コメントで貴重なご意見を頂き、改めて神道を考える機会がありました。
神道の神々はイエスキリストみたいに「あーしろ、こーしろ」とは言わないし、どう解釈して良いのか判らない。それに神道は八百万の神がいらっしゃいます。これほど大勢いらっしゃいますと、どの神様を信仰して良いのか判らない。全てにおいて判らない事が多いと思います。
私、それで良いのだと思います。人生ってある程度の法則はあると思いますが、全てにおいて法則は通用しません。それは人それぞれ人格、感情、精神、考え、格差が違うからです。法則が通用するなら全員が成功者となりますが、成功者は敗者がいてこそ成り立っています。「正負の法則」と言うヤツです。
大変残念ながら「正負の法則」だけはかなりの分野で通用すると思っています。それは神道に置いてもです。神社に参拝すれば御利益がある。反対に神を蔑ろにしたり、不正で利益を得ると祟りが生ずる。これが神道の根本の様に思います。
それは人間の人生でも同じです。誰だって良い事ばかり続かない。悪い事も続かない。勿論、私の様に悪い事が多目の人もいれば、良い事の方が多目の人もいます。人によって運が良い人、悪い人がいますからね。差は確かにあります。
しかし、それでも誰もが正負を受けます。私は大きな負を受けない為に小さな負を分割払いで受けた方が良いと思っています。それで何とか生きてきたと思っています。
どう言う事かと言いますと、特に良い事が有った時にはそれを相殺する程で無くても、何らかの負を払うべきだと考えているのです。
家を新築した時に上棟式、つまり建前を行います。家を新築すると言う事は人生でも滅多にない幸福です。しかし幸福の次に来るのは不幸。幸福が大きいほど不幸も大きくなる。だから建前で餅や小銭を撒いて散財します。あえて自分から損をするのです。
損は負です。次ぎに来る不幸を和らげる為にあえて負を自ら受ける。これは或る意味、自ら禊を受ける行為と似ている。否、同じだと思いますね。
さて、何時もながら前置きが長くなりました。そろそろ本題と参ります。
神社は怨霊の封印装置であるとこれまでも語ってまいりました。神社に祀られている神々は基本、怨霊です。神は善も悪も併せ持ちます。悪の部分の祟りを起こして貰いたく無いから祀る。言い方は悪いですが、間違いでは無いと思います。
では神道の八百万の神で一番の祟神は誰でしょうか。お分かりでしょうか。私も断言は出来ませんが、神道の最高神・「天照大神」こそが最強の祟神だと恐れながら、恐れながら思うのであります。
こんな事言って大丈夫かと大変心配ですが、一番の祟神だからこそ神道の最高神と数えられるのではないでしょうか。
続く。
そう考えると、私は好き勝手なことを言わせて頂いてることに、常に感謝しないといけないな、と思いました。
ただ、私はもう神社は要らないと思っているんですね。こういうと神道家の方には怒られそうですが、震災から特にそう思えるようになりました。
結局、人が縛りつけてきたものなんだ、と思います。
ですが、神社が心の支えである方もいらっしゃいます。
私にとって必要なくとも、その人にとっては有難いもの。
たとえ、その神のような存在が、怨霊をもっていたとしても、他の人にはそうは感じません。
結局、神社も何でも、人間の姿を投影しただけのもので、そこには何の実態もありません。哲学論みたいになりますが、そこに悪が見えるなら、それが自身の姿なんですね。鏡を祭祀にするのは、内にある自分の姿をみるためです。
私は神社に対して、良いも悪いもありませんが、実家の奥部屋に祀られている神棚の鏡をいまだに見ることができないんですね。勇気がいるものです。
記事の先、今後楽しみにしています。
今日は閻魔の日、閻魔さんも怒ってるのでしょうかねえ?優しい閻魔はイメージが合いませんが舌をぬいた事誰か見た事あるのかしら?嘘と舌は、負と正?喋り過ぎると舌とられちゃう。正負の祓をしてくれる存在も自分から出来ないなら必要なんでしょうね。4146
私、東京で働いていた時は浦安に住んでいたのですが、何時も金縛りとラップ音に悩まされていました。
でも霊とかのせいではなく、疲れているから金縛りに遭うのだ、木造の古いアパートだから木が乾燥してラップ音がするのだと自分でそう思い込んでいました。
