諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

日本の高校生によるソウルでの集団万引きについて。その1

2015年04月13日 01時01分52秒 | ニュース

私、震災前まで店舗で商売をしてました。商売での悩みはあんまり儲からない、将来性が無い等々色々ありましたが、万引きもその一つでした。

兎に角、多くの商品を万引きされました。特に高校生に。普通、高校生なら小中学生より分別が付くと思うでしょうが、偏差値の低い高校の生徒は怖いもの無しです。

無事卒業しても良い就職口は見つからない。だから退学も怖くない。それでなくても○○高校卒業と揶揄される。"やってられない"となるのです。

特に運動部は酷いです。反則も見つからなければファインプレーと考えている様です。集団でプレーするスポーツクラブの生徒は集団で万引きします。スポーツ感覚で。

例えば私を呼びつける。その間に別の生徒が万引きする。或いは集団でガードして私の視野を奪い万引きする。兎に角、万引きするです。

彼らは得する事に飢えています。その飢えを凌ぎたいから万引きするんです。万引きされた側のの気持ちも知らずに。

私は警察にも相談し、最終手段として万引き高校の生徒の高校に電話でクレームを入れた事があります。電話に出たのは高校のナンバー2。彼は先生病に掛かっていました。

私は万引きしない様に学校で話し合ってくれと頼みましたが、彼は聞く耳を持ちません。「万引きするような生徒はどうせ退学していくんだから」と言い放ちました。「だから言っても仕方ない」とまで言いました。

彼は私が下手に出たことを良いことに横柄な態度で話します。私を生徒扱いにするのです。そして最後には逆切れしました。「うちの高校の生徒はどうしようもないんだよ」的な発言をして。

私は言いました。「だったら私は万引きされ続けなければならないのですか」と。それでは商売が出来ない。

私は続けて「そちらが何もしないのなら『○○高校は万引きの常習性があるので、当店への立ち入りを禁止します』旨の張り紙を出します」と言いました。警察にも相談し、「問題ない」と言われているとして。

そしたらナンバー2の先生は更に逆上。ヤクザまがいの口調で怒鳴り始めました。

私も幸か不幸か親がヤクザな商売をしてしたし、私自身も総会屋系の経済誌の記者をしていました。悲しいかな知らぬ間に総会屋やっていた男です。怒鳴られた位でめげません。

「仕方が無い。私もこれ以上万引きされては商売は出来ない。もう刑務所に入る覚悟は出来ました。商売続ける為には仕方ないです。今から貴方をぶん殴りに行きます。地元の新聞社やテレビ局に電話して、私が貴方を殴るところを撮って報道して貰います」と私は言い放ちました。

こうなるとナンバー2は立場上お手上げです。前代未聞の事態になる。かなりのニュースになるし、○○高校の名は更に落ちます。それが自分の発言で引き起こした事になる。自分が非難されると直ぐに判断したようで、「善処します。しばらくお宅の店の前に教師を派遣して、生徒に注意させます」と言って来ました。

まっ、やれば出来るのですよ。しかし面倒だからやらない。それが先生と言う職業の人間の性です。全員とは言いませんが、仙台は先生になるのも至難の業。だから優越感に浸っている。人を蔑んでいる。そんな人間が教える様では生徒も万引きするって事なんでしょう。ホント、嘆かわしいです。

 

つづく。

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瀬織津姫と桂の木。そして甘い薫り。 その6

2015年04月11日 03時08分37秒 | 瀬織津姫

続きますよ。

最後に考えられる事は記紀の執筆者や桂清水信仰の関係者に対して大変心苦しいのですが、以前書いた「瀬織津姫も鬼渡神もあんころ餅が大嫌い【川渡餅編】」の通りになります(詳しくはそちらを読んで下さい)。

川にあんころ餅やおはぎ等々の甘い物を投げ込む風習がある。昔は甘い物が貴重。それを川に投げ込む行為は神々が甘党かは存じませんが、川神・水神・渡神へのご機嫌伺いが目的で甘い食べ物をお供えする為のものと考えられていた。

しかし違った。陰陽五行の考えでは甘い物は「土」に分類される。土は川を濁す。川を堰き止める。つまり土は川や水よりも強い。故に甘い物を川に放り込む「川渡餅」の慣習は、水神を調伏するのが目的だった。治水の為に。川の氾濫を防ぎ、川で命を落とさない為に。

「桂」には「土」の字が二つも付いている。桂は土のエネルギーを宿した木である。更に甘い香りがする。甘い物も陰陽五行では土に分類される。土の力をもっとも備えた樹木が桂と言える。

土は水よりも強い。桂の持つ土の力で水を調伏する。強いては水を祓う。実際、土は水を汚すが、水の邪気を祓い清める力がある。伏流水がそれ。だから水場に土の力がある桂の木が繁っている。水を祓い清める霊木だから。故に桂の木は良い水をもたらす霊木とされた。

