お詫び:毎度の如く、頭の中整理せずに書いてるから、後日読み返すと何を書いてるのか自分でも分からなくなった…(汗)を前提にお読みくださいませm(__)m
松浦美奈さんの字幕やん!?
美奈さんの字幕とウィレム・デフォーの演技が観れただけで満足。あとは…。
ラストのロンドンの章が一番良かったんだけど、それまで一体何を観させられているのか?レビューで結末のオチを知った上で観たけど、オチまでが長かった…(涙)
ぶっちゃけ、オチの展開もエバが娼婦になるのも知っていたが故に、ロンドンの章までが中弛みし過ぎて、世界観に浸ることが出来なかった。
しかも、監督や脚本家は何を伝えようとしているのか言葉もメッセージも降りてこなかったから更に退屈だった。
ニコールの「聖なる鹿殺し」と同じ監督だとは思えないくらい、次の展開がどうなるのかハラハラもドキドキもなかったし、どこがフェミニズムなん?と懐疑心しかなかった。
ロンドンの章まではね。
ロンドンの章に入ってやっとフェミニズムを謳った作品である理由が見えてきた。
でもね、私はフェミニズムだとは思わなかった。女性に限らず、人間誰しも自由意志で選択する権利があると感じた。
一番の理由は、私がエバなら、ウィレム演じるゴッドに、「なんでワシを創ったんや!?なにしてくれとんねん!?」と文句言ってたと思うから。まるで駄々をこねるダンカンみたいにね。
でも、エバはそれをしなかった。むしろ、ゴッドを受け入れてたよね。
本当にフェミニズムを謳った作品ならゴッドもマックスも存在を否定すると思うんよね?マックスはさておき、ゴッドは自分のエゴでエバを創造したわけやからね。これが女性なら話は別。
これは、男女関係なく、1人の人間の自由意志の尊重を描いた作品だと思った。
エバが誕生してから、知能が赤ちゃんの時からゴッドの言うことを聞かず、エバはすでに自分の感情に正直に自由意志で選択して旅立ったから。数多の経験と学びを得てロンドンに戻ってきた。
エバは誕生した時から常に自由意志で生きてきた。それをゴッドのせいに出来る?それだけ考えられるくらい知能を持てるまで成長していた。
ラストのエバと婚約者のマックスの会話でも分かるように、パリで娼婦として体を売ってお金を得ていたことをマックスに打ち明ける。その時は、お金がなかったただそれだけの理由で選択したのであって、娼婦になってお金を貰うことに対して恥とも世間から蔑まれる行為だとも概念が元々なかったからね。
そこから更に知識を得て、世間の反応というものを経験から学ぶ。
エバの思考には正しいも間違いもない。あるのはYESかNOのどちらか。したいかしたくないかの意志のみ。
貧しくて死んでいく子供達が可哀想だから、マックスの全財産を子供達にあげた(直接ではなく誰かを介して。実際は渡した相手にネコババされた可能性が大だが…)。マックスが極貧になることなんて考えるまでの思考は持ち合わせていなかった。
エバの行動や発言は、社会一般常識に対して違う目線で観客に伝える役割を担っているのが分かる設定になっている。素晴らしいキャラ設定でしたね。
ファンタジー要素の中に、宗教、社会主義や資本主義という言葉を出すあたりも、全く異なる思想やけど、お金という視点では共通していることを言ってるんよね。
私にいわせれば、世界はいつから拝金主義になったの?なんで世の中の人はそれが当たり前だと思ってるの?なんで拝金主義の世の中になったのか疑問に思わないの?実は黒幕がいるんだよと訴えかけているように感じてならなかった。
元々エバの体は、飛び降り自殺した妊婦の女性のもの。脳はお腹の中の赤ちゃんから移植した。だから、死に対する嫌悪感が無意識の中に芽生えている。ひょっとしたらお母さんのお腹の中で既に感覚的に理解していた可能性がある。
ロンドンの章で、自殺した女性の夫と再会?出会い、なぜ肉体の持ち主が自殺をしたのか理解し、ある行動を起こす。これが「聖なる鹿殺し」の監督らしさを感じた。
それよりも、ラストの、エバとゴッドとマックスのベッド上での3人のスリーショットが物語の核心だと思うんよね。
これは映画評論家の丸山智浩さんが言ってたことですが、エバはゴッドによって創造され、設定的にはフランケンシュタインの怪物と同じだけど、エバと怪物の違いは、創造主に愛されていたか否か。