そして仙台に戻った。やはり金縛りとラップ音が続いています。マンションだから木は少ないのにラップ音はするのか。金縛りも何時もは気合で外れたのにそれが不可能となった。落とされる感覚になって来た。浦安にいる時よりも酷い。これは一体何なのだ。これって霊の仕業なのかと考えざる負えなくなりました。
その話を友人の禰宜に話したところ、お札持ってきてやると言われ、まさかなぁーと思い部屋に置いたところ、金縛りは皆無に。ラップ音も殆どしなくなりました。余りの効果にビックリです。いゃー驚きました。
今までは薄っすらと信じていただけでしたが、それ以来、神と眷属の存在は確信と変わりました。私には神社は無くてはならない。神社の助けが無ければか弱過ぎて生きられないと感じました。
自分を人殺しの家系と言う宮司さんがいますが、武将をやりながら神職についている人物が大勢います。私の家系に信長を七度退けた長田重吉がいますが、彼も熊野神社の神職を兼ねています。人殺しの家系だから神に縋るしかないのです。
inehapoさんは刀を持っている。私は素手です。inehapoさんは対抗できるが、私は防いでも手に怪我を受けます。私はinehapoさんよりか弱い存在です。神社も神もは私には必要です。勿論、逆の影響を及ぼす場合もあります。その見極めが大切だと考えています。
スサノオ尊を通して私が語りたいと思っていた内容ですが、inehapoさんは気が付いているようですね。神は善悪を併せ持つ。それは何かを知る事が神道の真髄の様に思います。
できたら、削除してください。
承認されてしまってますか?
鬼といえば、閻魔様の両脇にいる牛頭と馬頭は誰なのでしょうね。牛頭はスサノオ尊、馬頭はクナト大神を示しているのかも。否、仏教の流れだからインド・中国の考えでしょうかね。
仏教の優位性を示す為に日本の神が落とされた姿とどうしても思っちゃいます。考え過ぎだと思いますけど。
大丈夫です。保留に戻して読ませて貰ってます。有難う御座います。
馬をめと読む、めが目になり山岳にも影響与えているように思います。9848いい番号。
先日コメント欄に投稿してご返答を頂きました数日後、楽天の二軍の球場の道を覚えようと
知人に連れて行ってもらったときについでに青麻神社に初めて行きました。
後でこのブログに青麻神社のことがたくさん記事になっていたのを知りました。
青麻神社に到着したときに魂に衝撃が走り
自分が今疑問を感じてることの鍵が青麻神社にあるような気がしました。
神社は怨霊封じ 黄金山神社や志波彦神社 青麻神社もそうなのでしょうか。
ちなみにイケメン付け面の人の神社にお参りした後かなり具合が悪くなりましたね。
なんとか天皇の怨霊鎮めの由緒ある神社のようですが。
牛頭馬頭は閻魔様の従者です。閻魔様を中央に並んでいる像もあります。
本来、生きている時に牛を苛めて者には牛頭、馬を酷使した者には馬頭が遣って来て生きていた時の敵を討たれるそうです。
スサノオ尊は高天原の斑馬を残酷な方法で皮を剥いでいます。十王教では馬頭に敵を討たれる存在ですね。
青麻神社の社の裏に常陸坊海尊が住んだとされる横穴がありますが、多分元々は古墳時代の墳墓だったと思います。兎に角、あの辺りは墳墓だらけ。つまり霊場です。
道安寺横穴古墳群に隣接する菅谷不動尊は、1100年前に藤原将監が殺しだ蝦夷の霊を慰める為に、天皇の命で紀州・高野山から持ってきた不動明王を祀った祀ったとされています。これも怨霊封印と同じ意味です。
青麻神社は墳墓の中心に位置している様に思えます。志波彦神は阿須波神と考えていますが、蝦夷ののモレの一族が塩竃の一森山で信仰していた神。そして金華山も鬼とされた蝦夷の信仰の島だったのは間違いないと思います。
櫻田山神社は武烈天皇を祀っています。10才で天皇に即位し18才で崩御。次の天皇は敵対している蘇我氏の流れを組む継体天皇が即位していますから、暗殺された可能性があると思います。名君とも残酷な所業をした天皇とも伝わっている点が怪しいですね。
1500年前、側近だったイケメンの先祖がこの地まで流され祀ったそうですが、大切に祀らないといけない神だと思います。その地は地震も頻発に起きているし。イケメンの父君も若くして亡くなりましたし。
取り合えず、宮城ケンタウルスは外した方が良いと思います。