続きです。
アタ族は会津に限らず、全国に散らばったと考えられます。そして妖怪・手長足長、ダイダラボッチ、一つ目の大男の伝説で語られている。
これは朝廷側から見れば蔑まれているからなのでしょう。妖怪として貶められたのです。
しかしながら祟りは恐い。その恐怖から神として祀る両極端な信仰が発生した。これは日本の神は善でもあり悪でもある。神は人の罪を背負う存在。その考えが妖怪と神に分けたのだと思われます。
ここで疑問なのですが、鉄はアタ族だけが生産していたのでしょうか。
当時の鉄は最先端の技術です。鉄を制せば全てを制する訳です。だったら他の部族も鉄を御求めていた筈。この点にアタ族が会津にやって来た秘密が隠されている気がします。
このアタ族ですが紀元前2世紀頃、中国の華南省や広州あたりから沖縄を経由して鹿児島や長崎に上陸したとの話です。ノウマ神を信仰する製鉄農耕民族で航海術にも優れているそうです。
このノウマ神ですが、「女良 女馬 神」と書きます。娘と雌馬と言う事でしょうか。これ、日本のオシラサマ信仰、そして素戔嗚尊に殺された記紀の斑馬と稚日女尊の話に似ていますよね。
更に時代は過ぎ、アタ族は伊豆諸島から伊豆半島に上陸。彼らアタ族の族長は大山津見神とされています。
会津も大山津見神信仰の地です。私は大山津見神は日本の地主神だと考えていましたが、会津の大山祇神社では大山津見神は大陸からやって来たとしています。うーん、これは私が間違っていたのかも。
大山津見神の別名は和多志神。つまり渡神。鬼渡神です。この渡神は誰と戦っていたのか。それは天皇系のヤマトタケル命です。
今の相模湾あたりで船にて移動していたヤマトタケル命の前に現れた渡神は、嵐を起こしヤマトタケル命一行の行く手を遮ります。ヤマトタケル命の妻??の弟橘媛は嵐を鎮める為に入水。これで難関を乗り切った。
私の故郷の福島県と宮城県はヤマトタケル命の白鳥伝説の地です。そして渡神系の神々が祀られている鬼渡神社が密集している。つまり渡神とヤマトタケル命は福島県・宮城県でも戦っていた可能性がある。その点も一致していると思います。
それともう一つ敵がいるとしたらカモ族。多分、伊豆に上陸し、アタ族を伊豆から追い払ったのではないか。
アタ族、カモ族、そして天皇系のヤマトタケル命に共通するのは三種族共に農耕民族であり産鉄を行っていた事。互いに覇権を争っていた。そしてその中で一番古いアタ族は弱かった事。
若しくは素戔嗚尊系のカモ族は最初の天津神。故に続いた天津神であるヤマトタケル命と共同路線を引いたとも考えられる。だからアタ族は不利に陥った。
否、弱かったのではなくて争いを好まなかったのかも知れない。だから古代は湿地帯だった会津に逃げた。天皇系のヤマトタケル命やカモ族が簡単に立ち入れない場所に。
そう考えると武内宿禰が福島県いわき市に1年半も滞在した理由が分かる。会津のアタ族を探っていたと考えられる。そしてヤマトタケル命の残党の勢力も。
何しろヤマトタケル命は武内宿禰が殺した仲哀天皇の父親。だから福島県に残っていたヤマトタケル命の勢力を知っておきたかった。出来れば残党を始末したかった。
宮城県多賀城市笠神の仁和多利神社に武内宿禰が祀られているのも何かしらの関連があると思う。アタ族の神を変えて敵対する勝者を祀ったのではないだろうか。支配者を主張する為に。
最後にアタ族は沖縄を経由して日本にやって来た。出雲の背黒海蛇もピカピカとその身を光らせ海を照らしながら沖縄から渡ってくる。つまり海照らす。
出雲大社や佐太神社では海辺に打ち上げられた背黒海蛇を神の使いとして奉納する。神事として残っている。それらは背黒海蛇をアタ族と見なしているからではないだろうか。
海を照らして沖縄からやってくる背黒海蛇。そこに本来の天照大神の原型が見られると思います。天照大神は天津神ではなく朝鮮を経由せずにやって来た海照大神。つまり海神。そして初期の太陽神ではないでしょうか。
ではでは。
アタ族は会津に限らず、全国に散らばったと考えられます。そして妖怪・手長足長、ダイダラボッチ、一つ目の大男の伝説で語られている。
