ドイツ映画です。
本当はこれを観るために映画館に行ったわけじゃないねんけど、本命を観るまでに時間があったからというより、どんな作品があるのか?たまたまポスターを見ていたらキャッチコピーの“ベルリンでじっくり味わう”のベルリンにビビビ!ときて、観てきました(笑)ポスターを見るまでこの作品の存在自体知らなかったよ。
ということで、主人公のプータロウ君の不運な24時間を描いた作品で、白黒映画で、フランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」をイメージさせる登場人物と雰囲気があった。
ぶっちゃけ書くと、これがドイツのアカデミー賞主要部門総ナメするにはいささか疑問が…。そんなに素晴らしい作品だとは思わなかったけどm(__)m
不運(ドイツ語で“Pechペヒ”)続きのプータロー君というよりニート君が、ちょっぴり情緒不安定な登場人物たちと出会って何かを学ぶというストーリーなんですが、その何かは具体的には語られてません。多分何かを学んだと、ただ私がそう思っただけ(汗)
この主人公の青年、本当にPechだらけ。運転免許証は情緒不安定と判断されて免許取り消しになるわ、コーヒーを飲むのに小銭が足りず、キャッシュカードはATM機に吸い取られてしまってお金を引き出すことが出来ない。親に黙って大学を中退したことも結局は親父さんにバレていて、仕送りも差し止めされるわ…。他にもPechが続く。
結局は、自分より情緒不安定で過去のトラウマや現在の不遇に苛められた人々と出会うことで、少しは自分の力で生きて行こうと前向きに…なれたかな…?っていう流れです。多分…(汗)
人生には、本当にツイてない不運続きの日々があったりする。誰もがきっと、なんでこうなるの!?と思う出来事に続け様に遭遇したことがあるはず。一回きりじゃなくて、連続で。結局は、自分にとっては大きな出来事でも他人の目から見たら些細なことだったりする。で、実は本当に些細なことであったりする。
不運は向こうから勝手にやってくるんじゃなくて、実はほとんどの出来事が自分で呼び込んでいる、ということに気付くまでにめちゃくちゃ時間がかかる。
自分の気持ちの持ち方次第で運が変わる、という考えに納得出来る方は何が本当の幸せで不幸かが分かっている人だと断言出来る。
自分ってめちゃくちゃ恵まれた人間やん!?たくさんの人に助けられてるわ!と気付くことが出来れば間違いなく未来は明るい。
傍から見ると不幸に見える人でも、実は本人は幸せだったりする。綺麗ごとで書いている部分もありますが、現実は自分の心の持ち様で本当にバラ色に変わる。
今の現実にどうしても耐えられないと言うなら逃げればいい。一時の逃避はアリだと思っている。もし、命に関わることなら、なおさら逃げるべき。本当は何処に行っても自分が変わらない限り逃げられないんだけどね。それに気付くまではトコトン逃げればいい。実際、私がそうだから。
いくら逃げてもお金と時間の無駄だと分かったら、その場で頑張るしかない。結局は、その頑張れる場所が実は本当の自分の居場所だったりするから、結局は無駄なことは何もない。ただ気付くのが遅いか早いかだけ。
この作品の主人公を見ていたら、ドイツも日本も変わらない。世界は言葉が違うだけで、人間の本質は同じだと思う。
社会のストレスで苦しんでいるのは日本人だけじゃない。自殺大国は日本だけじゃない。だから余計生きることに希望が持てないからといって死を選ぶんじゃなくて、死を選ぶなら自分が楽しくなることをしてからにしろ!と言いたい。それでも不運が続くなら単純に間違っていることをしているというだけのこと。今の自分の器に合わないことをしているだけのこと。
ぶっちゃけ書くと、理性で物事が判断出来るというのは、自分の器がどれだけの大きさなのか自分の分を分かっているということ。
分かってないのに、高みばかり見て、足元や正面を見てないと失敗するのは当たり前。
夢や希望がないのは正にそれが原因だと思う。自分を過小評価しているのも原因の一つだと思うから、大きな失敗にならない程度に冒険することも大事だと思う。想像力があれば大きな失敗には繋がらない。ということはある程度の知識と経験も必要。
理性・想像力、そして、ひとかけらの勇気さえあれば、どんな困難も乗り越えられるはず!
