途中から
回収も出来ず、後半は作者自身が「あの頃は精神的に追い詰められていた」
(曲神記一巻・あとがき参照)と言う状況が見事に反映され、
主人公の仲間が全員行方知れずとなる、ある意味思い切ったラストを
作ってしまった。その尻拭いが本作「曲神記」か、というと、
そうとも言い切れない。
前作が13年前ということもあって、新しい読者のためのリスタート、
先にも述べたように、半ばは「別もん」との位置づけもあるようだ。
話も練られており、内容も明るく、以前とは比べ読みやすい面白さは
ある。
とはいえ、公共の雑誌をつかった作者による作者自身の同人活動を
読まされてる感が解けないのは、どうしたものだろうか。