日本稀代のメロディメーカー、財津和夫さんは、本人も好きだといっていたビートルズのポール・マッカートニーさんにたとえられることも多い。財津さんのメロディ、曲を聞くと、言葉、詞をいかすためにすばらしいメロディ、曲をつくってきたことがよくわかり、むしろジョン・レノンの音楽スタイルに近いと思っている。
財津さんは洋楽旋律に無理なく日本語詞を乗せる初めての日本のニューミュージックの先駆者としてバンド・チューリップを率いて一時代を築き、今も精力的に幅広く音楽活動、文化教授活動を行っている。
今年音楽活動40年を迎えた松田聖子さんがコロナ社会でメモリアルな音楽活動ができないなかで、40年メモリアルソングの詞を自ら書き、メロディ、曲を財津さんに依頼した。財津さんはチューリップ時代に若いシンガー松田聖子さんに数々の楽曲を提供して、ヒット作を連発して松田聖子さんの音楽的ステータスを確固たるものに尽力した。松田聖子さんの歌謡曲に財津さんのロック・スパイスを導入したあたらしい曲といわれている。
今回、音楽活動40年で松田聖子さんが書いた詞はタイトル「風に向かう一輪の花」というもので、松田聖子さんの歌としては日本的抒情的で(日本的というのもどうかとは思うが)歌謡曲スタイルの強い表現のものであった。
受け取った財津さんはTVドキュメントでこれは風に吹かれて、ゆれるではなく「風に向かう」という聖子さん自身の(生きざまの)ことだと感じて、湧いてきたメロディ、曲は「ワルツ」(waltz)だった。
詞の表現にはいろいろ思いはあるだろうが、財津さん作曲のメロディ、曲は流れるようにたおやかに揺れて、清楚で美しいワルツに飾られて、言葉、詞を「気品」に満ちたように美しい気風をただよわせるものとして格調高く伝えている。
「風に向かう一輪の花」では松田聖子さんの自作詞が財津メロディ、ワルツに彩られて、いきいきと新鮮に浮かび上がって響いてきて、気品のある美しい楽曲に仕上がった。
財津さんも松田聖子さんもふるさとは福岡、久留米と隣同士九州で、もう一度ふるさとのセピアの風土に還っての40年クロニクル(chronicle)のワルツ完成だ。
財津さんは洋楽旋律に無理なく日本語詞を乗せる初めての日本のニューミュージックの先駆者としてバンド・チューリップを率いて一時代を築き、今も精力的に幅広く音楽活動、文化教授活動を行っている。
今年音楽活動40年を迎えた松田聖子さんがコロナ社会でメモリアルな音楽活動ができないなかで、40年メモリアルソングの詞を自ら書き、メロディ、曲を財津さんに依頼した。財津さんはチューリップ時代に若いシンガー松田聖子さんに数々の楽曲を提供して、ヒット作を連発して松田聖子さんの音楽的ステータスを確固たるものに尽力した。松田聖子さんの歌謡曲に財津さんのロック・スパイスを導入したあたらしい曲といわれている。
今回、音楽活動40年で松田聖子さんが書いた詞はタイトル「風に向かう一輪の花」というもので、松田聖子さんの歌としては日本的抒情的で(日本的というのもどうかとは思うが)歌謡曲スタイルの強い表現のものであった。
受け取った財津さんはTVドキュメントでこれは風に吹かれて、ゆれるではなく「風に向かう」という聖子さん自身の(生きざまの)ことだと感じて、湧いてきたメロディ、曲は「ワルツ」(waltz)だった。
詞の表現にはいろいろ思いはあるだろうが、財津さん作曲のメロディ、曲は流れるようにたおやかに揺れて、清楚で美しいワルツに飾られて、言葉、詞を「気品」に満ちたように美しい気風をただよわせるものとして格調高く伝えている。
「風に向かう一輪の花」では松田聖子さんの自作詞が財津メロディ、ワルツに彩られて、いきいきと新鮮に浮かび上がって響いてきて、気品のある美しい楽曲に仕上がった。
財津さんも松田聖子さんもふるさとは福岡、久留米と隣同士九州で、もう一度ふるさとのセピアの風土に還っての40年クロニクル(chronicle)のワルツ完成だ。