これまで色々と私と鬼渡神との因縁を書いてきました。実はまだありました。産土神も鬼渡神だったのです。そして不思議な事にどちらも八坂神社であり、その境内社として鬼渡神が祀られている。チョット偶然とは思えないので、今回はその話を語りたいと思います。
ところで産土神(うぶすながみ)をご存知でしょうか。まっ、色々ご意見はあると思いますが、基本的に貴方が生まれた土地の神社の神様が産土神となります。
そう考えると難しい問題があります。生まれた家の近くの神社の神が産土神なのか、生まれた病院の近くの神社が産土神なのかです。うーん、どうなのだろ。
昔はお産婆さんを呼んで自宅で産んでいたので、自宅の近くの神社が産土神社。その神社に祀られている神が産土神ですけど、今は大抵の人が産婦人科の病院で産まれてます。この場合、どうなんでしょ。誰か知りませんか。
うーん、とりあえず両方とも産土神と考えていた方が良いかなぁー。後でチョット調べて見たいと思います。今回は生まれた家の近くの神社を産土神と考えて話を進めます。
さて、これまでにも私と鬼渡神との因縁に付いて書いてきました。私は仙台市泉区に住んでいますので氏神は岩切にある仙台八坂神社となります。八坂神社はスサノオ命を祀っている。私の氏神はスサノオ命で間違いないです。
同神社は1190年に京都の祇園から観請。牛頭天王社から明治の神仏分離で仙台八坂神社と呼ばれる様になります。
問題は境内社である志波彦神を祀る冠川神社です。以前は志波彦神社と呼ばれていました。
この冠川神社、何時から鎮座していたか判らないそうですが、元々は現在の塩竃神社に鎮座していた。蝦夷の首長である母礼(モレ)、もしくは母礼の一族が建立した社だった。それが母礼の一族が大和朝廷に破れ、神社も現在の岩切にうち捨てられていた。そしてその場所に牛頭天王社が建立されたと私は考えています。
因みに塩竃神社は一森山に鎮座していますが、この「一森」の名は母礼がら来ている様に思えます。母礼の一族は盛氏です。塩竃には盛さんが多い。母礼一族の基盤の地だった。そして森と盛。一森山は母礼一族の霊場であった事から一森山の名が付いたと思います。
まっ、この話は長くなるのでまたの機会にします。塩竃神社を考察するのは大変骨が折れますので。
さて、この志波彦神が鬼渡神である旅立ちの神、境界線の神・阿須波神です。冠川(現在の七北田川)は、志波彦神が馬で川を渡っていた時に川石に躓き頭の冠を落とした事から冠川となった。川は古来の境界線。阿須波神である志波彦神が冠川神社に祀られるのは辻褄が合います。
阿須波神とスサノオ命との関係は祖父と孫になります。スサノオ命と大山祇神の娘・神大市比売との子である大歳神と天知迦流美豆姫の子が阿須波神ですので。それが八坂神社の境内社として祀られている。祖父と孫で仲が良いからか。
違うと思います。阿須波神は怨霊。その怨霊を封じ込める為に乱暴者のスサノオ命を合わせて祀ったと私は考えます。つまり仙台八坂神社の地主神は志波彦神である阿須波神である。スサノオ命も勿論だが、私の家の氏神は阿須波神であると言えます。
続く。
志波彦神社のお社からは塩竃みたいな清々しいオーラみたいなものは感じませんでした。
お堂の中身は空っぽのような・・・。
塩竃の志波彦神社は「なんかいる」って感じします。
冠川のどのへんなんでしょうかね。冠拾ったのは。
八坂神社から遠いんじゃないかなと推測。
志波彦さんが存在してたのはどこなんでしょうかね。
冠川である七北田川は不思議なもので、本当に川石が少ない不思議な川です。
川石につ躓いた志波彦神が怒って手下の神々に川石を拾わせた。その石置き場が二柱神社方面の橋のそばにある石留神社付近に置かれた。だから石留神社となった。何故、武列天皇が祀られているのかは不明ですが。
志波彦神の冠が拾われた場所は判っています。拾った者は狐。つまり冠川稲荷神社がその場所となります。お稲荷さんと志波彦神の源流は同じと考えます。
っと考えると落とした場所は石留神社から冠川神社の間。常識的には石留神社の側だと考えます。二柱神社は元々はチョット離れた修林檀に有りましたが、志波彦神と同じ鬼渡神ですので、その関連があるかと思えます。
岩切の八坂神社は元々はゴミ捨て場の様な場所だったと思えます。卑下すべき蝦夷が祀っていた社を打ち捨てた場所ですので。
志波彦神を阿須波神と考えると地主神のグループなので日本全国なります。特に鹿島、香取の地域では信仰が強かった。同神とされる鹿島神・香取神に抑えられた。もしくは天孫系の鹿島神・香取神に性格を変えられた可能性が有ると考えます。塩竃神社に鹿島神・香取神が祀られているのもその関連があると思います。
すみません。名前に「さんへ」が入っていませんでした。「K320」と呼び捨てにしてしまい失礼しました。
この方大変な方ですよ、きっと。伊達さんがいる中でよくぞ残っていたとも。
大と小でいくと小が付くお名前みたいですし、そもそも奈良にお墓などがあるのもかなり怪しいですね。ワニさんかもしれませんよ。小と書いて音は昔はオなので本当は大の意味を持つ大事な家系。
栗原のあの方もその筋ですかね。妹さんいるなら安心な気がします。
小が大になるなら一寸法師、住吉さんとも関係ある大事な方だと思います。
古墳の種類でも山形って最近よく見るのですが普通の円墳とどう違うのか?山形と言えば父のふるさとで花笠の地。
花笠って神幸祭とかにも出てきがちですよね。こんもり型で色取り取りがこの民族の特徴なのでは?とも。一寸法師のお椀型、きのこ灯篭とかも?
