めちゃくちゃ難解なストーリーだった。最初から何を喋っているのか理解出来なかった。
を前提に、いつものごとく感じたことを書いていきます。
途中から見えてきたのは、マハーバーラタ戦記と同じく、どうやったら戦争を終わらせることができるか?をテーマにしていること。
武力によって敵を完全制覇するか?慈悲の精神で鎮めるか?
現王ダンカンもマクベス夫人も、頭の中は完全制覇しか考えていない。あれっ…?肝心のマクベスは??
そう、本作は、シェークスピアの「マクベス」のプロットだけ拝借して、登場人物の関係性は、少ない登場人物に合わせて再構築されている。
明らかにシェークスピア版にはないマクベス夫人の出自が語られたり、娘までいる設定。
シェークスピア版とは名前が同じでも性別が逆であったり、マクベス夫人はダンカン王とは血縁関係ではないが、精神的な父娘の関係設定になっている。
それぞれの登場人物は、しっかりシェークスピア版の誰かやプロットに当てはまっている。
そして、時代背景がまるで現代社会にタイムワープしたと言わんばかりに、現代社会で使われる用語やアイテム、シチュエーションで語られる。ワンルーム?紐のついたペン?書類?事務処理?具体的な単語は忘れたが、明らかにシェークスピア版には出てこない単語やシチュエーションの数々。
シェークスピア版の時代でもあり、現代でもあったり…、摩訶不思議な時代設定。
粗筋を読んで見えてくるように、ユリちゃん演じるマクベス夫人は、元軍人設定ではあるが、明らかに現代社会を象徴した人物でもある。
出世欲があるキャリアウーマンが結婚と出産を機に第一線から去就せざるをえず、復職したくてももう第一線では働けない女性の象徴。
アダム・クーパー演じる夫のマクベスは、まるで戦争によってPTSDで精神を病んでいるかのごとく軍人としての勇ましさの微塵もかけらもない。これは、現代社会のストレスで鬱症状に苛まれている者の象徴ともいえる。
魔女の予言、正確な台詞は忘れたが、
女から生まれた者でお前に敵う者はいない。
親を殺した者は眠れない。
といった予言を受けるのは、マクベスではなくマクベス夫人のほうである。
ダンカン王を殺すのはマクベスではなくマクベス夫人。そして、マクベスは…。
そして、物語は、シェークスピア版と同じように予言を覆していく。
最終的に投げかけられる問いは、
あなたならどうする?
ここには、どうやって戦争を終わらせる?どうやって社会を平穏にさせる?という問題提起がある。
この物語の主人公は、もちろん、ユリちゃん演じるマクベス夫人ではあるが、作品としてのキーパーソンは娘。
娘こそ、まさに現代社会の我々の象徴。未来を変えるのは首相でも大統領でもない、我々国民一人ひとりというメッセージがビンビン伝わってくるようだった。
ということで、ユリちゃんとユリちゃんが敬愛するアダム・クーパー競演の舞台を観てきました。
色々書きましたが、本当に状況把握するのが大変な作品だった。
時代はいつ?あなたは誰?何を喋っているの?理解に苦しむものがあった。
おそらくこういうことかな…?と思いながら観てましたが、間違いなく、シェークスピアのマクベスを拝借して、現代社会の問題点を浮き彫りにした作品だと思いました。
いくら雇用均等法で女性の社会進出が認められていていても、まだまだ出産によるキャリア断念や社会復帰の困難といった課題が残っている。
女性の社会問題だけでなく、繰り返される戦争や現代社会における不穏な状況も描いた作品でもあると解釈した。
ユリちゃん演じるマクベス夫人は、まさにMr.マクベス夫人とも言うべき上昇志向の強い女性である。出産によりキャリアアップを断念し、夫マクベスに思いを託すが当てにならない。もちろん、夫を軽蔑、蔑ろにしているわけではないが、台詞にはないが、もし私が男だったら…という強い思いが見えてくるのは役どころ。
アダム・クーパーは、やはり、日本語ペラペラではないことを最大限に活かした役どころでした。精神を病んでいる時は、心に秘めた想いは簡単には口に出来ない。マクベス夫人に訴えても理解してもらえない恐れ。男はかくあるべしという抑圧に苛まれているのが見えてくる表現でした。実は、マクベス自身が平和の象徴の鍵を握る人物だったのではないか?と思えるくらいアダム・クーパー本人の優しさが溢れでている役どころでもありました。
2人の娘役の吉川愛ちゃんがめちゃくちゃ自然で上手かった。発声が素晴らしいかった。わざわざ娘設定にした理由がラストで明白になるわけだけども、ストーリーテラーの役割もあり、また観客の代表的存在でもあるので、表現がお見事でした。
マクダフ役の鈴木保奈美さんも、芸能界復帰してまだ間もないのに、めちゃくちゃ貫禄と安定感があって素晴らしかった。発声も良かった。シェークスピア版では、魔女の予言を覆してマクダフを殺すマクダフを、女性に置き換えた役どころではあり、シェークスピア版を踏襲した役柄ではないが、ユリちゃんと敵意剥き出しなのが観ていて心地良かった。女性同士のプチバトルは演劇の醍醐味でもある。
マクベス夫人の幼馴染役のバンクォー役の要潤さんの安定感。
マクベスの指揮下の女軍人のレノックス役で、何度も死んでは生き返る不思議な役どころ(出番が少ないのと、人手が足りないからと思われる)の宮下今日子さんの勇ましさ。
マクベス夫人に殺されるダンカン役の栗原英雄さんの威厳さ。
たった7人で、シェークスピアのオリジナルマクベスの世界観と新たに脚色されたレディマクベスの世界観を融合した、理解困難な台詞の数々と、まさに実験的な作風の本作を作り上げていて、アダム・クーパーに至っては母国語でない役どころ。英語で喋るシーンはあったが…。
作品のテーマは、女性の自立というより、それも含めて、どうやったら社会をよく出来るのか?生きやすい世の中にできるのか?を問うた作品だと思った。
演じる側も観る側も本当に大変な作品だと思いました。