こちらが本命。
ドストエフスキーの小説をドイツ語に翻訳したロシア生まれのお婆ちゃんのドキュメント作品。
邦題の“ドストエフスキー”に導かれてこれだけを観ようと映画館に行ったら、まさかのベルリンに導かれて「コーヒーをめぐる冒険」まで観てしまった訳です。
で、この作品もドイツ映画なので、昨日はドストエフスキーとドイツに導かれた…って感じやね。
ちなみに、原題は英語で“The woman with the five elephants(五頭の象と生きる女)”といって、この五頭の象がドストエフスキーの五大長編小説の「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「白痴」「未成年」「悪霊」を意味してるんですよ。ちなみに、わたくし、ドストエフスキー好きを主張してますが、実は未だに「未成年」と「悪霊」は読んでません(汗)読むタイミングを逃したからあんな小さい文字で埋め尽くされた文章もう読めない(涙)カラマーゾフにはまって一気に他の文庫も読んだけど、この二作だけ手付かずだった。当時は「未成年」の文庫はなかったんだけどね…。
は、いいとして、映像を見たら分かりますが、この本がめちゃくちゃ分厚い!日本語翻訳版は分冊されているけど、ドイツでは一冊になっていて、日本の文庫は小さいけど、向こうはもっと大きいから本当に象みたいな厚みと大きさがあるんですよ。
わたくし、ドイツ語を勉強してましたが、ドイツ文学をドイツ語で読んだことありません(汗)好きな小説であるカフカの「城」だけドイツ語版を持ってるくらい。一応文庫だけど単行本並みの厚みがある。これ、頑張って読もうとしたんだけど、辞書引くの面倒くさいから途中で頓挫しました…。私のドイツ語力は、所詮旅行会話程度です…(汗)
も、さておき、
この作品、タイトルの中のドストエフスキーのに惹かれて観たんですが、ぶっちゃけ書くと、あまりドストエフスキー本人に関係ない。
確かに五頭の象はドストエフスキーの作品だし、映像の中で主人公の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーが翻訳している作品もまさにドストエフスキーの「賭博者」(←パンフの年譜と登場人物の名前から推察)なんだけど、ドストエフスキーの精神哲学に触れている形跡がない。ただ単に五頭の象=ドストエフスキーに過ぎず、この作品におけるドストエフスキーの存在はロシア文学の象徴に過ぎなかったのが残念だった。
でも、それ以外は観て良かったです。
翻訳家スヴェトラーナ女史の人生。彼女が何故ドイツ語の翻訳家になったのか?
彼女の日常から、その答えが紐解かれていく。
まさに神様に生かされたと言っても過言でない数奇な人生と導き。
彼女の人生にはナチ政権と大きな関わりがある。反ナチ政権を題材にした作品はあまたあるけど、逆の作品はなかったかもね。決してナチ政権を正当化する内容ではないけど、ナチ政権によって生されたことは間違いない。
だからこそ、彼女がロシア文学をドイツ語に翻訳することに大きな意味がある。
具体的なことは書きませんが、彼女が生きる理由に胸を打たれました。まさしく、スヴェトラーナ自身がドストエフスキーのような人生哲学を持っていて、ドストエフスキーの言葉ではない彼女自身の言葉に大きな言霊を感じました。
そこはちゃんとパンフにも掲載されていて、ナイスチョイス!でした。
ただ単に、ロシア文学をドイツ語に直訳として翻訳するのではなく、どれだけ作者の魂に近づけるか?魂の仕事をされている…、もう亡くなられたので、魂の仕事をされた方でした。
パンフによると、偶然、生まれ故郷のキエフにドイツに移住してから約60年ぶりに行くことが出来た事実に驚き。これも神様の導きだね。行こうと思えばいつでも行けた。ただ行く理由がなかったから行かなかっただけ。でも今回は講義の依頼でキエフに行くことになった。亡くなる前にお父さんのお墓参りできるなんて、神様のお導き以外のなにものでもない。
今気付いたけど、邦題「ドストエフスキーと愛に生きる」、間違ってないね。確かにドストエフスキー(作品)と一緒に愛に生きた一人の女性の物語でした。最初は、ドストエフスキーに愛を捧げた女性の話かと思った。ま、その解釈も間違ってはないけど、ドストエフスキーと一緒に…の方がしっくりきた。
そうそう、息子さんに対する愛も切ないものがありました。
本当、愛に生きるって時に幸せなことでもあるけど、時に残酷な時もありますね。
この作品、2009年に製作されました。何故5年後の2014年に日本で上映したんでしょう?不思議…。
このパンフ、非常にお買い得でした。日本で活躍するたくさん翻訳家さんのインタビューや、作家さんのコメントが掲載されてます。なんと言っても、スヴェトラーナ女史の印象的な言葉が掲載されていることが素晴らしい!
