諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

福島のオシラサマ、オシンメイサマ。その5

2019年12月07日 14時17分53秒 | 信仰
続きです。

さて、オシンメイサマとは一体何なのか。

私は神ではないと思います。神道の神々は人間に対して「あれしろ、これしろ」とは基本言いませんから。言ったとしても「私をあの場所で祀ってくれ、大きな社を造ってくれ」程度です。

願いは言いますが、指図やアドバイスはしません。そう言った伝承は残っていますが、それは神仏習合での仏教的な考えです。

神道の神々は受代苦です。神が人に代わって罪を被る。酷い目に遭う。それが日本の神です。だからキリスト教や仏教の様に、考え方の違いで争いが起きない。戦争が起きない。

「天皇は日本の現人神だろ」と言う人もいるでしょうけど、天皇は神ではない。ただの人間です。人間を信仰するのは神道ではない。人間を信仰したから日本は戦争で苦しんだ。そこが一番重要だと思います。

オシンメイサマとは一体何なのか。一言で言うと神の眷属でしょう。神社で言うと狛犬となります。

その眷属が神の命でお札やお守りに宿る。人を厄から防いでくれる。しかし、眷属は狛犬。動物的性格。なあなあが効かない。自分を蔑ろにすれば祟りを起こす。

オシンメイ巫女の場合は、眷属を宿した人間となる。人を救おうとする眷族の要望に動かされる存在の一面はあると思います。

ただ、それだけでは無い。眷属を宿したオシンメイ巫女の性格も残っていると思えます。

オシンメイ巫女は「遊び歩く事を好む、神の言葉を告げる、病気を治す力がある、物事を予知する事が出来る」とされていますが、それは眷属と巫女の嗜好による。眷属が100%ではないと考えます。

その結果がオシンメイ巫女の堕落です。宿している眷属の怒りを買う。その怒りは巫女の命を左右する。故にオシンメイ巫女が姿を消したのだと考えます。

このオシンメ巫女のルーツはどこにあるのか。

それは熊野だと考えます。熊野には歩き巫女が存在する。その歩き巫女が歩いて福島に来た。同じ性格の巫女ですから、間違いないと思います。

オシンメイサマ、オシラサマの伝承は、南は福島県の勿来、東は青森県の下北半島まで。北海道には存在しません。東北のみの信仰となります。それは馬への信仰が重なったと考えられます。

因みに私の祖父が馬喰をやっていました。本家には三匹の白馬が並んでいる絵が飾られています。

伯父が馬れき神の山である水石山、閼伽井嶽で樵をしていた。馬を使って木を麓まで運んでいた。それなのに信仰心が足りなかった。霊山を敬わなかった。その報いが家系に響いている。これも祟り神であり難しい性格のオシンメイサマの影響なのかと想えてならないです。

最後になりますが、私の故郷である福島県いわき市には熊野明神系、伊勢明神系、白山明神系のオシンメイ巫女が存在していたらしいですが、基本は全部同じでしょう。

明神と言うのですから、仏教の考え方が混在しているだけ。神道の仏教的解釈に過ぎない。源流は全て同じ。そう考えて間違いないと思います。


ではでは。




コメント (4)
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