その考えに縄文時代からの白木信仰が重なった。白木に対する信仰と水神を調伏する考えがごっちゃになってしまった。その姿が桂の木をナタで彫った聖観音であり十一面観音であるのではないだろうか。

聖観音や十一面観音は仏教の思想から生まれています。しかし仏教は本来の姿では伝わらなかった。

長くなるので説明は避けますが、仏教は男天下で女性に取ってあんまりな宗教です。だから本家のインドでも仏教は廃れてしまった。インドではヒンズー教徒約8億3000万人に対し、仏教徒は2000万人に留まる。しかもこの人数はヒンズー教に融合しての数字です。リアルな仏教徒はかなり少なくなっているのです。

日本に伝わった仏教も日本では真の教えは浸透しなかった。本来、仏教は日本の神々を淘汰するのが目的として大和朝廷が導入した。

しかし日本人の地主神への信仰は大和朝廷に迫害されても捨てなかった。故に仏教は生き延びる為に本家のインド仏教がヒンズー教徒と融合した様に、神道と融合する事で生き延びた姿が今の仏教。

そう考えると桂の木で彫られた聖観音・十一面観音は仏教の側面もあるし、神道の側面もあると言える。

其れは桂の木をナタで彫った聖観音・十一面観音で瀬織津姫を封印・調伏する目的。白木信仰。そして仏教の教えが重なった。

そしてそれが川渡餅の風習同様、長い年月を経て忘れ去られ、桂の木が良い水を育む霊木とする間違った解釈で伝わっているのではないでしょうか。

長々と書いてきましたが、今まで述べてきた話は私の一つの考えであり妄想です。それが正しいとは私には断言出来ません。でも鬼渡神を通して仏教を合理的に考えるとそう思わざる負えないと言ったところです。

今のところはですが・・・・・・・・。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

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瀬織津姫と桂の木。そして甘い薫り。 その5

2015年04月10日 04時15分46秒 | 瀬織津姫

続きます。

桂の木が良い水を育む霊木とされていますが、何故、桂の木がそのような力があるのかが疑問です。調べましたがどこにも載っていませんでした。

ただ、桂は水場の近くの湿った場所を好む性質・習性??があるそうです。名水の地を調べたら桂の木が繁っているケースも多く見受けられます。この点が名水を生む霊木と考えられたのかも知れません。

考えてみれば天台寺も桂の木の側で泉が湧いています。そして瀬織津姫は水神です。瀧や川の側に瀬織津姫を祀る神社が建立されているケースが多い。そこには水場の湿気を好む桂の木が繁っている。だから桂の甘い香りがする。物理的にはその様に考えられると思います。

もう一つの説ですが、東北に「土生(ハブ)さん」が多く住んでいます。「土から生まれる」で土生です。つまり土生は冬眠から覚めて地中から這い出す蛇の事です。

沖縄のハブはハブと言う種類の蛇ではなく、ただ単に蛇と言う意味。古来、蛇をハブと呼んでいたのが縄文の血脈が汚されず続いてきた沖縄に残っていたものと思います。

桂にも「土」の字が二つあります。土の力を示していると思われます。そして木俣は神の宿る場所とされていますが、木の股を好むのは蛇です。

私も父の実家の庭の柿の木や旧・磐城女子高の銀杏の木の俣で、シマヘビがとぐろを巻いているシーンを見ています。

木の股に居れば獲物を上から狙えるし、上からの敵にも葉や枝で己の姿を隠せる。蛇にとって木の俣は願ったり叶ったりの場所です。だから「桂=蛇」として捉えられたのかも知れません。チョット苦しいけど。

そう考えると木俣神は御井神ですが、元々は巳井神だったのかも・・・・・・・・。。うーん、やっぱり少々苦しいですね。

でも蛇も桂の木と同様水辺を好むし、その関連で桂の木に蛇の精霊が宿ると考えられていたとしたら「桂=蛇」との図式が出来上がる。だから良い水を生む霊木とされたのかも。

うーん、やっぱりこの説はチョット今一ですかね。残念ですけど。

 

続く。

 

 

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瀬織津姫と桂の木。そして甘い薫り。 その4

2015年04月07日 10時40分25秒 | 瀬織津姫

続きます。

この桂泉寺こと天台寺は728年に行基によって開基。作家の今東光師や瀬戸内寂聴師も住職を勤めていた歴史あるお寺です。桂の木から湧いてくる泉は桂清水として信仰を集めてます。

桂清水は天台寺だけでなく、他の地方でもその信仰があります。桂の木も泉も天台寺が出来る前からあったそうですので、桂清水信仰から桂の木と泉が湧いていたからこそ、この地に寺が建立されたと思われます。