これは朝廷側から見れば蔑まれているからなのでしょう。妖怪として貶められたのです。
しかしながら祟りは恐い。その恐怖から神として祀る両極端な信仰が発生した。これは日本の神は善でもあり悪でもある。神は人の罪を背負う存在。その考えが妖怪と神に分けたのだと思われます。
ここで疑問なのですが、鉄はアタ族だけが生産していたのでしょうか。
当時の鉄は最先端の技術です。鉄を制せば全てを制する訳です。だったら他の部族も鉄を御求めていた筈。この点にアタ族が会津にやって来た秘密が隠されている気がします。
このアタ族ですが紀元前2世紀頃、中国の華南省や広州あたりから沖縄を経由して鹿児島や長崎に上陸したとの話です。ノウマ神を信仰する製鉄農耕民族で航海術にも優れているそうです。
このノウマ神ですが、「女良 女馬 神」と書きます。娘と雌馬と言う事でしょうか。これ、日本のオシラサマ信仰、そして素戔嗚尊に殺された記紀の斑馬と稚日女尊の話に似ていますよね。
更に時代は過ぎ、アタ族は伊豆諸島から伊豆半島に上陸。彼らアタ族の族長は大山津見神とされています。
会津も大山津見神信仰の地です。私は大山津見神は日本の地主神だと考えていましたが、会津の大山祇神社では大山津見神は大陸からやって来たとしています。うーん、これは私が間違っていたのかも。
大山津見神の別名は和多志神。つまり渡神。鬼渡神です。この渡神は誰と戦っていたのか。それは天皇系のヤマトタケル命です。
今の相模湾あたりで船にて移動していたヤマトタケル命の前に現れた渡神は、嵐を起こしヤマトタケル命一行の行く手を遮ります。ヤマトタケル命の妻??の弟橘媛は嵐を鎮める為に入水。これで難関を乗り切った。
私の故郷の福島県と宮城県はヤマトタケル命の白鳥伝説の地です。そして渡神系の神々が祀られている鬼渡神社が密集している。つまり渡神とヤマトタケル命は福島県・宮城県でも戦っていた可能性がある。その点も一致していると思います。
それともう一つ敵がいるとしたらカモ族。多分、伊豆に上陸し、アタ族を伊豆から追い払ったのではないか。
アタ族、カモ族、そして天皇系のヤマトタケル命に共通するのは三種族共に農耕民族であり産鉄を行っていた事。互いに覇権を争っていた。そしてその中で一番古いアタ族は弱かった事。
若しくは素戔嗚尊系のカモ族は最初の天津神。故に続いた天津神であるヤマトタケル命と共同路線を引いたとも考えられる。だからアタ族は不利に陥った。
否、弱かったのではなくて争いを好まなかったのかも知れない。だから古代は湿地帯だった会津に逃げた。天皇系のヤマトタケル命やカモ族が簡単に立ち入れない場所に。
そう考えると武内宿禰が福島県いわき市に1年半も滞在した理由が分かる。会津のアタ族を探っていたと考えられる。そしてヤマトタケル命の残党の勢力も。
何しろヤマトタケル命は武内宿禰が殺した仲哀天皇の父親。だから福島県に残っていたヤマトタケル命の勢力を知っておきたかった。出来れば残党を始末したかった。
宮城県多賀城市笠神の仁和多利神社に武内宿禰が祀られているのも何かしらの関連があると思う。アタ族の神を変えて敵対する勝者を祀ったのではないだろうか。支配者を主張する為に。
最後にアタ族は沖縄を経由して日本にやって来た。出雲の背黒海蛇もピカピカとその身を光らせ海を照らしながら沖縄から渡ってくる。つまり海照らす。
出雲大社や佐太神社では海辺に打ち上げられた背黒海蛇を神の使いとして奉納する。神事として残っている。それらは背黒海蛇をアタ族と見なしているからではないだろうか。
海を照らして沖縄からやってくる背黒海蛇。そこに本来の天照大神の原型が見られると思います。天照大神は天津神ではなく朝鮮を経由せずにやって来た海照大神。つまり海神。そして初期の太陽神ではないでしょうか。
ではでは。
