諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

クルマをぶつけた。

2023年03月27日 21時32分40秒 | 出来事
昨年の1月、母親が「お父さんがいなくなった」と言った。父親は歩くのも困難だった。それなのにどこに行ったのか。近くのドラッグストアのツルハか。

私は焦って車に乗り込み、父を探したが見つからない。焦る。

焦りながらお金が無いことに気づく。途中、銀行でお金を下ろそうとしたら、銀行の車止めのバーに思いっきりクルマをぶつけた。バンパーがずれて隙間が空いた。

クルマなんてどうでも良い。父を探し続けたが、どこを探しても見つからない。あんまり歩けなので近くの筈だが見つからない。

それで父のアパートに戻ったら、父は寝ていた。母親が父が寝ているのが分からず行方不明と言ったのだ。忘れていた。母が認知症であることを。

父にバンパーをぶつけたことを言ったら、1か月前に直したばかりだと言う。その点からも父と私の相性が悪いことが分かる。どうせボロクルマなのだ。直さずにそのままにしていたら、ぶつけた心のダメージも軽く済んだのに。

そして現在。2日前に不動産屋から電話があり、28日火曜日に部屋を見たい客を案内すると言う。

昨日は予定があった。それで今日、そのアパートへ掃除に行こうとしたのだが、ウエス(拭き取る布)が無いことに気が付いてホームセンターへ。

ウエスを買ってきて家でゴム手袋を探し、駐車場からバックで出ようとしたら、信号待ちで停車しているクルマにぶつかってしまった。走行してくるクルマしか見ていなかった。全面的に私が悪い。

ぶつかったのは私のクルマはブレーキランプ。ヒビが入っていた。相手のクルマは30代女性が運転しているトヨタのSUV。

私は「私が確認しなかったので全面的に悪いです」と行って謝る。女性は慌てる様子もなく冷静だった。

私は部屋に戻り警察を呼んだ。15分後、プリウスのパトカーが到着。女性と男性の警察官に事情を話す。私の後方確認が不十分だったと。信号待ちでクルマが停車していなかったことに気が付かなかったと伝えた。

通常ならちゃんと確認していた筈だ。しかし、「急いで掃除に行かなければ」との思いで注意力が散漫となる。昔からそうだ。一つの事で頭がいっぱいになり、それしか考えられなくなるのだ。

これは私の器の小ささ。器量の無さ。心の余裕の無さが原因だ。

考えれば私は元々、鬱病に近い精神状態にあったように思える。何でも鬱病のせいにするのは良くないが、気持ちが小さいのである。

父が亡くなり、バイクで3度ほど事故に遭いそうになった。それも気持ちの小ささ、弱さからだ。元々なのだ。

元々、私は弱いのだ。人生を堂々と歩める性能を有していないのだ。生きるのに向いていないのだ。

そんな私が生きて行くのは困難を有する。何で私みたいな人間が存在するのだろう。

それは自然の摂理なのだと思う。この世の中、強弱と善悪で成り立っている。「悪」は本来は「強い」と言う意味だ。

強い者がいて弱い者がいる。強ければ幸せになり、弱ければ不幸になる。それが世の中の摂理なのだと思う。

でも、強いだけでは生きて行けないのも人生だと言える。でも、強さには価値があるのだろうか。

例えば仙台の坊さんが大峯千日回峰行に成功した。山を千日歩き回る修行??だ。更には食べず寝ず、真言を唱える修行もある。それは凄い精神力だと思う。

でも、それって何の意味があるのだろう。疲れても歩き続ける。寝たくても寝ない。腹が減っても食べない。自然の摂理に逆らう。それで名声を得る。凄い人物だと認められる。

そんなのに何の価値があるのか。私は何とも思わない。勝手にやってろと思うだけ。それって無我の境地の真逆ではないのか。欲ではないのか。

何時もの様に支離滅裂になってまいりました。

心配事だらけなのです。税理士もうちの資産の管理をしたいと思ってい居るし、不動産を売れとか余計な事を言い始めたし。

私は弱いと思われている。不動産屋にも騙されそうになったし、税理士も騙す雰囲気が出て来た。誰も信用できない。

自分しか信用できないと言いたいところだが、鬱病故に自分も信用できなくなっている。

安息が欲しい。この感覚、自殺者が通った感覚の様に思う。

そうならない為に抗鬱剤だ。薬に頼ろう。薬だけが私を助けてくれる。

でも、薬を頼り過ぎると薬から離れなくなるのも事実。

何を頼りにして生きればいいのだろう。家族がいない私は、どうしたら良いのだろう。

それは兎も角、また自動車の保険料が上がってしまうな。困ったもんだわ。


ではでは。


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父が亡くなった病院の前で、バイクのタイヤがパンクした。その6

