諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その6

2024年03月03日 22時36分39秒 | 神道
続きます。

荒蝦夷(あらえみし)対熟蝦夷(にぎえみし)との戦い。

これに躊躇したのは荒蝦夷側のアテルイ・モレ連合軍です。同じ蝦夷同士で戦う事は出来ない。蝦夷は決して仲間同士では争わない。

しかし、坂上田村麻呂は熟蝦夷に命じた。「兵士だけではなく女老人子供であっても殺せ。皆殺しにせよ」と。

更に坂上田村麻呂軍は専門兵士です。アテルイ・モレ軍の様に半農兵士ではない。農閑期だけ戦う訳ではない。

田村麻呂軍は農作期や収穫期に関係なしに戦える。

これではアテルイ・モレ軍は降伏するしかない。そしてアテルイ・モレら500人の荒蝦夷兵は、平城京まで連れていかれ処刑されています。

坂上田村麻呂は東北を侵略した首謀者です。そしてもう一人、東北を侵略した者がいる。源頼朝です。

頼朝は自分の行為を正当化させる為に、坂上田村麻呂を神格化した。

だから田村麻呂は東北で悪鬼を退治した英雄に祭り上げられましたが、こんなの大嘘です。田村麻呂はアテルイの子孫たちとも戦ていますからね。

ここで疑問なのが田村麻呂に信仰された鬼渡神です。鬼渡神は田村麻呂の夢枕に現れて、「山でも川でも海でも直ちに渡行く故、鬼渡神と申す」と自己紹介しています。

そして田村麻呂は、私の故郷、福島県いわき市三和町に鎮座する旧・鬼渡神社と呼ばれた、永井神社を建立したと伝えられていますが、これはもしかしたら源氏によるものかも知れないです。

ちょっと寄り道しちゃいました。阿須波神に話を戻します。

千葉県、茨城県辺りに住んでいた熟蝦夷兵は、旅立ちの神である阿須波神に旅の無事と、戦での勝利を願って奥州に旅立って行った。多賀城を自分達の拠点とした。

仙台や多賀城、塩竃、七ヶ浜を領地としていた荒蝦夷は盛多賀嶋ことモレの一族だった。モレ一族の信仰の地は現在の塩竃神社が鎮座する一森山だった。その頂上にモレ一族が信仰していた神を祀る社が存在した。

820年。塩竃神社の祭祀料は10000束でした。出雲大社や伊勢神宮の祭祀料が3000束です。とんでもない多額な祭祀料です。それなのに塩竃神社に祀られる神は不明になっていた。

そこで1700年代、伊達家四代の伊達綱村は研究チームを結成し、塩竃神社に祀られる神を塩土老翁、鹿島神・建御雷神、香取神・経津主神に設定しました。


続く。










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