この映画の主人公もきっと、他人を通して自分がいかに恵まれた人間なのかに気付けたから、きっと、24時間後にやっとコーヒーが飲めたんだと思う。きっと彼にとってはめちゃくちゃ美味しいコーヒーだと思う。常連さんにはただのコーヒーでもね。
自分の分に合わない大きなことはしなくていい。少しずつ自分の足元も見ながら高みを目指せはいい。
人生は一度きり。自分だけの人生なんだから、結局は楽しんだ者勝ち。でも、分相応にね!を、お忘れなく。
って思った内容でした。
今日のまとめ:新しくなった大阪駅を見るといつもベルリンの近代的な中央駅を思い出します。ひと昔はいかにも旧東ドイツのボロボロな駅だったのに、見事に様変わりしていてビックリした。
ベルリンのテレビ塔も、フリードリヒ通り駅も懐かしかった。
私にとってベルリンの思い出は、2006年のドイツ・サッカー・ワールドカップの決勝戦をイタリアが優勝した試合をブランデンブルグ門前の特設特大スクリーンで観たこと。ジダンの頭突きが懐かしい(笑)
あと、ベルリンはラブパレードが有名。超真夏日のテクノ・トランスサウンドは狂気沙汰やった。あまりの人口密度と熱気が重なって、さっさとベルリンから逃げました(笑)泊まる場所なかったしね。あ~懐かしい。あ、ラブパレード、もうベルリンではやってないらいしい。死者が出たら仕方ないね。
ベルリンは、旧西ドイツと旧東ドイツで顔が違うから、ひと昔はそれが魅力的だったけど、2006年の時は近代的になっていてちと淋しかった。でも、ちょっと中心から離れれば昔の殺風景な面影あり。今は知らないけどね。
あと、人。ベルリンは北欧に違いから体型もそうだけど、体型に比例して顔もめちゃくちゃ大きい!ドイツの南側は小さいんだよ。マジ、ビックリした!を思い出した(笑)←めちゃ失礼やな!m(__)m
映画に映るベルリンの市街地を見ながら、旅行した時を思い出しました。本当に懐かしかった。
本当はこれを観るために映画館に行ったわけじゃないねんけど、本命を観るまでに時間があったからというより、どんな作品があるのか?たまたまポスターを見ていたらキャッチコピーの“ベルリンでじっくり味わう”のベルリンにビビビ!ときて、観てきました(笑)ポスターを見るまでこの作品の存在自体知らなかったよ。
ということで、主人公のプータロウ君の不運な24時間を描いた作品で、白黒映画で、フランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」をイメージさせる登場人物と雰囲気があった。
ぶっちゃけ書くと、これがドイツのアカデミー賞主要部門総ナメするにはいささか疑問が…。そんなに素晴らしい作品だとは思わなかったけどm(__)m
不運(ドイツ語で“Pechペヒ”)続きのプータロー君というよりニート君が、ちょっぴり情緒不安定な登場人物たちと出会って何かを学ぶというストーリーなんですが、その何かは具体的には語られてません。多分何かを学んだと、ただ私がそう思っただけ(汗)
この主人公の青年、本当にPechだらけ。運転免許証は情緒不安定と判断されて免許取り消しになるわ、コーヒーを飲むのに小銭が足りず、キャッシュカードはATM機に吸い取られてしまってお金を引き出すことが出来ない。親に黙って大学を中退したことも結局は親父さんにバレていて、仕送りも差し止めされるわ…。他にもPechが続く。
結局は、自分より情緒不安定で過去のトラウマや現在の不遇に苛められた人々と出会うことで、少しは自分の力で生きて行こうと前向きに…なれたかな…?っていう流れです。多分…(汗)
人生には、本当にツイてない不運続きの日々があったりする。誰もがきっと、なんでこうなるの!?と思う出来事に続け様に遭遇したことがあるはず。一回きりじゃなくて、連続で。結局は、自分にとっては大きな出来事でも他人の目から見たら些細なことだったりする。で、実は本当に些細なことであったりする。
不運は向こうから勝手にやってくるんじゃなくて、実はほとんどの出来事が自分で呼び込んでいる、ということに気付くまでにめちゃくちゃ時間がかかる。
