続きます。
この桂泉寺こと天台寺は728年に行基によって開基。作家の今東光師や瀬戸内寂聴師も住職を勤めていた歴史あるお寺です。桂の木から湧いてくる泉は桂清水として信仰を集めてます。
桂清水は天台寺だけでなく、他の地方でもその信仰があります。桂の木も泉も天台寺が出来る前からあったそうですので、桂清水信仰から桂の木と泉が湧いていたからこそ、この地に寺が建立されたと思われます。
本尊は桂の木をナタで彫った聖観音。桂泉観世音とも呼ばれているです。聖観音は水神・瀬織津姫とされていますが、桂の木で水神彫ったとするなら桂清水信仰が伺えます。勿論、桂の木で彫られた十一面観音も存在します。
それにしても桂の木と水との関連。桂清水信仰はどこから生まれたのか。
私、当たっているかどうかは疑問ですがピンと来ました。ヒントは私の「綱永井寵生」の名です。どうですか、分かりますか。
答えは御井神です。御井神は生井神・福井神・綱長井神の三神で御井(三井)神です。私の「綱永井」の姓も「綱長井神」から取っています。
さて御井神がどのように桂の木に繋がるのか。それは御井神の別名・木俣神で説明出来ます。
木俣神の名前の由来ですが、木俣神の親は大国主と八上比売です。八上比売は大国主の正妻??である須勢理姫の嫉妬を恐れ、子供を木の俣に置いて実家に帰ったもんですから御井神は木俣神とも呼ばれています。
でも、これは記紀での神話によるものだと私は思います。何故なら古来の井戸は泉の周りに木の俣を置いていたから。そしてその木の俣は桂の木でしたので。
この話は記紀の海幸彦・山幸彦の話にも出てきます。井戸の上に桂の古木を置くと良い水が恵まれると書かれています。桂の木は良い水を生む霊木とされているのです。
つまり御井神も桂清水信仰と繋がっていると言えます。更に多分、八上比売が御井神を置いた木俣も桂の木だったと思われます。ここまで来ると。
そして良い水を生むとされる霊木の桂で水神・瀬織津姫とされる聖観音・十一面観音を彫る。これは水神・瀬織津姫の霊験を更に高める為と考えられます。そのように説明している記述もあります。
だから瀬織津姫は桂の甘い薫りがするのです。めでたし、めでたし・・・・・・・・・っと普通なら終わるのですが、鬼渡神で神道の山を登っている私はどうしても違う考えが浮かんで来ます。
記紀の教え、桂の木の聖観音・十一年観音の信仰に反発するようで大変心苦しいのですが・・・・・・・・・・。
つづく。