続きです。
でも、この夏井川渓谷キャンプ場、中々良いぞ。私好みでこじんまりしてて。そして何と言っても無料。誰に断らなくてもキャンプが出来る。これは素晴らしい。
夏井川渓谷ですから脇に夏井川が流れている。しかも道の向いは夢にまで見た背戸画廊の入り口があるではないか。ここだったのか背戸画廊。でも背戸画廊だと思っていたら背戸峨廊と書いている。何でだ。
背戸画廊は夏井川の支流・江田川の渓谷で、その一場面、一場面が画廊の絵画の様に素晴らしいからと、地元詩人の草野心平が名付けたのではなかったのか。間違いない、背戸画廊だった筈だ。何で画廊が峨廊に変わってしまったのだ。
検索したら背戸画廊との記載もある。でも背戸峨廊とも書いてある。「背戸」は「隠れた所」。「峨廊」とは「切り建った岩壁」。つまり「背戸峨廊」は「切り立った岩壁の隠れた所」の意味。違うだろ。「隠れた自然の画廊」が背戸画廊ではないのか。どうしたんだ草野心平。何時から変えたんだ。
すぐさま検索。草野心平は1903年に生まれ、1988年に亡くなっている。私が背戸画廊を知ったのは小学生の頃。変わった名前だから興味を持った。直ぐに意味を調べた。何時か行って見ようと思っていたのだ。背戸画廊で間違いない。それなのに何時の間にか峨廊に変わっていた。これは草野心平が背戸画廊と名付け気恥ずかしくなって変えたんじゃないか。そんなのは駄目だぞ。背戸画廊は背戸画廊だ、勝手に変えるな。
何か子供の頃の私の純情を踏みにじられたブルーな気持ちになる。背戸峨廊など認めない。背戸画廊は背戸画廊だ。私だけは背戸画廊と呼んでやる。呼び続けてやる。
そんな事を心に決めながら、夏井川渓谷キャンプ場に泊まるか考える。川の側に行った。大雨で増水している。これでは渓流釣りは無理だ。
背戸画廊に行って見ようか。無理、無理、無理。背戸画廊は渓谷に沿ったかなり険しい山道と聞いている。増水しているから超危険な筈。流されてしまう。私は穢れなので。
故郷いわき市には穢れを祓いに来た。でも私そのものが流されてしまう予感。私は幸せな予感は当らないが、自分に迫る危機の予感は当る。だから生きて来れた。自分を信じ今日は止めておこう。また次があるさ。
実は今回の旅では豊間の「とよマルシェ ウロコジュウ」と言う訳の判らないプレハブの復興施設の店で出している海鮮丼を食べてやろうと思っていた。
一番安い海鮮丼は500円。中々のものらしい。東京なら1800円はすると評判の「おまかせ丼」なら700円。だったら豪華に「おまかせ丼」を喰ってやると思っていた。そして行ったら「とよマルシェ ウロコジュウ」は復興施設から出て、小名浜に新しい店を出して既に閉店していた。食べれなかった。
夏井川渓谷キャンプ場ではヤマメを釣って塩焼きにして喰ってろうと思っていたのだが、増水して釣りにならない。
これらはお盆に生臭物を食べたり、殺生をするなと言う事なのでは。楽しみに来たんじゃないだろ。祓い清めだろ。そう言われた気がする。
そうだ、そうに違いない。そのために、私にそうさせない為に大雨が降っているのだ。今回はキャンプ場で宿泊するのは断念しよう。危ない、危ない。
じゃ、どうする。また「道の駅 よつくら港」に戻るか。このまま中通りを行くか・・・・・・・・、
続く。