計画性の無いまま続きます。
話を塩竃神社に戻します。塩竃神社にはも境外末社として多賀城市に荒脛巾神社が鎮座しています。
祀っている神様、気になるでしょ。何と塩土老翁と塩土老女となります。塩土老女って神道に詳しい人でも聞いた事無いでしょ。私もビックリしました。
荒脛巾神社は福島県の会津にもありまして、やはり塩土老翁や金山彦神・金山姫神が祀られています。
金山彦神・金山姫神を祀ると言えば、宮城県では金華山黄金神社が有名です。仏号は弁才天となります。これ、「荒脛巾神=弁才天」と考えて良いと思います。
実は関東にも荒脛巾神社はあります。氷川神社の境内社としてです。
そして祀られている神は手名稚尊・足名稚尊。手っ取り早く言えば、手長足長と言って良いでしょう。
阿須波神・波比岐神を祀る鬼渡神社は会津に集中します。
そして会津と言えば磐梯山。1800年代に大噴火して490名が亡くなっている厄役山と言えますが、その頂上には磐梯明神として手長足長が祀られています。
そう、鬼渡神は厄が多い地に祀られているのです。
鬼渡神である阿須波神と波比岐神ですが、荒脛巾神は波比岐神を示していると思います。
阿須波神が志波彦神であるなら、塩竃神社では波比岐神は荒脛巾神として離して祀っている。一緒に祀ったらより強力になると考えたのでしょうか。
鬼渡神社は福島県にのみ存在しますが、宮城県には二渡神社として存在します。仏号は仁和多利権現。仙台では縁結びの神として有名な二柱神社も神仏習合時代は仁和多利権現と呼ばれていました。
そして二渡神社は南三陸や牡鹿半島に六社もある。祀られている神は二柱神社同様、伊弉諾尊・伊弉冉尊となりますが、これは田村麻呂時代、或いは源平時代に変えられたと考えます。
田村麻呂の戦も源氏の戦も侵略戦争したのでしょう。です。それでは悪者となってしまう。そこで蝦夷が祀っていた神々を伊弉諾尊・伊弉冉尊に変え、侵略戦争は国産みの儀式だったと苦しい言い訳をしたのでしょう。
ってな事を書くと二柱神社や二渡神社の関係者には申し訳ないですが、私はそう考えております。
続く。