今日のまとめ:これも何度も書きますが「カラマーゾフの兄弟」で私の人生観は変わった。ドミートリーが私の分身に思えてならなかったから。あのまま本能のまま荒んだ生活を送っていたら、きっとドミートリーみたいに人殺ししてないのに信用されず犯人にされる人生を送ったかもしれない。ぶっちゃけ、孤独より信用されないことの方が私には辛い。わたくし、若い頃はグレる代わりにやりたい放題生きてた。あまりの不平等さに納得いかなかったから。ほんま、若気の至りは後悔の至りに繋がるから要注意!
この本のお蔭で少しは人間らしい生活を送れてます。多分(笑)本当に今は感謝でしかない。
何をしても思い通りにならない。人間、落ちるとこまで落ちたら、必ず一筋の光が道を照らしてくれる。決してその光に目を背けず、その光(ある種、閃きみたいなもの)に導かれると、自ずと新しい自分に出会える。それでもたくさんの試練はあるけどね。でも、ひと昔に比べたらかなり精神的に生きやすくなった。
ドストエフスキーの小説をドイツ語に翻訳したロシア生まれのお婆ちゃんのドキュメント作品。
邦題の“ドストエフスキー”に導かれてこれだけを観ようと映画館に行ったら、まさかのベルリンに導かれて「コーヒーをめぐる冒険」まで観てしまった訳です。
で、この作品もドイツ映画なので、昨日はドストエフスキーとドイツに導かれた…って感じやね。
ちなみに、原題は英語で“The woman with the five elephants(五頭の象と生きる女)”といって、この五頭の象がドストエフスキーの五大長編小説の「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「白痴」「未成年」「悪霊」を意味してるんですよ。ちなみに、わたくし、ドストエフスキー好きを主張してますが、実は未だに「未成年」と「悪霊」は読んでません(汗)読むタイミングを逃したからあんな小さい文字で埋め尽くされた文章もう読めない(涙)カラマーゾフにはまって一気に他の文庫も読んだけど、この二作だけ手付かずだった。当時は「未成年」の文庫はなかったんだけどね…。
は、いいとして、映像を見たら分かりますが、この本がめちゃくちゃ分厚い!日本語翻訳版は分冊されているけど、ドイツでは一冊になっていて、日本の文庫は小さいけど、向こうはもっと大きいから本当に象みたいな厚みと大きさがあるんですよ。
わたくし、ドイツ語を勉強してましたが、ドイツ文学をドイツ語で読んだことありません(汗)好きな小説であるカフカの「城」だけドイツ語版を持ってるくらい。一応文庫だけど単行本並みの厚みがある。これ、頑張って読もうとしたんだけど、辞書引くの面倒くさいから途中で頓挫しました…。私のドイツ語力は、所詮旅行会話程度です…(汗)
も、さておき、
この作品、タイトルの中のドストエフスキーのに惹かれて観たんですが、ぶっちゃけ書くと、あまりドストエフスキー本人に関係ない。
確かに五頭の象はドストエフスキーの作品だし、映像の中で主人公の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーが翻訳している作品もまさにドストエフスキーの「賭博者」(←パンフの年譜と登場人物の名前から推察)なんだけど、ドストエフスキーの精神哲学に触れている形跡がない。ただ単に五頭の象=ドストエフスキーに過ぎず、この作品におけるドストエフスキーの存在はロシア文学の象徴に過ぎなかったのが残念だった。
でも、それ以外は観て良かったです。
翻訳家スヴェトラーナ女史の人生。彼女が何故ドイツ語の翻訳家になったのか?