自分の気持ちの持ち方次第で運が変わる、という考えに納得出来る方は何が本当の幸せで不幸かが分かっている人だと断言出来る。
自分ってめちゃくちゃ恵まれた人間やん!?たくさんの人に助けられてるわ!と気付くことが出来れば間違いなく未来は明るい。
傍から見ると不幸に見える人でも、実は本人は幸せだったりする。綺麗ごとで書いている部分もありますが、現実は自分の心の持ち様で本当にバラ色に変わる。
今の現実にどうしても耐えられないと言うなら逃げればいい。一時の逃避はアリだと思っている。もし、命に関わることなら、なおさら逃げるべき。本当は何処に行っても自分が変わらない限り逃げられないんだけどね。それに気付くまではトコトン逃げればいい。実際、私がそうだから。
いくら逃げてもお金と時間の無駄だと分かったら、その場で頑張るしかない。結局は、その頑張れる場所が実は本当の自分の居場所だったりするから、結局は無駄なことは何もない。ただ気付くのが遅いか早いかだけ。
この作品の主人公を見ていたら、ドイツも日本も変わらない。世界は言葉が違うだけで、人間の本質は同じだと思う。
社会のストレスで苦しんでいるのは日本人だけじゃない。自殺大国は日本だけじゃない。だから余計生きることに希望が持てないからといって死を選ぶんじゃなくて、死を選ぶなら自分が楽しくなることをしてからにしろ!と言いたい。それでも不運が続くなら単純に間違っていることをしているというだけのこと。今の自分の器に合わないことをしているだけのこと。
ぶっちゃけ書くと、理性で物事が判断出来るというのは、自分の器がどれだけの大きさなのか自分の分を分かっているということ。
分かってないのに、高みばかり見て、足元や正面を見てないと失敗するのは当たり前。
夢や希望がないのは正にそれが原因だと思う。自分を過小評価しているのも原因の一つだと思うから、大きな失敗にならない程度に冒険することも大事だと思う。想像力があれば大きな失敗には繋がらない。ということはある程度の知識と経験も必要。
理性・想像力、そして、ひとかけらの勇気さえあれば、どんな困難も乗り越えられるはず!
この映画の主人公もきっと、他人を通して自分がいかに恵まれた人間なのかに気付けたから、きっと、24時間後にやっとコーヒーが飲めたんだと思う。きっと彼にとってはめちゃくちゃ美味しいコーヒーだと思う。常連さんにはただのコーヒーでもね。
自分の分に合わない大きなことはしなくていい。少しずつ自分の足元も見ながら高みを目指せはいい。
人生は一度きり。自分だけの人生なんだから、結局は楽しんだ者勝ち。でも、分相応にね!を、お忘れなく。
って思った内容でした。
今日のまとめ:新しくなった大阪駅を見るといつもベルリンの近代的な中央駅を思い出します。ひと昔はいかにも旧東ドイツのボロボロな駅だったのに、見事に様変わりしていてビックリした。
ベルリンのテレビ塔も、フリードリヒ通り駅も懐かしかった。
私にとってベルリンの思い出は、2006年のドイツ・サッカー・ワールドカップの決勝戦をイタリアが優勝した試合をブランデンブルグ門前の特設特大スクリーンで観たこと。ジダンの頭突きが懐かしい(笑)
あと、ベルリンはラブパレードが有名。超真夏日のテクノ・トランスサウンドは狂気沙汰やった。あまりの人口密度と熱気が重なって、さっさとベルリンから逃げました(笑)泊まる場所なかったしね。あ~懐かしい。あ、ラブパレード、もうベルリンではやってないらいしい。死者が出たら仕方ないね。
ベルリンは、旧西ドイツと旧東ドイツで顔が違うから、ひと昔はそれが魅力的だったけど、2006年の時は近代的になっていてちと淋しかった。でも、ちょっと中心から離れれば昔の殺風景な面影あり。今は知らないけどね。
あと、人。ベルリンは北欧に違いから体型もそうだけど、体型に比例して顔もめちゃくちゃ大きい!ドイツの南側は小さいんだよ。マジ、ビックリした!を思い出した(笑)←めちゃ失礼やな!m(__)m
映画に映るベルリンの市街地を見ながら、旅行した時を思い出しました。本当に懐かしかった。