(1)自民党にはかなり以前から保守派議員グループの中で核保有論(nuclear holding theory)が根強くあった。石破茂議員も核保有論に言及していたこともある。当時安倍首相が憲法9条の中で集団的自衛権の行使容認を独自の解釈で決めた時も憲法学者、国民の多くが憲法違反だとして反対したことを考えれば、日本が核兵器保有、核武装するなどということが現実のものとなればいくらご時世とはいえ天と地がひっくり返る驚天動地の混乱になる。
(2)露のウクライナ軍事侵攻を受けてプーチン大統領ががさらに露軍の核抑止部隊(核兵器部隊)の戦闘態勢を命令したとされて脅威が増している。プーチン大統領はクリミア半島強制編入でも核兵器使用を一時考えたと述懐しており、核兵器使用の可能性を再び持ち出した。
(3)こういう事態の中で日本でも安倍元首相がTV番組で、NATO非核保有国で米国の核兵器を保有、保管して「核共有」しており、日本も「議論は回避すべきでない。国民を守るならどんな議論も避けてはいけない」と保守思想の強い政治姿勢の立場を主張してみせた。
(4)露によるウクライナ主権侵害、軍事侵攻が進んでいる中で日本の安全保障の必要性を唱えたともいえるし、こういう時だからこそ停戦協議による平和維持の高まりを世界が支持することこそが必要ともいえて、安倍元首相、自民党保守派の一部勢力の核保有論の主張を示すという場違い、筋違いな印象がある。
(5)安倍元首相の論理のヨーロッパで露と対峙するNATO軍事条約の現状と戦力を保持せずに交戦権を有しない憲法制約の日本とを同じテーブルで議論しようという的外れの論理だ。国家間による主権侵害、侵略、支配はあってはならないものであり、そのための政治、外交、経済協力、足りないものを補完し合う安全保障体制であり、唯一の戦争被爆国として非核三原則を堅持する日本として「この時」に「現実について議論していくことをタブー視してはならない」(安倍発言)として、露による圧倒的な軍事力を背景にウクライナに軍事侵攻して降伏させようという力による政治、軍事圧力の誤った、間違った行使の反省、反対、批判、拒否もみられない中での判断であり、表現、発言の自由はあってもどういう時に何を言うべきか、何を言ってもいいという論理があってはならないということだ。
(6)こういう政治家が7年半以上も長い間日本の首相として自らの保守思想の強い政治性を推進してきたことを考えると、国民としての責任、失望、落胆は大きい。
たしかに「現実」は沖縄返還時の「外交密約」で沖縄に米軍核兵器の「持ち込み」はなし崩しになっているとの見方はあり、国民が向き合わなければならい「現実」はこうした「偽りの現実」問題だ。