続きです。本題に入ります。いよいよ御前淵です。
御前淵の「御前」ですが、「貴人」と言う意味合いもありますが、一般的には高貴な御婦人を指します。瀬織津姫がモデルとされる鈴鹿御前とか、源義経の側室の静御前とかですね。つまり御前淵は女性に関しての淵と言えます。
物語りは二つです。一つ目は「ある男が山刀を鮫川の御前淵に落とした。水は澄んでいて落とした山刀も良く見える。簡単に拾えそう。男は手を伸ばしたが山刀に手が届かない。そして水底に落ちる。落ちた水底には煌びやかで壮麗な御殿があり、女性が機を織っていた。男はその美しさに我を忘れて三日程御殿に滞在。そろそろ帰ろうかと山刀を返して貰い村に帰ったら、山刀を落とした日から三年が経過していた。そしてその日は丁度七夕だった。これを機に毎年七夕の後に芋で機を織り、御前淵に沈める祭りが開催される様になったとさ。目出度し、目出度し」。
二つ目では「昔、大家の娘が乙女淵とも呼ばれている御前淵へ紅花を摘みに行った。娘は御前淵の前に佇み何気なく水鏡を見ていたら、御前淵の水底の御前様に見入られ淵に引き込まれた。それから暫くして男が御前淵に鉈を落としてしまった。男は鉈を拾う為に淵の潜ったら、大家の娘が機を織っていた。娘は自分が御前淵の水底に居る事は他言無用。この機をやるから直ぐに帰れと男に言う。男が淵から這い上がり村に帰ると時が三年も経過していた。男は貰った機布を使う為に切ったが、何度使っても機布は減らない。どこまで機布があるのかと機布を解してみた。そして解しきった途端に男の命も尽きてしまった。それからは盆の十六日には御前淵で機を流す流し機の行事が行われる事となった。この行事を怠ったら大変な事が起きるとされ、頑なに守られているとさ。目出度し、目出度し」。
以上が鮫川・御前淵の伝説ですが、更に鮫川の天神前の淵に三人の乙女が淵の底で機を織っている伝説があります。
鮫川は好間川よりも機織のキーワードが色濃く伝説として残っていると言えますね。
それでは二つの御前淵伝説を検証してみます。先ずは男が御前淵に落とした山刀と鉈。イソップ童話に「金の斧、銀の斧」って話があります。木こりが斧で木を切っていたら手が滑って斧を川に落とした。そこに川の中から女神が現れ、お前の斧はこの銀の斧か、それとも金の斧かと聞いて、木こりは違うと答える。次に女神は古い鉄の斧を持ってくる。木こりは"それです"と言う。それで女神は"お前は正直者だから"と言うことで、金銀の斧を与えた」って奴です。
つまり御前淵の伝説はイソップ童話がルーツです・・・・・・・・ってのは有り得ませんね。似ていますけど。
十和田湖は鉄を入れてはいけないとする言い伝えがあります。十和田湖の龍が鉄を嫌うからです。故に割と最近??まで十和田湖の船は釘一本使われなかったそうです。
龍が鉄を嫌う理由は定かではありませんが、陰陽五行では龍や蛇は木に分類されます。木は斧とかの鉄に切られる。つまり金に弱い。それが理由で嫌いな金である山刀・鉈を落とした事で、淵の中の織姫に遭う事が出来たのでしょうか。
それと淵に入った男が戻ったら時が三年経過していた。これ、浦島太郎の伝説と似ています。浦島太郎が玉手箱を開けて老人になったのと、機布を解ききったら男の寿命も尽きた点もそうです。これは御前淵の織姫と竜宮城の乙姫は同じ系統の女神と言う事ではないでしょうか。
乙姫の眷属が海亀、織姫の眷属が鮫。どちらも海の生物の点で共通してます。チョット苦しいですけど・・・・・・。
そして勿来はもう一つあります。宮城県の多賀城・利府にです。
多賀城・利府を流れる川は七北田川。以前は冠川と呼ばれていた。志波彦神が白馬で川を渡っていたら、馬が石に躓き頭の冠を落とした事から冠川と呼ばれる様になった。つまり七北田川は志波彦神の川。そして志波彦神は鬼渡神・阿須波神とされている。
瀬織津姫とされる鈴鹿御前は暴れていた鈴鹿峠は、古来、阿須波道と呼ばれていた。
もし鮫川の織姫が瀬織津姫を指しているのであれば、「瀬織津姫=阿須波神」になる・・・・・っとは言い切れませんが、関連は間違いなくあると思います。
七夕は天の川を挟んだ織姫・彦星のお話です。瀬織津姫が織姫で志波彦神である阿須波神が彦星なら、これらの伝説は七夕関連で辻褄が合います。
深く考えると塩竃神社にも瀬織津姫の影が見えてきます。塩竃神が志波彦神と考えられますので。
今回はこの辺で止めときますけど・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ではでは。