(1)ウクライナ戦争で始まって円安、物価高に苦しめられて、後半は大臣辞任ドミノの政治不信、旧統一教会に振り回された1年で、不快な不愉快な1年だった。その都度、岸田首相、政権が右往左往してつじつま合わせに奔走して四苦八苦、これでよく日本が持っているなと国民の一人としてあっけにとられている。
(2)旧統一教会被害者を救済する被害者救済法を成立させるため、本年は国会予備日として残されている最終土曜日(12月10日)まで参院本会議を開催して法案を成立させるという最後の最後まで旧統一教会問題に振り回された政治、社会だった。
(3)被害者救済法は正式には「法人等による寄付の不当な勧誘の防止等に関する法律」で「不当な勧誘が防止される」のは現行法制度でも当たり前のこと、あってはならないことであり、結局は宗教上のマインドコントロール(洗脳)下での勧誘行為をどう規律、規制するのか、肝心の部分が決められずに配慮義務として努力目標となって関係者から新法は骨抜き、実効性に問題が指摘されている。
(4)たとえばかってのオウム真理教のような組織が信教の自由の対象になる宗教団体として認められるのかと同じように、旧統一教会の集団結婚(人権問題)、霊感商法(サギ行為)、高額献金(強制投資)の問題点が宗教団体としてふさわしいのか、認められるのかは政治、国会があたふたと異例の最終予備費まで使って「不当な勧誘が防止される」法律までつくって対処しなければ規律、規制できないことだったのか、おかしな話だ。
(5)海外に留学する研究者が対象国に入国する際の手続きで宗教を問われた項目で無宗教と書いて返却されて受け取られずに、やむを得ず仏教徒と書いて通過した話が紹介されていたことがあるが、外国では無宗教では自己のアイデンティティとして理解されることがない話はよく聞かれる。
(6)日本ではむしろ無宗教であることが自由で自立の自主性、自律性を意味することが多く、特定の宗教に属していることが特異の存在としてみられる傾向はある。そういうところに個別に宗教団体に勧誘、付け入れられる社会があるといえる。
憲法では信教の自由が保障されており、それは思想、信条の自由、結社の自由などと同じように自由を保障する基本的人権、考え方によるもので、それだけ無宗教が普遍的な社会観として根底にある。
(7)そうしたことが宗教団体の手段を選ばないマインドコントロール(洗脳)による無理な勧誘、資金(違法商法・献金)調達に向かわせているといえる。宗教団体にも存亡の危機感がある。