本当にその通りだと思った。
フランケンシュタインでは、ラスト、怪物は南極?まで博士を追いかけ続けるやん。まさに愛の渇望の証とも取れる。
一方、エバはゴッドから愛されてた。エバのワガママに対しても一切怒ることはなかった。
愛が世界を変えるとは言ってないけど、愛が世の中を良くすることが出来るのは事実だからね。エバは間違いなく愛を与えていくであろう人物として描かれている。
そりゃ、エバは娼婦をしていたけど、世の中を良くしたいと望む女性でもあるわけだから、職業で差別するな!とは訴えるとは思う。
実際、飯島愛ちゃんみたいに元AV女優でも世の中の偏見を変えようと頑張ってたわけやん。愛ちゃんに以外にもAVで稼いだお金を元手に起業家してる方もいるしね。そこには、エバ同様、自分はどう生きていくか、その意志が大事になってくるんよね。それって、フェミニズムに関係なく自分力だと思うんよね。
話は飛ぶけど、ぶっちゃけさ、ある有名な姉妹の言葉を借りるなら、皆誰かのお古やん?古着と一緒やん?お金をもらってるか否かの違いやん。お金をもらってるという理由だけ差別されるのはね…。結婚しない私に言わせれば、結婚したら法律的にタダでセックス出来るという関係性もどうなん?って思ってしまうけどね。
はい、脱線しましたm(__)m
「Firebird」には学びが描かれていなかったけど、こちらにはちゃん学びが描かれているから、断然「哀れなるものたち」の方に軍配が上がる。
ということで、ゴールデングローブ賞でもオスカーノミネートでも超話題の作品を観てきました。
ぶっちゃけ、レビューを読んだ時から、エマ・ストーンの脱ぎっぷりとかセックスシーンが多いとかしか書かれていないから正直興味が沸かなかった。女性版フランケンシュタインで性に目覚める役どころだと思っていたから。
でも、丸山智浩さんの解説を聞いて俄然興味が湧いて、オスカーにノミネートされているから2月いっぱいは上映してくれるだろうと高をくくっていたら、もう1日1回の上映になっていたので、慌て観てきました。「Firebird」の方が先に終わると思っていたからね。
個人的には、中弛みが正直辛かったのでめちゃくちゃ感動はしませんでしたが、しっかりしたメッセージ性は感じたので観て良かった。少なくとも「Firebird」より断然コッチの方が良い!
確かにエマ・ストーンが体当たりでしたが、評判どおりセックスシーンや裸には全然やらしさはなかった。完全にピュアなエバとして存在していたので、エバの言動が世の中の矛盾を露顕する見せ方になっていたのは良かった。
赤ちゃんの知能の時の動きがめちゃくちゃリアルで上手かった。まるで、演劇学校でやるエチュードみたいだったね。
ウィレムのゴッドは、めちゃくちゃキュートで癒やしだった。めちゃくちゃ良かった!宦官だからエバに性欲がない設定が良い。エレクションを得るには他から電気エネルギーを供給?云々の発想は面白い。
マーク・ラファロ演じるダンカンの気持ちはめちゃくちゃ理解できる。恋する気持ちも女々しさも分かる!でも、エバの思考目線でダンカンを見たら、いかにもマイナス思考人間だということが分かる見せ方になっているのが上手い脚本かつ演出だと思った。
エバの思考目線だと、本当男社会は女々しい。
その点、ゴッドとマックスの存在は、女々しさがなく、経験豊富になって帰ってきたエバに対しても家出する前と変わらない姿勢が良いね。ダンカンや旦那達と対照的な見せ方なのが良い。
そういう意味では、マックス役の俳優さんも癒やし系で良い。
映像的には、「アメリ」の監督ジャン=ピエール・ルネの「デリカテッセン」や「ロスト・チルドレン」がフラッシュバックした。ファンタジックな美術で、全編白黒でも良かったかもね。
カメラワークも魚眼レンズを駆使したりと斬新な見せ方でしたが、なぜその演出になったのかは意味不明だったけどね。
今年のオスカーは「オッペンハイマー」が有力な感じがするが、エマ・ストーンにオスカーあげたいね。
っていうか、「ナポレオン」が辛うじて技術面でノミネートされていて安心した。
そうそう、「ナポレオン」に関しては丸山智浩さんは否でしたね。理由は納得。そんなに史実と違うんや〜。