諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

福島のオシラサマ、オシンメイサマ。その3

2019年12月01日 15時29分12秒 | 信仰
続きます。

さて、岩手県遠野のオシラサマ伝説と福島県のオシラサマ伝説を重ね合わせるとどうなるか。

遠野は伊勢の天照大神。福島は熊野権現。その元々の起源は出雲にある。そして伊勢と熊野は表裏一体。

熊野は伊勢の仏教的解釈と言える。神道での源流は同じ。そう考えるとオシラサマが瀬織津姫であると言う話も頷けます。

恐山のイタコが信仰する神もオシラサマと言われています。そしてオシラサマは天照大神であるとも。

恐山はあの世とこの世の境界線。天照大神は天岩戸を出入りした。境界線の神と言える。オシラサマが天照大神であると言うのも理解出来ます。

さて、ここから話は一変します。私の故郷、福島県ではオシラサマの事をオシンメイサマと呼びます。

そしてオシンメイサマを信仰するイタコの様な方々が存在していた。それはどの様な民俗だったのか。

岩手にオシラサマの人形??が有ります。桑の棒の先に烏帽子姿の男神、或いは馬の頭の男神、そしてもう一方は姫神の頭を先に付けた棒となります。それぞれ、簡単な衣類をまとっています。

この男女二神のオシラサマ人形がお雛様の原型だと言われております。

福島のオシンメイサマの場合は、棒は桑に拘らず杉のケースが大半です。竹で出来ている事もある。これは岩手県民のストイックさと、福島県民のいい加減さ・・・じゃなかった、大らかさの違いかも知れないです。

その他は殆ど同じですが、福島バージョンは古くなった衣類を変えずにそのまま新しい衣類を重ねます。その形は埃を払うハタキに顔が付いた感じです。

実際、このオシンメイサマ人形を用いて祓い清めの儀式に使います。今は居るのか判りませんが、オシンメイ巫女と言う人々がその棒と言うかオシンメイサマ人形で頭を撫でて頭痛を治したり、肩を撫でて肩こりを取ったりしていたそうです。

このオシンメイ人形ですが、神主が持っているギザギサの紙が付いている棒、御幣(ごへい)と言うのですが、それで祓い清めをするのと全く同じと言えます。

以前にも言いましたが、祓い清めは水だけとは限らない。汚れを取るアイテムである布や紙でも祓い清めが出来ます。そこから考えるとオシラサマもオシンメイサマも祓い清めの神となります。

ただ、この祓い清めの神は恐ろしい、若しくは難しいのです。

オシンメイ巫女が今も存在しているか判らないと申しましたが、オシンメイサマは祟り易く気難しい神なのです。だからオシンメイ巫女もなり手が居なくなった。

以前、「神に追われる人」と題して書きましたが、オシンメイサマも遊び歩くことが好きな神で、オシンメイ巫女も夢遊病者の如く村をさまよい歩く様になります。

それだけでは有りません。オシンメイ人形を所持している家でもオシンメイサマが家人の夢枕に立ち、「遊びたい、出してくれ」と言う。それで外に出すと中々帰りたがらない。

オシンメイ巫女も最後は家々をさまよい、乞食同然の生活になる。それが大変辛い。それでオシンメイ巫女は姿を消した。個人宅でオシンメイ人形を所有する方も激減し、神社仏閣に置かれる様になったそうです。


続く。





コメント (2)
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