田園調布せせらぎ公建物を建設するために、1293本の樹木が伐採されました。
これ以上伐採してほしくない住民が、2300通の署名とともに、大田区に要望書を提出しました。
その後、行われた説明会に参加し、緑を守りたい区民とのすれ違いがなぜ起きるのかが見えてきました。
公園が単なる公共用地のように位置づけられて
大田区の説明から、大田区が、せせらぎ公園をこれまで私たちが期待してきた公園の役割である緑や憩いの空間ではなく、単なる公共用地のようにとらえていることがわかります。
公園の中に、スポーツ施設、防災、子育てなど、区民の要望が出ていますが、それも、ここが、本来私たちが期待してきた公園ではなく、空いてる土地に何を作ろうといった公共用地のように位置づけられているからでしょう。
それまで、公園内には、雨除けのあずまやと言った簡便な施設しか建設することができませんでした。建物となると、公園面積の2%まで。
ところが、国の規制緩和による都市公園法の改正で、公園面積の12%まで建物を建てられるようになってしまいました。スポーツ施設は50%まで。
大田区でも、都市公園法改正に伴う公園条例改正を行っているので、今回のような公園内の開発が可能になるのです。
公園条例改正の際の奈須りえの反対討論
できるとしても決めるのは住民
たしかに、公園を単なる公共用地のように扱い、建物を建てたり、スポーツ施設を作ったりすることは可能になりましたが、それをするかどうかは、住民が決めることです。
そもそも、
【1】田園調布せせらぎ公園には、取得時に、住民と作り上げた整備の方針があるにもかかわらず、条例が変わったからと言って、大田区が何をしてもかまわないということにはなりません。
公園は、都市の開発により失われ個人で守ることが難しい、緑豊かな自然環境を、公が個人に代わって守り育てる憩いの空間でです。
それを、楽しい、便利、快適、などの理由で、緑や自然を壊すことは、公園でなければ守ることのできない本来の機能や役割を失うことでもあります。
【2】公園内に建物を建て、老朽化した施設を改修するというプラン
は、大田区が一方的に決めたことで、地域住民との合意形成はありません
ところが、大田区は、
規制緩和前に約束した住民とのルールは守っている、といって
規制緩和後のルール(12%まで建物、50%までスポーツ施設を建てられる)で、公園を開発し始めています。
区民は、公園内には2%しか建物などが建たないときに、公園は緑や自然を守ると大田区と約束していますから、まさか、せせらぎ公園内の平坦な区域の樹木を伐採し、ほぼ開発しつくされるとは、思っていもいないわけです。
足りない大田区の説明責任
大田区が住民に言っていないこと
大田区は、説明会に際し、次のことを区民に説明したうえで、これをやって良いのかどうかの合意をとるべきだと思います。
1 大田区は、区民に対して、国の都市公園法改正に伴い、条例をかえていること。
2 この条例改正により、以前出来なかった公園内の開発をしたいこと。
3 しかも、大田区みどりの条例施行規則等を改正し、公園も緑化計画の対象となったこと。(平成28年5月1日以降)
4 それにより、公園内の樹木は、切っても緑化計画に定められている基準のとおり植えれば良くなったので、それに従い、切って植えていること。
5 住民は、樹木を守り、育てたいと願っているが、大田区にとってせせらぎ公園の緑は、国分寺崖線の斜面にはえている樹木以外は、この緑化計画を守るべき存在でしかなく、開発に差し障る樹木は切ってもあとで植えればいいと思っていること。
人為的に植えた木は、切って良い木
樹木や自然を守る意識に欠ける大田区
大田区は、1293本切った木を「人為的に植えた木」と表現していました。
だから、切っても植えればいいというニュアンスが伝わってきます。
そうなると、今回植えても、また「必要あれば」切るのでしょう。
緑を育てたり、守ったり、するという意識がありません。
過密な都市部における、足りない公園をどう充足させるか。
深刻な都市の温暖化をどうするのか。
ここに、公園や緑が果たす役割は非常に大きいのですが、そうした議論はどこにもありません。
緑は消費財ではなく、命です。大田区にとっては、守らなければいけない緑化計画の基準を満たすための要件、にすぎないように見えますね。
低木は樹木では無い、ですか
伐採数に入れないけど、緑化は低木で満たす
ですから大田区は、高木と中木だと246本切った(だけで)。1293本という数字は、背の低い樹木。なので問題ないといわんばかりの説明でした。
だから、緑が1293本も伐採され、「植えればいい」となってしまったのですね。
でも、大田区は、中木さえ、基準で植えることをせずに、かわりに低木でまかなっているのですよ。大田区がカウントしない低木がなければ、大田区の緑化基準は守れないのに、住民の前で「低木を除外した小さな数字で説明する」のは、どうかと思います。
そして、住民の文化施設やスポーツ施設などの要望があるから、建物を建てることを正当化しています。
緑を守りたい区民と文化施設やスポーツ施設を作りたい住民がいたら、そこから、合意形成するのが、大田区の役割だと思いますが、一部の水面下の要望を受けて決めたから地域住民の知るところとなった。これでは、住民が怒るのも当然です。
しかも、こうした一連の大田区の姿勢には、大切な視点が欠けています。
大田区に欠ける財政責任
便利、快適、楽しい、が将来の増税や将来世代の負担に
財政的な責任、という視点です。
便利、快適、楽しい、、、で箱モノを作り、インフラ整備しますが、タダではありません。そこに多額の税金が投入されますが、あたかも、打ち出の小づちのような感覚です。
しかも、公園整備は、大田区の税金だけではなく、国庫負担が投入されます。
大田区の税金を、不足する大田区の子育てや介護障がい福祉施策に優先して使っていいのか、行うべきかという議論もありません。
そのうえ、国税のかなりの部分が、国債で賄われていますから、
私たちの、便利、快適、楽しい、が子どもたち世代の税収を食う「国債」発行につながっていいのか、という議論も必要です。国債発行は、将来の増税をまねくことになるからです。
増税覚悟でも必要ですか、子どもたち世代の負担覚悟の要望になりますが、という説明責任は、提案者である大田区にありますが、大田区は、施設の維持管理費さえ、区民に問われ明らかにすることができませんでした。
まるで、肝心の部分をかくして、やりたい誰かの執行代理人のように、全体の奉仕者である大田区行政が動いています。
そのつけを払うのは、私たちであり、子どもや孫など、将来の世代です。