続いています。
「本題に入る」と言って置きながら前回も前説で終わってしまいました。色々説明せねばならぬと思いまして・・・・。本当にスイマセン。
さて、母・勝子の話の続きと言いたいところですが、その前に、チョット新聞屋の話をしときます。
えー新聞販売業を約30年続けてきた訳ですが、この新聞販売業と言う商売は本社には絶対服従ですし、新聞購読者を増やせば増やすほど赤字になる馬鹿げた仕事でした。
その本社の担当員が土地・建物を売って現金を作り新聞を増やせ、今までの恩を本社に返せとのたまい始めたので廃業を決意した訳です。
担当員の出世は、新聞の部数を増やすことにかかっています。でも誰が自分の土地や家を売って本社に恩返ししなければならんのだって話ですね。こっちは朝の1時半に起きて働いてきた訳です。30歳で1000万円以上の年収取っているくせに「販売店の金で新聞増やせ」ってよく言えたもんです。
現在はネット社会到来で新聞の発行部数もガタ落ち。本社も赤字になり販売店も儲からず、新聞販売店のなり手もいなくなりザマー見さらせです。現在、倒産のカウントダウンが始まったのは間違いないです。正しく諸行無常です。
まあ、そんなこんなで新聞販売店の経営から足を洗った訳ですが、私の親は休みなく働いて来たもんで趣味も無く、暫くは夫婦で旅行三昧の日々でした。
そして母の体に異変が・・・・・。
かなり激しい腹痛に見舞われました。そして不幸にも斜め向かいのヤブ医者が経営する内科院にかかり胃炎と診断。
胃薬飲みながら長らく耐えて来たが痛みは背中にも及ぶ様になり、別の医者に行ったら重度の十二指腸潰瘍と言われてしまいました。何でも十二指腸の部位が薄々になり、穴があく寸前だったようです。もし穴があいて食べた物が腸から出たら死にます。死ぬ寸前でした。直ぐに手術と言われましたね。
でもまあちの母親、「どうしても腹を切るのは嫌だ」と言い張り手術せず治してくれる医者を探し、長期入院で治す方法を選びました。っと言っても療養、悪化、療養、悪化を繰り返し、3ヶ月間の入院を3度、合計9ヶ月間も入院生活を送りました。正直、切っても切らなくても悪化は繰り返し病因の解決にはならなかったという事です。
しかしながら母の前に救世主が現れた。その救世主は東京から戻ってきた私です。何故なら私は孝行息子だから・・・・って事ではありません。私と言う怒りやすい相手、勝負できる相手、勝てる相手、自分を曝け出してストレスをぶつけられる相手が必要だったと言う事です。私って怒られやすいタイプなんですわ。妹、弟は怒りづらいと言うか、怒られたとこ私、見たことありません。これホントですよ。
何か医者にもストレスを溜めずに息子の私に鬱積した感情をぶつけろとアドバイスされた様で、私の行動を監視、凝視し、隙あらば怒ろう、怒ろうとしています。ウズウズしてますわ。
もう私、たまったもんじゃないです。次いでとばかり私の親父も乗っかって私に怒りをぶつけて来ますし、完全に私うつ病になりました。いやーもう参りました。もう嫌こんな生活。
まあうちの母親、勝ちたい、勝ち続けたい、負けたくない、下の者に命令したい、優越感を味わいたい等々の感情に支配されている様です。これが「勝子」と言う名前の魔力、姓名力です。「勝ち続けなければ生きられない」と言う事です。
そこで私、思うんですよ。私の母親の名前が「勝子」ではなく「負け子」だったらと・・・・。
「負け子」だったら名前の意味は兎も角、商売は成功しなかったでしょうが仕事をリタイヤしても重度の十二指腸潰瘍になることもなく、ストレスも無く平穏に幸せに暮らせたのではないかと思うんです。
それだけ名前は人生を左右する力があると思うのです。だから私、姓名判断に強い興味を持っている次第なんです。
つづく。