吽・阿の狛犬。
普通、狛犬は神社の右側には口を開けた「阿の狛犬」、左側は口を閉じた「吽の狛犬」が配置しております。
しかし、仙台では右側は「吽の狛犬」、左側は「阿の狛犬」となっている。
勿論、全部ではないですが、中規模以上の多くの神社が吽・阿の狛犬となっている。仙台だけではなく宮城県や宮城県よりの岩手県にもそれが見れます。
これまでも私、「吽・阿の狛犬」について「あーでもない、こーでもない」と語って来ましたが、未だに答えがでない。
吽・阿の狛犬は仙台型と言われてますが、何故、逆に配置しているのか分からない。宮司をしている友人に聞いたら、「昔の人はいい加減だから・・・」と言っていた。
それなのに彼の神社の狛犬が震災で倒壊。新調したらまた「吽・阿の狛犬」だった。昔の人がいい加減だった訳ではなかった。どうしても「吽・阿の狛犬」にしなければならない理由があるのではないか。
うーん、やっぱり境界線の神。あの世とこの世を行き来する神だからではないのか。それとも水に関わりのある神だからか。。
否、違う。もっと単純な理由の筈だ。例えば「ここの神社は怖い神様を祀っている」とか。「祟られるから丁重に参拝しなければならない」とか。
勿論、「阿・吽が逆の神社は全て境界線の神を祀っている」なんて言いませんが、祟りに関連する神が祀られているケースは多いと思う。
そして岩手、宮城、福島に限って何故に阿・吽の狛犬を逆に配置するのか。その理由は何か。
私が初めて鬼渡神と出会った福島県いわき市三和町上永井の永井神社は、かつて鬼渡神社、三輪渡神社、三輪渡大明神、住吉鬼渡神社、三和神社、水雲神社とも呼ばれていた。
いわき市で全ての鬼渡系の神社を確認した訳ではないが、この永井神社は阿・吽の狛犬が逆に配置されている。吽・阿になっている。これは「いわき市」では大変珍しい。私はここしか知らない。
宮城県と福島県の境界線付近にある神社で吽・阿の狛犬を配置した神社は確認しているが、福島県浜通り南部に位置する「いわき市」に吽・阿の狛犬が鎮座しているなんて訳が分からない。
何故、この永井神社だけなのだろう。何か訳がある筈だ。阿・吽を逆に配置する理由が。
もしかしたら三輪渡神社と呼ばれていた事に関係するのではないか。
三和町は「三輪」から来ている可能性がある。三輪山の神は大物主。
祟神天皇の時代、疱瘡が大流行し日本の国民の半分が亡くなったとされる。
悩む祟神天皇に大物主からご神託があった。「意富多々泥古に自分を祀らせれば疱瘡は収まる」と語った。祟神天皇はその通りにして疱瘡は消えた。
疱瘡は今も昔も一番恐れる死の病。
口を開ける「阿」は生を示し、口を閉じる「吽」は死を示しているのではないか。
阿・吽が逆、吽・阿なのは、死を司る神。つまり疱瘡神を祀っている印なのではないのか。
疱瘡神。私はアイヌ語の意味合いから境界線の神である大歳神と天知迦流美豆姫こそが疱瘡神と考えているが、大物主と大歳神が同神であるのなら、全てに辻褄が合うのではないか。
大物主と大歳神が同神である伝承も残っている。
今の所、そう考えている。ぼんやりとしながら。
ではでは。