続きますよ。
最後に考えられる事は記紀の執筆者や桂清水信仰の関係者に対して大変心苦しいのですが、以前書いた「瀬織津姫も鬼渡神もあんころ餅が大嫌い【川渡餅編】」の通りになります(詳しくはそちらを読んで下さい)。
川にあんころ餅やおはぎ等々の甘い物を投げ込む風習がある。昔は甘い物が貴重。それを川に投げ込む行為は神々が甘党かは存じませんが、川神・水神・渡神へのご機嫌伺いが目的で甘い食べ物をお供えする為のものと考えられていた。
しかし違った。陰陽五行の考えでは甘い物は「土」に分類される。土は川を濁す。川を堰き止める。つまり土は川や水よりも強い。故に甘い物を川に放り込む「川渡餅」の慣習は、水神を調伏するのが目的だった。治水の為に。川の氾濫を防ぎ、川で命を落とさない為に。
「桂」には「土」の字が二つも付いている。桂は土のエネルギーを宿した木である。更に甘い香りがする。甘い物も陰陽五行では土に分類される。土の力をもっとも備えた樹木が桂と言える。
土は水よりも強い。桂の持つ土の力で水を調伏する。強いては水を祓う。実際、土は水を汚すが、水の邪気を祓い清める力がある。伏流水がそれ。だから水場に土の力がある桂の木が繁っている。水を祓い清める霊木だから。故に桂の木は良い水をもたらす霊木とされた。
その考えに縄文時代からの白木信仰が重なった。白木に対する信仰と水神を調伏する考えがごっちゃになってしまった。その姿が桂の木をナタで彫った聖観音であり十一面観音であるのではないだろうか。
聖観音や十一面観音は仏教の思想から生まれています。しかし仏教は本来の姿では伝わらなかった。
長くなるので説明は避けますが、仏教は男天下で女性に取ってあんまりな宗教です。だから本家のインドでも仏教は廃れてしまった。インドではヒンズー教徒約8億3000万人に対し、仏教徒は2000万人に留まる。しかもこの人数はヒンズー教に融合しての数字です。リアルな仏教徒はかなり少なくなっているのです。
日本に伝わった仏教も日本では真の教えは浸透しなかった。本来、仏教は日本の神々を淘汰するのが目的として大和朝廷が導入した。
しかし日本人の地主神への信仰は大和朝廷に迫害されても捨てなかった。故に仏教は生き延びる為に本家のインド仏教がヒンズー教徒と融合した様に、神道と融合する事で生き延びた姿が今の仏教。
そう考えると桂の木で彫られた聖観音・十一面観音は仏教の側面もあるし、神道の側面もあると言える。
其れは桂の木をナタで彫った聖観音・十一面観音で瀬織津姫を封印・調伏する目的。白木信仰。そして仏教の教えが重なった。
そしてそれが川渡餅の風習同様、長い年月を経て忘れ去られ、桂の木が良い水を育む霊木とする間違った解釈で伝わっているのではないでしょうか。
長々と書いてきましたが、今まで述べてきた話は私の一つの考えであり妄想です。それが正しいとは私には断言出来ません。でも鬼渡神を通して仏教を合理的に考えるとそう思わざる負えないと言ったところです。
今のところはですが・・・・・・・・。
ではでは。