で鉄と縁があるのなら多分伊都国と関係ありそうですよ。日本の西半分ではダントツ伊都国が出土しているようです。個人的に奈良大阪近江でも古墳によっては鏡や農具や武器などで出てくる所は伊都国との接点があったんではないか?と妄想してます。卑弥呼は奴国だとしたら弟国は伊都国である可能性もあるかなあ?で邪馬台国って両方か?卑弥呼がもらった剣も大きさから出土例での候補で福島で長いのが出土してるようです。まだ出土していない可能性もあるとか。そこは今後ですが、日本国内で鉄資源を一番早く手に入れるか作り出す術を持っていたのは伊都国です。糸島にはこの前出川さんが行った牡蠣小屋や二見の岩まであるみたいです。背黒海蛇動きそうですよね、で海の食文化を持って福島へ入るとなると妥当ですね。阿蘇にも一旦行ったかも?馬肉では。
で注意しなきゃいけないのがスサノオとカモですよね。ヤマトタケルは綱永井さん白い犬かもしれませんよ。仲哀系で結構強い、天文の知識もあったかと。さっき高安犬ってみつけたんですけど山形の高畠らしいんですけど文殊菩薩とも縁ありそうに思うので亀岡文殊はかなり気になってきました。で白い犬って聖徳太子にも雪丸っているし弘法さんの地にも伝説あり、石清水系の蔵前神社にも銅像の犬演目にもなっているし、そこは綱吉は作ったしで。高安犬は、好き嫌いがあるとかも人間ウォッチからとも合ってるんですよね。忠誠心は強いけど分別があるようでヤバい方にはつかないようです。大阪にも高安って地名もありましてそこの一族もたどってます。で多分白の方に赤の姫が来てるんです、それは大阪なのでここではスルーして。でこの白い犬ヤマトタケルにも関わっていそうな予感なんです。ひょっとしてお供とすり替わっている可能性あるかも?なので犬怖いんじゃないかな?悪い方々はね。あと実際に被害に合った手長足長さんたちも。
静岡の方でも猿が暴れていて犬がやってきてなんて話ありますよ。御嶽関連の犬なのかもしれませんね。
ヤマトタケルが知識があればこんな事には。
加担しちゃいけなかった。はーあ。藤太やフツはここになるんじゃないかと。
夢では大きな亀が捕まっていて、それを見張っているのが犬(牙はない)。近くに洞窟あり。
どうも上野村っぽくって。
宿禰さん達にやられたのは福島入る前かも?でその地で復興の伝統が三匹獅子舞ですよ、それも諏訪からの伝授だそうです。どうもそこも高天原みたいですね。スサノオの時は仲良くやれていたのか?それともスサノオでおかしくなったのか?
鉄狙っていのがスサノオなのか取り巻きなのか?
神流川も怖いですよね〜、東北にも同じような場所あるんでしょう。
でアタ族を追うと鉄が奪えると思ったらずっと追っかけてくるでしょうね。金華山まで追ってきてそうですよね、違う犬も連れて鬼退治に。はー。
東大寺に使われてた嫌ですね。1569
そうそうアタ族が古墳時代いたならば円墳ですよね?岡山で面白い古墳三?古墳ありましたけどあれ台湾にも似てそうな?で仲哀さん達は前方後円墳青の姫様からの知識で天文や治水も出来たはず。で白い犬さん達はお墓に赤い色使ってたようにおもいます。
でちょっと思ったんですけど奈良時代のお寺で今は天台宗になっている寺多いんですけど奈良時代にはまだその宗派ではなかったはず。仲哀系と犬さん系はどうも工房とセットのお寺作ってそうな気がします。材料も手に入って技術もあるので。
犬はかなり古い時代からも人間と関わっているよいですし、出雲の方でも骨が神社と関係あったような?いよいよ熊野入ってきますよ。速玉さんと事解さんも関係してきますね。大事な犬養さんか
犬さんが残っていてそもそものポジションにつかないといけない気がします。そうしないと荒れそうですよ。9938
今回の話は曖昧と言うか、突っ込みどころが多くあります。書かなかったのですが徐福伝説とアタ族の動向がかなり似ているのです。同神、同じ一族なのかも知れない。
私も柚子房さんのお話の通り徐福と素戔嗚尊は関連していると思うのですが、そうなると今回の記事はご破算です。難しいのです。
鬼渡神社には住吉神も多く祀られています。住吉神は海洋族。だから神功皇后の三韓征伐の守護神としたが、元々応神の天皇家と敵対している感じがしています。