2023年03月10日 15時05分45秒 | 出来事
続きです。

長々と父の死の経緯を書いてきました。父の最後の地でバイクが急にパンクした。これが偶然と言えるのだろうか。

偶然とは思えない。父が私に何か言いたいのか。私に仕返ししたいのか。死んでもまだ恨んでいるのか。

取り合えず、大変な事となった。仙台の中心部なのである。バイク屋なんて近くにはない。

私の家から仙台駅は直線で図ると7キロとチョット。パンクして停車した場所は8キロくらいか。道なりで図ると10キロは楽にある。

行きつけのバイク屋はかつて私が幽霊と遭遇した神社の前にある。直線で計ると5~6キロ。道なりで計ると7~8キロか。

これは父親からの挑発か。嫌がらせか。何を悟らせたいのか。それなら受けて立とうじゃないか。バイク屋までバイクを押して持って行ってやる。

私は不運な男。これまでもパンクした愛車を何度も押して歩いた。

90ccのバイクだから車重は100キロ程度なのだが、後ろのタイヤがパンクしているのである。それを押して歩くのは大変力がいるのである。辛いのである。

100メートルも押して歩くと肩と腕が痛くなる。当然足も。その度に暫し休む。長くても200メートルが限界。その度に休む。その繰り返し。場所をわきまえず何度も座り込んで休む。

結果、午後3時過ぎからバイクを押し歩いたが、バイク屋に付いたのは午後8時を回っていた。5時間近く押し歩いた。

そしてバイク屋に近い神社寄りの空き地にバイクを放置してスーパーで買い物。そしてまたスーパーで買い物。兎に角、疲れていて空腹だった。朝から何も食べていなかったし。

家に付いたのは午後10時。結構な試練だった。

タイヤは前後とも溝が減っていた。予備としてタイヤとチューブを持っていたが、この際、前後のタイヤ共交換しよう。チューブもリムバンドも交換だ。

バイク屋での費用は6800円。タイヤやチューブ代等は8000円。計14800円の出費となった。

これが父が与えた私への負なのか。それともタイヤを交換したことで事故が防げて正となるのか。

もう、どちらでもいいや。なるようになれ。


ではでは。




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父が亡くなった病院の前で、バイクのタイヤがパンクした。その5

2023年03月09日 13時16分31秒 | 出来事
続きます。

父は先進医療の隣町の総合病院に入院していたが、87歳と言う高齢故に手術が出来ない。手の施しようがない。治療が出来ない患者を入院させられては病院側が困る。

そうなると終末医療の病院に移される。死を待つために存在する病院だ。

このコロナ禍、どこの心療内科・精神科も患者で溢れているが、終末医療の病院もベッドが足りない状態にある。医療が放棄され、死を待つだけの患者も増えていたのだ。

医療コーディネーターに探してもらって、やっと見つけたのが仙台市の中心部にある病院だった。

父は病院を移されるのではなく、退院だと思ったらしい。それで弟に「温泉に行くか?」と嬉しそうに聞いた様だ。それが肉親との最後の別れになるとも知らずに。

その後、2ヶ月近くその病院に入院。

コロナ禍故に見舞いは許されない。死を待つだけの患者専門の病院なのである。コロナのファンデミックになったら大変な事となる。他に患者を移せる病院は無い。

4月18日に病院から呼び出しがあった。危篤状態になっていた。勿論、意識は無い。

私は父の後始末の為に税理士に提出する書類を区役所に取りに行き、税理士へ渡してから向かった。

その時は葬式にも出ないつもりでいた。父の死を看取るのも正直、躊躇した。私なら死の瞬間は誰にも見られたくない。孤独死が理想の死なので。

精神病の専門用語と言って良いのだが、「親殺し」を決行すべきだと思った。父の死を見届ける。父の死を認識する。そうしないと何時までも父の亡霊に悩まされる。「親殺し」は自分が生きて行く上で必要だと感じた。

父は別人の顔をしていた。痩せたので入れ歯を新調していたが、その入れ歯さえもサイズが合わない程痩せていた。顎が要潤みたいに非常に細い。体重は40
キロとなっていた。半年で27キロ以上痩せていた。

そして私が到着後、1時間半後に亡くなった。

病室にはコロナ感染を恐れて2名までしか入れない。

父の弟が東京から二人到着。30分ほど顔を見て弟が見送りに行った後に父が急変した。

その場に居合わせたのは認知症の母と私のみ。そして父が亡くなる瞬間を見たのは私だけだった。


続く。


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父が亡くなった病院の前で、バイクのタイヤがパンクした。その4

