「ウルトラマンで善悪を説く教師 宇宙人や怪獣の存在意義を語る」
「北海道の中学教師 ジャミラを題材に人間の善悪を説明する」
・・・この先生のウルトラマン授業を激しく受けたいのですが、どうすれば良いのでしょうか(汗。この方がウルトラマンと出会われたのは、帰マンの「怪獣使いと少年」。最初にこの作品と出会うとは。この前、BS11で再放送されていましたが、何度見ても考えさせられる内容です。宇宙人扱いされ、いじめに会う少年。最後まで宇宙人をかばうが、警官の発砲により何もしていない宇宙人は死亡。怪獣が復活すると防衛隊頼り。さすがの郷も一時は戦いをためらっていました。
勧善懲悪の物語でないのがウルトラシリーズ。ウルトラマンは必ずしも正義の、人類の味方とは限らないでしょう。それはウルトラマンジャスティスのような存在からも明らかです。ジャスティスが従っていたのは宇宙の正義。後に自分の思うままに行動しますが、いつかまた人類の敵になる可能性もあるわけで。「正義」は誰にでもあり、正義と悪の戦いは、ある意味自身の「正義」のぶつかり合いだと思います。互いに譲れないからこそ、戦いはより激しく。負けを認めたら、自分の信じていたものが崩れてしまうかもしれませんし。悪には悪の正義。正義と悪はかけ離れているわけではなく、同じカードの表裏のようなものなのでしょう。怪獣や宇宙人が悪とは限りません。
先日「怪獣墓場」を見ていたら、フジ隊員が倒した怪獣について語っていました。自分たちとは姿形が違い、力がありすぎるというだけで宇宙に追放された怪獣。ウルトラマンも倒したくて倒しているわけではない。この時、ウルトラマンの姿で何かを思うのが何とも・・・
ウルトラマンは人間を守るために、仕方無しに葬っていたのかもしれない。宇宙の脅威となるのを防ごうとしてくれたのかもしれない。凶悪宇宙人を倒した時も、心のどこかでは詫びていたのかもしれません。そんな辛い思いをしながらも、地球などで戦っていてくれたウルトラマン。ジャミラを倒した時の心境ははかり知れません。
人間の闇を知りながらも、未来の可能性を信じてくれている。彼らの信じてくれている可能性を裏切らないためにも、努力していかなければなりませんね。
「北海道の中学教師 ジャミラを題材に人間の善悪を説明する」
・・・この先生のウルトラマン授業を激しく受けたいのですが、どうすれば良いのでしょうか(汗。この方がウルトラマンと出会われたのは、帰マンの「怪獣使いと少年」。最初にこの作品と出会うとは。この前、BS11で再放送されていましたが、何度見ても考えさせられる内容です。宇宙人扱いされ、いじめに会う少年。最後まで宇宙人をかばうが、警官の発砲により何もしていない宇宙人は死亡。怪獣が復活すると防衛隊頼り。さすがの郷も一時は戦いをためらっていました。
勧善懲悪の物語でないのがウルトラシリーズ。ウルトラマンは必ずしも正義の、人類の味方とは限らないでしょう。それはウルトラマンジャスティスのような存在からも明らかです。ジャスティスが従っていたのは宇宙の正義。後に自分の思うままに行動しますが、いつかまた人類の敵になる可能性もあるわけで。「正義」は誰にでもあり、正義と悪の戦いは、ある意味自身の「正義」のぶつかり合いだと思います。互いに譲れないからこそ、戦いはより激しく。負けを認めたら、自分の信じていたものが崩れてしまうかもしれませんし。悪には悪の正義。正義と悪はかけ離れているわけではなく、同じカードの表裏のようなものなのでしょう。怪獣や宇宙人が悪とは限りません。
先日「怪獣墓場」を見ていたら、フジ隊員が倒した怪獣について語っていました。自分たちとは姿形が違い、力がありすぎるというだけで宇宙に追放された怪獣。ウルトラマンも倒したくて倒しているわけではない。この時、ウルトラマンの姿で何かを思うのが何とも・・・
ウルトラマンは人間を守るために、仕方無しに葬っていたのかもしれない。宇宙の脅威となるのを防ごうとしてくれたのかもしれない。凶悪宇宙人を倒した時も、心のどこかでは詫びていたのかもしれません。そんな辛い思いをしながらも、地球などで戦っていてくれたウルトラマン。ジャミラを倒した時の心境ははかり知れません。
人間の闇を知りながらも、未来の可能性を信じてくれている。彼らの信じてくれている可能性を裏切らないためにも、努力していかなければなりませんね。