彼女の日常から、その答えが紐解かれていく。
まさに神様に生かされたと言っても過言でない数奇な人生と導き。
彼女の人生にはナチ政権と大きな関わりがある。反ナチ政権を題材にした作品はあまたあるけど、逆の作品はなかったかもね。決してナチ政権を正当化する内容ではないけど、ナチ政権によって生されたことは間違いない。
だからこそ、彼女がロシア文学をドイツ語に翻訳することに大きな意味がある。
具体的なことは書きませんが、彼女が生きる理由に胸を打たれました。まさしく、スヴェトラーナ自身がドストエフスキーのような人生哲学を持っていて、ドストエフスキーの言葉ではない彼女自身の言葉に大きな言霊を感じました。
そこはちゃんとパンフにも掲載されていて、ナイスチョイス!でした。
ただ単に、ロシア文学をドイツ語に直訳として翻訳するのではなく、どれだけ作者の魂に近づけるか?魂の仕事をされている…、もう亡くなられたので、魂の仕事をされた方でした。
パンフによると、偶然、生まれ故郷のキエフにドイツに移住してから約60年ぶりに行くことが出来た事実に驚き。これも神様の導きだね。行こうと思えばいつでも行けた。ただ行く理由がなかったから行かなかっただけ。でも今回は講義の依頼でキエフに行くことになった。亡くなる前にお父さんのお墓参りできるなんて、神様のお導き以外のなにものでもない。
今気付いたけど、邦題「ドストエフスキーと愛に生きる」、間違ってないね。確かにドストエフスキー(作品)と一緒に愛に生きた一人の女性の物語でした。最初は、ドストエフスキーに愛を捧げた女性の話かと思った。ま、その解釈も間違ってはないけど、ドストエフスキーと一緒に…の方がしっくりきた。
そうそう、息子さんに対する愛も切ないものがありました。
本当、愛に生きるって時に幸せなことでもあるけど、時に残酷な時もありますね。
この作品、2009年に製作されました。何故5年後の2014年に日本で上映したんでしょう?不思議…。
このパンフ、非常にお買い得でした。日本で活躍するたくさん翻訳家さんのインタビューや、作家さんのコメントが掲載されてます。なんと言っても、スヴェトラーナ女史の印象的な言葉が掲載されていることが素晴らしい!
今日のまとめ:これも何度も書きますが「カラマーゾフの兄弟」で私の人生観は変わった。ドミートリーが私の分身に思えてならなかったから。あのまま本能のまま荒んだ生活を送っていたら、きっとドミートリーみたいに人殺ししてないのに信用されず犯人にされる人生を送ったかもしれない。ぶっちゃけ、孤独より信用されないことの方が私には辛い。わたくし、若い頃はグレる代わりにやりたい放題生きてた。あまりの不平等さに納得いかなかったから。ほんま、若気の至りは後悔の至りに繋がるから要注意!
この本のお蔭で少しは人間らしい生活を送れてます。多分(笑)本当に今は感謝でしかない。
何をしても思い通りにならない。人間、落ちるとこまで落ちたら、必ず一筋の光が道を照らしてくれる。決してその光に目を背けず、その光(ある種、閃きみたいなもの)に導かれると、自ずと新しい自分に出会える。それでもたくさんの試練はあるけどね。でも、ひと昔に比べたらかなり精神的に生きやすくなった。