諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その7

2024年03月06日 20時03分59秒 | 神道
えっー、何時もながらタイトルから逸脱した記事を書いていますが、私の書いていることは仮説です。

以前、事実と信じて市役所や神社まで訪ねて討論した人がたいので、何時もタイトルを暈して書いているのです。

これを言っちゃお終いですが、キリスト教の真実を知っている牧師や神父なんて居ませんし、仏教の真実を知っている僧侶もいません。神道を知る神職も居ないのです。

彼らは神や仏だけを信じている。宗教で得た権力を死守したいと思っている。その感情は忘れてはならない。それを忘れたら真実の神には近づけない。

私は歴史背景や伝承。国の権力者による宗教の歪曲。宗教者による他宗教へ宗の憎悪と、自身が信じる宗教の誇張。

そして他宗教への攻撃や貶め等々を考えて書いています。其れでしか宗教の真実には近づけない。それが私の考えです。

それでは続きます。

伊達家四代。伊達綱村の塩竃神社の祭神研究チームは、塩竃神社の主祭神を塩土老翁に認定しました。

私、最初から疑問でした。塩竃神社だから塩土老翁。塩繋がりて塩土老翁に認定したのだと推測しますが、「塩竃」は「竃」なのです。だったら竃神の奥津彦命・奥津姫命じゃないとおかしい。

塩竃は塩水を煮出す釜です。そうなると海の側で使用していた筈。一森山の頂上で塩を煮出して造っていた筈がない。海が近い塩竃で山の上に塩竃神社があるのはおかしい。

っと言いたいところですが、分かっていた筈です、古代の人達は。塩竃に津波が何度も襲っていたことを。だから一森山に塩竃神社を建立させた事は十分考えられる。

実は塩竃市の由来となる塩竃がご神体の御釜神社が、海に近い塩竃市の平地に鎮座しています。ご神体は四口の塩竃です。この場で塩造りされていた可能性は十分あります。

3.11の東日本大震災は塩釜の街を襲っています。

津波は塩竃神社の鳥居まで来ています。当然、御釜神社も津波に襲われたと思ったのですが、この御鍋神社の四口の塩竃には、津波は届きませんでした。

否、津波は四口の塩竃を避けたと言った方が正解です。周りは津波に襲われましたから。

つまり御釜神社を建立した人は、その地は津波が避けて通る事を知っていたのは間違いないでしょう。

私の考えですが、塩竃神社は最初は別の場所に有ったと思います。

伝承では花淵浜の鼻節神社(はなぶしじんじゃ)下の海辺で塩を造っていたとの話が伝わっています。祭神は猿田彦尊です。

その鼻節神社から東へ7キロの松島の海底に大根神社が鎮座しています。大根神社の「大根」から祭神は猿田彦尊と考えて様でしょう。

そして大根神社の海上では船による藻塩の神事が行われる。

つまり、松島は古代の地震と津波により陥没して出来た。その証拠として鼻節神社の表参道は崖から始まっている。その崖は松島が陥没して出来たからです。

「大根」とは「男性器」の事です。猿田彦尊のデカい鼻は、男性器を示していると考えられます。幸神信仰です。

日本最古の宗教は性器信仰です。性器は境界線でもある。

そうなると塩竃神社にも鬼渡神の性格が感じられるのです。


続く。






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