ヤマトタケル命と応神天皇は天皇家であっても系列が違う筈です。仲哀天皇は応神天皇の父親ではない。
でもヤマトタケル命の動向と武内宿禰の動向も似ている。もしかしたら同神なのではないかと思ったりして、本当に訳が分からなくなります。
大山津見神の信仰が残っていたのですから、古墳時代もアタ族は存在しています。多分、会津は隠れ住むには都合が良かったと思います。
不思議な事に蝦夷とアタ族は住み分けられていた感じがすると言うか、蝦夷を怒らせない様に山の上で暮らしていた感じが有ります。ここも難しいですが。
でその箇所がこちらどれくらい出てくるか?やってみます。
そう徐福は、私はうまくつじつま合わせで丸め込む為のお話だと今の所思ってるのでまさにそれがどうかにより変わります。柚子坊さんともそこがどうかで毎回困る所です。
で住吉神は、まさにそう思います。宿禰さん達とソリが合わない部分もありそうなのに共存しているようなイメージです。立場が違う二面性ありますよね、どっち縁が深いかで違うように思います。応神天皇と仲哀さんですが、時代も血縁もダイレクトには繋がらないんですよ。応神のが古くてでして、私おかしいんですよね。仲哀さんの奥様も神功皇后の姉妹だとどうですかねえ?姉妹血筋が違ったらまた凄いずれるんですよ。その姉妹と応神さんは血筋で合うとお腹に違う父の子がいて仲哀さんの所へって。宿禰さんが仲哀だったらはまってしまうんですけど、宿禰さんの兄弟と神功皇后姉妹とで皇子が違っていくし、また同じ立場で共存しちゃって争いの元にもなる。その後結構もめてますね。で葛城襲津彦の娘が大事みたいでその子達がその後を務める。お名前交換の説話もあるし、クロスしていそう。襲津彦に息子がいたら本来それで良かったけどいなかったな?もしくは不在な事がそもそもの始まりようにも。そこに住吉さんが絡んできそうに思います。
あともう一個納得した件があったんですけど、抜けましたね、今はそれがベストとしてスルーします。
あ、思い出しました。山にいる理由ですけど、縄文進海が進む前は旧石器時代ですけど蝦夷が旧石器由来だとしたら、平野部にいるのは妥当あり、それを避けるように海由来として島のようになった山の高い部分にきたのが遠慮しながら定住したのかも?
昔テレビで槍と舟のチームでクジラを取った部族は、いちばん美味しい所を山の上の民族にあげるってやっていました。あげる理由は何かあるんでしょうね。役割分担なのかも?天文とか治水とかは上にいた民族のが長けていたように思うので漁以外の恩恵は違う所で受けていたからかな?8187
福島は、そういう意味では山に囲まれ険しい渓谷部に入ってこられないならば安心ですね。
ならば自然堤防というか自然城壁に囲まれまた防人的な武人も周りにいてちょうどお互い良かったのかもしれませんね。民族の気質や肉体はそれぞれ違うはずだとは思いますね。4624
なのでおそらく城壁になった部族が口説かれたらもうどうしようもないでしょうね。石清水系から住吉系に護りが代わってるようにも。どちらも中心から歴史からはずれているのでそこを理解したらアタも分かってくるかもしれませんね。
ふと思ったんですけど天智天皇は知性の天文強いんですけど天武天皇は違う。武内宿禰さんの凄い所が天文があるか?どうか?どうも肉体派の武のようにも思いますね。今人気の竹内さんも身体大きいし骨格はしっかりしているんですけどね。猛獣と闘うシュミレーションする武井さんは明らかに武闘派、どちらがどうかではなく得意分野での活躍を適性ばっちりの所でやるといいですね。今はそのポジションを狙ってハマったとしてもそこで苦労するなら、自分に合った場所を探してそこにハマってみようとそう思える方も増えているように思いますね。
武はどうも随か高句麗百済新羅伽耶経由か、天武も武内宿禰も武が付くんで気になってきましたよ。倭王武、武寧王等色々気になってきましたね。
自然由来の竹を節を抜き、また斜めにカットして酉の市は準備していましたね。熊手も竹、仏像にも竹を作る過程で使ったような?この素材自体に縁がある一族が気になりますね。9693