2023年03月06日 12時16分03秒 | 出来事
続きです。

あの時、私が両親を引き留めていたら父の寿命は5年は延びていただろう。

父母のストレスを全て私が受け止めていたら、認知症のスピードもゆっくりだったかも知れない。

でも、私は父母とは別れたかった。東京に出たのもその為だ。

しかし、一度は私のマンション設計の案を受け入れたが、また自分の意見を通した欲張った設計に戻した。それで大家業は大きく傾いた。

私からしたら分かり切った失敗だ。現在もその失敗が響いている。私が東京に出なければ父を止めれていた。成功は続いていた。生活は安定した筈だ。

私は家業を必死で手伝い、伯父や母に罵倒されながらも豊田商事の詐欺を防いだ。

父も母も妹も弟も知恵遅れだ。頭が悪い。知識が無い。それが分かっていながら東京に出た。それで大失敗した。

そこで私の鬱はピークに達した。そのピークが今も続いている。

私の父は不動産屋の間ではバカ大家だと噂されている。だから騙そうとする不動産屋が父に何人も近づいた。

父は金持ちぶって不動産屋にちやほやされたいが為に、不動産屋に喜んで足を運んだ。私に黙ってだ。

それを察知して私は不動産屋に足を運んだ。そしたら何時の間にか物件の売買誓約書が作成されていた。父ならそれがどういうものなのか分からずにサインしていた可能性が高い。

不動産屋も息子の私も容易く騙せると思っていたようだ。

これでも私は総会屋系経済誌で不動産の記事を専門に書いていたのだ。その知識で不動産屋を圧倒してやった。

そして大家の会に入っている事も伝えだ。大家の会の会員は500名近いと思う。騙したら大家の会に知られる。噂は一気に仙台に広まる。

不動産屋はそれに恐怖した。それからは騙しには来なくなったが、ヤクザな不動産屋は陰で父親に接触し続けていた。

それも私が察知して、行ってヤクザ不動産屋とも対峙した。

これを言ってはお終いだが、不動産屋には悪質な者が多く集まる。良い不動産屋もあるが、それはしっかりした経営状態にある不動産屋のみだ。多くはヤクザと変わらない。それは仙台に限らずだと思う。

父は自分の成功経験がある。それは運が良かったからだ。私と母が働いたからだ。

父は経営者の器ではない。毎日、パチンコ屋に通っていたバカだ。

しかし、経営者の立場を手放さない。自分がトップであり続けたいと病的に思っていた。

だから87歳になっても私の意見には従わなかった。母が認知症になり、父も亡くなった現在、相続税で大変な事になった。父が家を買おうと母の預金を自分のものにしていたのだ。

そして87歳で新築の家を買おうとした。私はそれを察知して多くの不動産屋を回った。父の認知症を告げて契約の取り消しを求めた。

それで不動産屋は父の意向を聞かなくなり、父は家を諦めた。私の元に戻ると言い出した。

しかし、家を諦めた為か体調は頗る悪くなっていた。

つまり、私も父の死因の一つに成っていたと言えるのである。


続く。






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父が亡くなった病院の前で、バイクのタイヤがパンクした。その3

2023年03月05日 13時24分10秒 | 出来事
続きます。

父は行きつけの個人病院では、体調不調の原因が分からなかった。

私が父に付き添ってこの病院の医師に「父は鬱病ですよ」と言ったら、医師は「あっ、そうか」と言って、入院施設のある心療内科を調べ紹介してくれたが、連絡したら患者が多すぎて入院は断られた。どこの心療内科も患者で溢れていているみたいだ。

待合室で父の診察を待っている時、ベテラン女性看護師が私の前に立って、「息子さんも糖尿病の可能性が高いですよ、診察を受けた方が良いです」と言ってきた。

私は以前、重度の糖尿病と診察されインシュリン注射を勧められましたが、誤診でした。精神的な原因で血糖値が上がっていたのです。医師の言う通りインシュリン注射を受け入れていたら、一生続けなければならないとこでした」と返答。看護師は返す言葉はなかった。

そして父の診察を聞き行ったときに医師に伝えた。

「父は糖尿病ではないと思います。何時も食事をしてから血糖値を計っていたのだと思います。現にヘモグロビンa1cは正常なのに、空腹時の血糖値は200を超えているのがその証拠ですよ」と私。

医師は「そうだと思った」と言い返した。

この医師は父にインシュリン注射を渡している。血糖値のデーターを見れば、そんなの必要ないのは私だって分かる。この医院は金儲け第一主義の悪質な藪医者だ。

そして数日後、体調不調で隣町の総合病院に救急車で運んだ。検査をしたが原因が不明とのこと。

後日、精密検査をしたがレントゲンで癌の疑いはあるが、胃カメラも手術も耐えられる体力はないので、調べようがないと言われて返された。

それからやはり体調が悪くなり入院。膵臓に癌があることは分かった。そして死因となる誤嚥性肺炎であることも。

父は私が止めるのも聞かず、母を連れて家を出た。空いている2DKのアパートで暮らしていたことでタバコを吸い始めた。弟がタバコを吸っているのを見て吸い始めた。

そして母の認知症と惨めなアパート生活で鬱を深めた。

私と言う、ストレスをぶつける相手がいなくなったのも響いたと思う。

父は鬱病からアルツハイマー、パーキンソン、認知症を一気に深めたと思う。そして小脳の機能低下で誤嚥をする様になった。タバコの煙の熱で肺が低温火傷をしていた。だから誤嚥での菌で一気に肺が腐りだした。

そして父は私の元に戻りたいと言い出した。でも直ぐには引っ越し出来ない。その絶望からか寝たきりに近い状態となった。


続く。
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