「フランケンシュタイン」

2014-02-15 02:07:47 | シアターライヴ
いや~、やはり、日本と違ってジェスチャー文化圏の役者さんの表現力は流石やな!

身振り手振りに表情と声音であれだけの怪物を演じるなんてマジ凄い!

日本人は妖怪止まりの人が多いけど、欧米人はマジ怪物の域まで達する人が多いもんな…。

と唖然と感心の眼差しで観てました(笑)

演出も、ロンドンオリンピックの開会式を演出したダニー・ボイルだけあって、とても斬新な演出したね。「ライオンキング」のように盆が回りながらセリ上がったり、巨大シャンデリアカーテン(?)のような無数のライトを使った演出も斬新だった。隙間のある空間は、やはり役者の存在感と底力で埋め尽くされてましたね。

今回博士を演じたベネディクト・カンバーバッチの怪物役の方が凄いらしいけど、ジョニー・リー・ミラーも十分見応えあったよ。もう本物の怪物にしか見えない。

リハーサル風景で、役作りに赤ちゃんを参考にした…みたいなこと言ってましたが、まさに赤ちゃんが頑張って二本足で立ち上がって歩くかのように、この世に生まれ出た怪物の本能を感じさせるプロローグ(?)は観ていて怖いものがあった。

ストーリーは…、まさに、てめぇ無責任に生んでんじゃねぇよっ!って言わんばかりの内容で、怪物が愛を求める様は非常に切ないものがありました。

産んでくれなんて頼んでないのに、てめぇの都合で勝手に生みやがって…、だったら最後まで責任取れよ!って言わんばかりの内容で、怪物を見ながら、親を恨んでいた若い頃の自分と重ねてました。

ただ隣の子と同じように、自由に好きなように生きたいだけのに、片輪ものに生みやがって!といった恨みを爆発させて、特に父親に対しての反抗心というか復讐心はぶっちゃけ生半可ではなかったな。まさに怪物と同じ心境です。

ただ生きてるだけで、周りから拒絶されるこのやるせなさ…。当時は神様を恨みまくったよ。なんで自分だけこんな苦しみを味あわないといけないねん!…ってね。若い頃は自分しか見えてないから余計怒りしか生まれなかったんよね…。死にたくても死ぬ勇気ないし、好きなように生きようとしたら、見えない誰かや何か(実は、無意識の私)に足を引っ張られるし…。本当、人生は思い通りにはいかない。

いくら親のせいにしても、上手くいかないものは何をしても上手くいかないし…。いくら憎んでも決して幸せは訪れてはくれない。諦めることでしか生きられないこの悲しさと現実をただ目の当たりにするばかりだった…。

いつも同じ壁にぶち当たっては、乗り越えることなく、ただ引き返してぐるぐる同じ所を回るだけだった…。

それでも、物事は考えようで、人生ってホント不思議なこともある。人生のどん底に落ちた時に出会ったのが、何度も書きますが、「カラマーゾフの兄弟」だったんですよ。この本に出会ってなかったら今の私はいません。人生観を180度変えてくれた本でした。

それまでは怪物のように愛を求めてましたが、求めるから余計苦しい…ということを学んでからは、本当の愛とは何ぞや?を学ぶ旅が始まったように思う。100%ではないけど、昔よりは分かるようになったと思う。

お芝居で怪物が語る愛はちと違うんよね…。情熱的に表現してたけど、あれはまさに恋(又は性欲)だと思う。愛はsexではない。一つの表現ではあるけどね。

そういう意味でも、この「フランケンシュタイン」には、生・愛・命・死を哲学的に表現しているとこもあったし、旧約聖書の創世記をイメージするものもあった。精神世界も描かれていた。時折、怪物が博士の妄想にも思えたし、「翼ある人びと」のように博士の影でもあり、もう一人の私でもあったと思う。

生きることとは愛することである…と思うし、人によっては、愛を探す旅でもあると思うんよね。そんな結末でもあったかな…と思った。

来週、カンバーバッチの怪物ver.を観る予定ですが、仕事で観れないかもしれない(涙)

今日のまとめ:この作品、前衛的な演出だったけど、1960年代に既に前衛作品を世に送り出していた寺山修司氏は天才だと改めて思った。

そうそう、演出家が映画「トレイン・スポッティング」の監督だけあって、音楽担当がUnderworldやった!めちゃ好きやねん(笑)