「サイコパスとの最初の出会い」。
このタイトル、事実がどうかは分かりません。私の肉親もサイコパスの疑いが強いので。
「今考えていれば、アイツはサイコパスだったのだな」と言う感じで、私の想い出を語りたいと思います。
時は40数年前、私は小学6年生。劣等生でしたが私の動作が可笑しいのか、お笑いのセンスが有ったのか、昔からクラスの人気者でした。
何と言うか、クラスのサブリーダーみたいなポジションには有ったと思います。
そして卒業に近い時期、あの転校生がやって来た。
名前は覚えていません。転校間もなく何故か私に突っかかりだしたのです。話しもしていないのに急にです。病的にです。
私は人を苛めたりは絶対にしません。当時は結構世話を焼くタイプです。親が反面教師となり、人には親切にするタイプだと思っています。
でも、今思えば私はこの時から禍が遣って来るタイプの人間だった。人と接すると禍に発展する。
私は今、目立たない様に生きていますが、どうしても目立つタイプの人間。人目を引いてしまう。何度もこう言った経験はしている。
そして何が気に食わないのか、ついに転校生から決闘を申し込まれます。受けて立ちました。簡単に私が捻じ伏せました。
その次の日、その転校生は学校に登校しなくなった。私に負けたからなのは間違いない。私も責任を感じました。その転校生はどうなったのか。
誘拐と言えるのかどうかは分かりませんが、全然面識の無い小学2年生??の児童を連れて、会津若松??方面に逃亡していたのです。
学校でも大騒ぎです。2人の児童が消えたのですから。
そして数日後に2人は警察に保護され、この事件は新聞にも載りました。
「同級生との喧嘩が原因で学校に登校するのが嫌になり、小学2年生に声をかけ連れ回し仙台から会津若松まで来ていた」と書かれておりました。その同級生とは、当然、私の事です。
仙台から会津若松までは中々の距離です。それを見知らぬ小学2年生を連れて逃亡していた。私の感覚では全然分からない。転校生はサイコパスだった。サイコパス故の発想だったと思います。
今思うと警察の保護が遅れたら、連れていた小学2年生は殺されていた可能性もある。あの転校生は本当に異常だった。遣りかねないと思います。
その後、転校生は登校しなくなりましたが、卒業式に現れました。児童らは騒めき、校長は「色々ありましたが、頑張ってください」的な事を投げかけ卒業証書を渡していました。
やっぱり変ですよね。卒業間近に転校して来るなんて。彼はそれまでにもそう言った行動を繰り返し、学校を転々として来たのだと思います。そして多分、その性格は一生直らない。
今、生きているかどうかは分かりませんが、前科は付いていると思います。もしかしたら施設、刑務所にいるのかも知れない。
今回の記事ですが、ユーチューブの「占い師けんけん サイコパス診断 20の質問??」を観て想い出しました。
自分でサイコパス診断してみました。イエスが多ければ多いほどサイコパスと言う事です。
私の結果はイエスが3つ。0は人としてありえない。生きて行けないレベル。1から5は聖人レベルだそうです。
これっ、自慢している訳ではないですが、人間、或る程度は悪でないと世の中を渡れない。悪に狙われてしまう。禍が訪れる。或る程度、悪で無いと悪を防げない。
否、鬼平犯科帳の長谷川平蔵は「昔、悪だったから悪人の気持ちが分かるのさ」と言ってましたが、私も子供の頃は今よりももっとずっと悪だった。悪だったから悩まなかった。人生が楽しかった。
しかし、私の場合は悪を発動させるとは不運を招く。
私は祟りだと思っていたが、祟りによって自分の悪は規制された。悪を抑える様になった。だから心が苦しくなるのではないか。鬱なのではないか。
悪なら悩まない。悔やまない。
昨年、自殺で亡くなった芸能人達も悪の要素が少ない方たちだと思う。だから悩みぬいて命を投げ出した。
うーん、分からない。シドロモドロになってきた。
最近も無差別殺人を企てた男がいたが、ここまでの悪なら死ぬべき。生きている資格はない。
でも、程々の悪が無いと生きて行けない。全てを善で受け止めると心が軋む。鬱になる。凡人にはそれは無理だ。
程々の悪が無いのなら、人と接するのは無理。人は誰しも悪の心がある。その悪に蹂躙されてしまう。
善を通そうとするなら、人との接触は避けるべきだ。
うーん、こんなこと考えている私は、やっぱり鬱なのだろう。
程々の悪。また取り戻すべきなのだろうか。
悩む。人生は分からない事ばかりだわ。
ではでは。