昔から皇子より王子のが好きで、天皇よりも天王に走るのも私の特徴。なので武烈さんも武烈天王なんで悪評なのでは?とも。
弓を引き祓いが出来る人が奈良から消えたのは都運営でもかなりやばいとも思います。
石も本来関係あるはずでそれを嫌いだと対角にされているように思います。
本来は要石役割、要石がなくなった日本は怖いですよね、最近の地震とも関連しそう。
奈良と東北も繋がってきそうに思います。
そうそう、王子っていったら熊野ですよね。父のゴールも熊野だと思います。
元は熊元(熊本)だったのかとも。
3178
やっぱりフツさんぽくて。地名には熊野があるのに熊野神社がないってずっと探していましたが東京にも塩竈があったことで何か繋がってきそうに思います。
スサノオがこの時期まもっていた蘇民将来は東京にも関わりを持っていたかもしれませんよ。
川は荒川、区は足立、公園には何故か作り物みたいでいしたが大きな岩山。
水と塩と石、それをスサノオさんが守ってくれている良いです。4581
石留神社は市名坂にあるのですね。
時々行く韓国サウナの辺りでしょうか。
二柱神社はバスで通りました。
普通の住宅街にありますね。
ちなみに岩切って晴れてても暗い感じの所という印象です。
隣の泉や利府は明るいのに岩切はどよ~んとした感じです。
塩竃神社は全国に有ります。神社庁での認定??では福島県と香川県が19社づつでトップ。総本社のある宮城県は4社に留まります。
そういえば塩竃神社にも牛の像が有ります。熊野神社もスサノオ命が祀られていますが、怨霊として地主神を押さえ込む意味合いがあるのではと考えていますが、どうでしようね。
志波彦神に使える神々が七北田川の石を拾い、その石を置いた場所が石留神社なのですが、何故、祭神が武列天皇なのかも難しいです。
武列天皇も怨霊と考えてていますが、同じ怨霊だからでしょうか。櫻田山神社では八幡神と一緒に祀る事で調伏していると思うのですが、単独で祀られているのは珍しいです。
韓国サウナは全然知りませんが、石留神社は以前釣堀があった場所の近くと言うか、奥州街道を奥羽自動車学校から橋を渡って直ぐの場所にあります。川沿いの細道です。
岩切の八坂神社はそれほどでもないですが、近隣の東光寺は私も何度か入ろうバイクを停車させ思案しましたが、思い止まって未だに行ってません。ここも墳墓が存在しますが、墳墓のある場所はどうしてもそんな感じになりますね。
因みに昭和40年代に菅谷不動尊裏の墳墓を調査したらしいですが、人骨や勾玉等の装飾品が多数出てきたそうです。
一般の人は立ち入るべきではないと思いますね。
納得。武烈天皇単独ならば牛自体を祀る信仰が残っているのかもしれませんよ。
その古墳がそれっぽいのかも?探ってみます。
櫻田神社は八幡さんと一緒というのは意味深いですよ。武烈さん系の血が八幡に繋がるはずなので本物の八幡なら安泰なはず。宿禰さん系だと話は違ってくるかもしれません。単独で祀れたら良かったのにも思いますが何の根拠もないのでそんな事も言えず。
八幡大菩薩とは分けるべき?明治天皇が神社と寺を分けたのも神社には辛い歴史となりましたが今再評価をしかけています。
武烈さんとスサノオは歴史の中では似ていますね。今後どんな事になるか少し楽しみですよ。1559
塩竃神社もお寺だった建物が残っています。
神仏分離以前は塩竃神社には神職とお坊さんが一緒にいた。そして神仏分離で出て行った人もいれば、お坊さんを辞めて神職になる人もいた。考えさせられますね。
仏教を布教するために日本の神々と融合させた訳です。日本の神々はインド生まれにしてしまった。これでは天皇もインド人になってしまいます。分けるしかなかったと思います。仏教は神仏を念じる。神道は奉る。全く逆の考えですから。
仏教ともキリスト教徒も日本では命を落としたケースが多い。祟りも考えられますね。