1989年に18年続けたチューリップを解散して、ソロ活動を本格的に
開始した財津和夫さんは、1990年にアルバム「I must be crazy」を
発表します。財津さんが興味を持っていた映画のシーンを題材にして、
財津さんの天性の声質を全面にフューチャーしたシンプルでストレートな
音楽表現のアルバムでした。ソロとして財津メロディを財津ヴォイスが淡
々と歌い繋ぐ、チューリップとは隔絶した良質な財津音楽の世界を魅せま
した。「12歳」では、福岡での少年時代の誰もが経験した憧れの映画館
での情景を目に見えるシーンとして見事にメロディに載せました。
財津音楽には、メロディと言葉が聞く者に目に見える映像として浮かび
あがらせる特徴があります。聞く者をその場のシーンにまるで移行させ、
その場の当事者として音楽シーンを実感できるわかりやすさ、効果をもっ
ています。
1972年に福岡からオリジナルの「魔法の黄色い靴」のテープを抱え
て自らの音楽と時代を切り開いていった財津和夫さん、その前年には、
4人編成のフォーシンガーズとしてこれもオリジナルの「私の小さな人生」
でいったんプロデビューを果たしますが、将来に不安を感じた他のメンバ
ーの離脱によりグループ活動の継続を断念することになります。財津さん
は、この当時のメンバーに相当の自信自負を持っていたようです。“でき
ることなら、死んでいくその日まで、歌を歌って生きていきたい”と「私の
小さな人生」で歌っています。財津さんのベストソングスのひとつです。
チューリップとしては、3曲目の「心の旅」が1年あまりかけて全国的
なヒット作品となりまして、その後、財津さんが創り出す「虹とスニーカ
ーの頃」、「夢中さ君に」、「銀の指輪」、「青春の影」、「サボテンの花」
等々と時代を代表する名曲を送り出すことになります。
チューリップとして、時代に先駆けて鈴蘭高原野外コンサート、読売ラ
ンドを1日貸し切ってのコンサートイベント、パゴダを建立しての芦ノ湖
畔コンサートを開催しています。
1991年に初めて財津和夫さんにお目にかかります。それまで、ビー
トルズに明け暮れていました。財津和夫さんもビートルズの音楽に触発さ
れて、すでにミュージシャンとして音楽活動をされていたんですね。
最初にお目にかかったときの財津さんのパーソナリティが印象的でした。
偶然お会いしたのですが、丁寧なあいさつ、その物腰が社会人として印象
深く残っています。その当時は、財津さんの音楽はよく知りませんでした
から、財津さんとはパーソナリティとのかかわりからのお近づきになりま
す。その後、財津音楽、チューリップのことは猛勉強することになります。
財津さんは、チューリップにも何度かの区切りを終えて、グループ音楽
としての役割にも区切りをつけたようです。今、財津さんは、30数前が
そうであったように、オリジナリティをもってソロアルバムの製作にとり
かかり、ふたたびフロンティな生き方を始めると聞きます。30数年前が
そうであったようにあたらしい時代の音楽を創造すること、音楽を若い人
に語り継ぐこと、映画にも関心がおありで楽しみです。
30数年前にすでに福岡から自らの音楽のオリジナリティを持って時代
を切り開いていったフロンティアな生き方をした財津和夫さんの生き方、
パーソナリティに期待しているのです。
開始した財津和夫さんは、1990年にアルバム「I must be crazy」を
発表します。財津さんが興味を持っていた映画のシーンを題材にして、
財津さんの天性の声質を全面にフューチャーしたシンプルでストレートな
音楽表現のアルバムでした。ソロとして財津メロディを財津ヴォイスが淡
々と歌い繋ぐ、チューリップとは隔絶した良質な財津音楽の世界を魅せま
した。「12歳」では、福岡での少年時代の誰もが経験した憧れの映画館
での情景を目に見えるシーンとして見事にメロディに載せました。
財津音楽には、メロディと言葉が聞く者に目に見える映像として浮かび
あがらせる特徴があります。聞く者をその場のシーンにまるで移行させ、
その場の当事者として音楽シーンを実感できるわかりやすさ、効果をもっ
ています。
1972年に福岡からオリジナルの「魔法の黄色い靴」のテープを抱え
て自らの音楽と時代を切り開いていった財津和夫さん、その前年には、
4人編成のフォーシンガーズとしてこれもオリジナルの「私の小さな人生」
でいったんプロデビューを果たしますが、将来に不安を感じた他のメンバ
ーの離脱によりグループ活動の継続を断念することになります。財津さん
は、この当時のメンバーに相当の自信自負を持っていたようです。“でき
ることなら、死んでいくその日まで、歌を歌って生きていきたい”と「私の
小さな人生」で歌っています。財津さんのベストソングスのひとつです。
チューリップとしては、3曲目の「心の旅」が1年あまりかけて全国的
なヒット作品となりまして、その後、財津さんが創り出す「虹とスニーカ
ーの頃」、「夢中さ君に」、「銀の指輪」、「青春の影」、「サボテンの花」
等々と時代を代表する名曲を送り出すことになります。
チューリップとして、時代に先駆けて鈴蘭高原野外コンサート、読売ラ
ンドを1日貸し切ってのコンサートイベント、パゴダを建立しての芦ノ湖
畔コンサートを開催しています。
1991年に初めて財津和夫さんにお目にかかります。それまで、ビー
トルズに明け暮れていました。財津和夫さんもビートルズの音楽に触発さ
れて、すでにミュージシャンとして音楽活動をされていたんですね。
最初にお目にかかったときの財津さんのパーソナリティが印象的でした。
偶然お会いしたのですが、丁寧なあいさつ、その物腰が社会人として印象
深く残っています。その当時は、財津さんの音楽はよく知りませんでした
から、財津さんとはパーソナリティとのかかわりからのお近づきになりま
す。その後、財津音楽、チューリップのことは猛勉強することになります。
財津さんは、チューリップにも何度かの区切りを終えて、グループ音楽
としての役割にも区切りをつけたようです。今、財津さんは、30数前が
そうであったように、オリジナリティをもってソロアルバムの製作にとり
かかり、ふたたびフロンティな生き方を始めると聞きます。30数年前が
そうであったようにあたらしい時代の音楽を創造すること、音楽を若い人
に語り継ぐこと、映画にも関心がおありで楽しみです。
30数年前にすでに福岡から自らの音楽のオリジナリティを持って時代
を切り開いていったフロンティアな生き方をした財津和夫さんの生き方、
パーソナリティに期待しているのです。