本尊は桂の木をナタで彫った聖観音。桂泉観世音とも呼ばれているです。聖観音は水神・瀬織津姫とされていますが、桂の木で水神彫ったとするなら桂清水信仰が伺えます。勿論、桂の木で彫られた十一面観音も存在します。

それにしても桂の木と水との関連。桂清水信仰はどこから生まれたのか。

私、当たっているかどうかは疑問ですがピンと来ました。ヒントは私の「綱永井寵生」の名です。どうですか、分かりますか。

答えは御井神です。御井神は生井神・福井神・綱長井神の三神で御井(三井)神です。私の「綱永井」の姓も「綱長井神」から取っています。

さて御井神がどのように桂の木に繋がるのか。それは御井神の別名・木俣神で説明出来ます。

木俣神の名前の由来ですが、木俣神の親は大国主と八上比売です。八上比売は大国主の正妻??である須勢理姫の嫉妬を恐れ、子供を木の俣に置いて実家に帰ったもんですから御井神は木俣神とも呼ばれています。

でも、これは記紀での神話によるものだと私は思います。何故なら古来の井戸は泉の周りに木の俣を置いていたから。そしてその木の俣は桂の木でしたので。

この話は記紀の海幸彦・山幸彦の話にも出てきます。井戸の上に桂の古木を置くと良い水が恵まれると書かれています。桂の木は良い水を生む霊木とされているのです。

つまり御井神も桂清水信仰と繋がっていると言えます。更に多分、八上比売が御井神を置いた木俣も桂の木だったと思われます。ここまで来ると。

そして良い水を生むとされる霊木の桂で水神・瀬織津姫とされる聖観音・十一面観音を彫る。これは水神・瀬織津姫の霊験を更に高める為と考えられます。そのように説明している記述もあります。

だから瀬織津姫は桂の甘い薫りがするのです。めでたし、めでたし・・・・・・・・・っと普通なら終わるのですが、鬼渡神で神道の山を登っている私はどうしても違う考えが浮かんで来ます。

記紀の教え、桂の木の聖観音・十一年観音の信仰に反発するようで大変心苦しいのですが・・・・・・・・・・。

 

つづく。

 

 

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瀬織津姫と桂の木。そして甘い薫り。 その3

2015年04月05日 04時43分58秒 | 瀬織津姫

久方ぶり鼻炎かかってしまい酷い状態になっちゃいました。薬飲んでいるんですが、眠たくて眠たくてブログさぼっていました。スミマセンでした。では続きます。

さて、ここで桂の木をナタで彫った十一面観音・聖観音に話を戻します。

ぶっちゃけて言いますがナタ彫りの仏像は神奈川県にある日向薬師三尊、岩手県江刺市・愛宕神社の毘沙門天像、同県北上市・万蔵寺の薬師如来像等々存在してますが、何故か十一面観音と聖観音ばかり特出して多い。そしてそれらは中部・関東・東北にしかない。近畿から西には存在しないのです。

これは多分間違い無いと思うのですが、ナタ彫りの仏像は東北地方由来の文化と考えられます。何せ東北地方に集中していますから。

そしてカンナがけがされておらず、木の質感と風合いが残っている。いや、あえて残したいからナタ彫りなのではないでしょうか。

インドの仏像は石で出来ています。確か木製の仏像は無かった。あっても少ないと思います。しかし、日本の仏像は木製が多い。石でも造れる筈なのに木製と言う事は、木への信仰、つまり縄文時代由来の土着の信仰である白木信仰が、東北地方を中心に残っている事を意味している様に思われます。

そう言えば円空も12万体と言われる数の仏像を彫っています。12万体ですから悪く言えば手抜きになるのでしょうけど、彼の仏像も初めに木ありきの様に思われます。あえて荒削り感を残して木に対しての信仰を示したのではないでしょうか。

ナタ彫りの像で代表的なものは、岩手県にある天台宗のお寺・天台寺の聖観音と言えます。勿論、円空の仏像よりもしっかりと彫刻が施されてますが、ナタ彫り独自の木の風合いがあります。私は通常の像より、こちらの方が親しみやすくて好みです。

そしてその風合いは縄文式土器を思わせてくれます。考えてみたら縄文式土器は、白木を削って縄を作り、その縄で土器に模様を付けています。だから縄文式土器なのです。そして縄文式土器はナタ彫りの仏像と同様、東北に集中している。 

これはナタ彫りの仏像も縄文式土器も同じ信仰から来ている。そしてどちらも白木信仰である事を意味しているのではないでしょうか。

実は天台寺は別名・桂泉寺とも呼ばれています。本堂の裏に桂の大木が繁っており、その脇に泉が湧いている。だから桂泉寺です。

でも本当にそれだけの意味で桂泉寺なのでしょうか。

私は桂と泉、もしくは桂の木と水には何らかの関連があるように思えます。

それは一体何なのか。

 

つづく。

 

 

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